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2013年10月15日火曜日

冬学期ゼミ「社会システム論」の予定

以下、邦訳だけ載せてますけど、原書や英訳で読んでもかまいません。

第2回 10月21日(月)

小宮友根,2011,「社会システムの経験的記述」,『実践の中のジェンダー――法システムの社会学的記述』,新曜社

酒井泰斗・小宮友根,2007,「社会システムの経験的記述とはいかなることか――意味秩序としての相互行為を例に」,『ソシオロゴス』31,62-85

第3回 10月28日(月)

Parsons, Talcott, 1935, “The Place of Ultimate Values in Sociological Theory,” International Journal of Ethics 45, 282-316 → Charles Camic (ed.), Talcott Parsons: The Early Essays, The University of Chicago Press, 231-257

第4回 11月5日(火)

J. R. サール,坂本百大・土屋俊(訳),『言語行為――言語哲学への試論』,勁草書房

第5回 11月11日(月)

J. R. サール,坂本百大・土屋俊(訳),『言語行為――言語哲学への試論』,勁草書房

第6回 11月18日(月)

ルーマン,ニクラス,大庭健・正村俊之訳,1990,『信頼――社会的な複雑性の縮減メカニズム』,勁草書房

第7回 11月25日(月)

ルーマン,ニクラス,大庭健・正村俊之訳,1990,『信頼――社会的な複雑性の縮減メカニズム』,勁草書房

第8回 12月2日(月)

ルーマン,ニクラス,今井弘道・大野達司訳,1989,『制度としての基本権』,木鐸社

第9回 12月9日(月)

ルーマン,ニクラス,今井弘道・大野達司訳,1989,『制度としての基本権』,木鐸社

第10回 12月16日(月)

ルーマン,ニクラス,馬場靖雄訳,2013,「社会秩序はいかにして可能となるか」,『社会構造とゼマンティク2』,法政大学出版局

第11回 1月15日(水)

ルーマン,ニクラス,林香里訳,『マスメディアのリアリティ』,木鐸社

第12回 1月20日(月)

盛山和夫,『社会学の方法的立場――客観性とはなにか』,東京大学出版会

第13回 1月27日(月)

盛山和夫,『社会学の方法的立場――客観性とはなにか』,東京大学出版会

2013年6月30日日曜日

【誤訳】Argue for Your Limitations

はてなから加筆修正の上、転載します。


人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか?』を訳しているときに、リチャード・バックの『イリュージョン』からの引用があり、既訳を参照しようと思ったら、2つあるうちのどちらも間違っておりましたので。原文は次の箇所。

Argue for your limitations, and sure enough, they're yours.


Richard Bach, Illusions, Dell, p. 100

これを、私は次のように訳しました。

君の限界を正当化してみろ。そうすれば、それがそのまま君の限界となるから


トム・ディースブロック,『人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか?』,アスキー・メディアワークス,343頁

私の訳書は原書がドイツ語ですから、そちらの独訳も載せておきます。

Rechtfertige deine Begrenztheit, und du machst sie Dir ganz sicher zu eigen


Tom Diesbrock, Ihr Pferd ist tot? Steigen Sie ab!, Campus, S. 175

要するに、自分の限界を肯定してしまえば、それが実際に自分の限界になるよ、ということ。要するに、「諦めたらそこで試合終了だよ」、平たく言うと「言い訳すんな」と。「argue for」の「for」は、「against」と対比されるやつで、「argue for」は「肯定するような議論をする」ということ。だから独訳も「rechtfertigen」(=正当化する)と訳しているわけです。


ところが既存の邦訳はいずれも、この点を正しく訳せておりません。

限界、常にそれが問題である。
君達自身の限界について議論せよ。
そうすれば、君達は、
限界そのものを手に入れることができる。


村上龍訳,『イリュージョン』,集英社文庫,105-106頁

自分自身の限界について
議論するがいい。
きっと
それが自分の限界である。


佐宗鈴夫訳,『イリュージョン』,集英社文庫,99頁

村上龍訳は、訳書の範囲をかなりはみ出していて、原文に書いてないことがたくさん書いてある本でなかなか楽しいです。上の箇所も「限界、常にそれが問題である」と、原文にない文句が加わっています。

それはともかく、村上訳も佐宗訳も、「Argue for your limitations」を「限界について議論する」と訳していて、「for」の持つ正当化的ニュアンスが落ちているのが問題です。その結果、全体として意味不明なことになっています。(村上訳は意味不明ながら壮大でそこが魅力的ではありますが。)

ところで原著にはもう一箇所「Argue for your limitations」が出てきます。

Argue for your limitations and you get to keep them


Richard Bach, Illusions, Dell, p. 131

佐宗訳はこれを「自分の限界を認めてしまえば、それは越えられなくなる」と正しく訳しています。上の箇所とまったく同趣旨なのに、なぜこう訳文が分かれているのかちょっと謎です。なお、村上訳は、この箇所を含めてざっくりと省略しています。自由だな村上龍……


【誤訳】パーソンズの「社会的秩序」概念

はてなより、少し加筆修正の上、転載。

以下は、パーソンズが秩序概念について一般的に述べている部分で、けっこう重要な箇所です。

したがって社会秩序は、それが科学的分析を受けつけるものであるかぎり、つねに事実的秩序であるのだが、しかしそれが長く維持されるとすれば、なんらかの規範的要素が効果的に機能しなければ決して安定しないものである。


タルコット・パーソンズ,稲上毅・厚東洋輔訳,『社会的行為の構造 1』,木鐸社,152頁

しかし、この太字の部分は誤訳です。原文は次の通り。

Thus a social order is always a factual order in so far as it is susceptible of scientific analysis but, as will be later maintained, it is one which cannot have stability without the effective functioning of certain normative elements.


Talcott Parsons, The Structure of Social Action, The Free Press, p. 92

この「maintain」は「維持する」という意味ではなく、「主張する」という意味。つまり、「as will be later maintained」というのは「後述するように」と訳すべき挿入句です。

「長く維持されるとすれば」とあると、じゃあ短期的ならOKなの? という疑問が湧いてきます。このあたりは、「安定性」という概念の(そして功利主義的秩序は不安定(precarious)だという議論の)解釈にも密接に関わってくるので、少し細かくこだわりたいところです。




高城和義,『パーソンズの理論体系』,日本評論社,48頁も、この誤訳をそのまま継承しています。以下、他の誤引用も見つけたら載せていきます。

2013年4月7日日曜日

Plisch und Plum

「規則」設定という原則を無条件に実行する場合そこにいかなる結果が生ずるかを具体的に説明しようとするものは、たとえばヴィルへルム・ブッシュの著作を読んでみるとよい。この偉大なユーモリストは、われわれがいつも無数にからみあわせつ「解明的に」使用しているおびただしい陳腐な目常経験に科学的叙述の衣を着せるということによって、きわめておもしろい効果をあげているのである。『Plisch und Plum』からの見事な詩句、「ひとの哀しむときによろこぶものは、たいてい人に好かれぬもの」(Wer sich freut, wenn wer betrübt, macht sich meistens unbeliebt)は、とりわけ彼が事象の類的なものをきわめて正確に必然的判断としてではなく「適合的因果」の規則 Regel "adäquater Verursachung" として把えているので、全然非のうちどころなく定式化された「歴史法則」なのである。
マックス・ヴェーバー,『ロッシャーとクニース』,229-230頁