佐藤俊樹『社会学の方法』228頁にこうある。
マートンを大学院に受け入れたのはパーソンズではなく、ピリティム・ソローキンだ。ソローキンはボリシェヴイキ革命でロシアを追われ、ハーヴァード大学に迎えられた。パーソンズとは犬猿の仲で、社会関係学部の初代主任教授だったソローキンがパーソンズの昇進に頑強に反対したことはよく知られている。
しかし太字のところは間違いなので以下に訂正しておく。
最初のはただの誤記。ソローキンは Pitirim Sorokin だから「ピリティム」じゃなくて「ピティリム」。
2つめはもう少し重要な事実の間違い。ソローキンは1931年に創設された「社会学部」(Department of Sociology)の初代学部長でパーソンズの昇進に反対したのは事実だが、「社会関係学部」(Department of Social Relations)は、すでに大学のなかで勢力を増したパーソンズ自身が1946年に創設した学際学部で、創設から10年間パーソンズが学部長を務めている。もちろんソローキンは社会関係学部のメンバーではない。
どちらもただの誤記だと言えばそれまでだが、この本は伝記的事実を結構重視しており(それゆえ面白いのだが)、また「社会関係学部といえばパーソンズ」というのはパーソニアン的には基本中の基本なので、細かい点ではあるが指摘しておく次第。
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