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2015年1月25日日曜日

ルーマン『リスクの社会学』誤訳箇所一覧

以下、本文のみです。註についてはチェックしていません。比較的大きなものしか指摘していないので、これで全部ではありません。



序文


【訳文】

たとえば、魔術とか魔法といった形式では〔災いは〕もはや把握されないし、善意しかもたない神と、――その存在を失った、とまでは言えないまでも――宇宙論的機能を失ってしまった悪魔とが想定されるようになって以降、宗教という形式でも災いはほとんど把握されえない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,10頁
【原文】

Und zum Beispiel nicht mehr in der Form von Zauber und Hexerei und auch kaum noch in der Form von Religion, nachdem man einen Gott angenommen hat, der nur das Gute will, und der Teufel seine kosmologische Funktion, wenn nicht sogar seine Existenz verloren hat.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 2

悪魔(Teufel)は annehmen の目的語ではない。「善しか意志しない神が想定されるようになり、悪魔が存在はともかく宇宙論的機能を失って以降」という並列。


【訳文】

こういった危害〔をなす決定〕をどうかおこなわないでほしい、と――そんな要求を出してもどうせ無駄だなどと語ったりせずに――要望もできる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,12頁
【原文】

Man kann fordern, ohne Unsinn zu reden, solche Gefährdungen gefälligst zu unterlassen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 3-4

これはそうした「要望」をしても「無意味なことを言ったことにならない」という意味。現代社会では危険は人や組織の決定の結果だと考えられるようになった、という話が文脈上の前提で、それゆえ「そんな危険を冒すのはやめてくれと有意味に要求できるようになった」ということ。


【訳文】

リスクの想定を拒否すること、あるいは、リスクの拒否を要求することが、それ自体、リスクに満ちた行動となる。リスクに満ちた行動が、カタストロフィをもたらしうると想定される場合にはつねに、計算の拒絶でもってこれに反作用される


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,13頁
【原文】

Die Übernahme von Risiken zu verweigern oder ihre Ablehnung zu fordern, ist selbst ein riskantes Verhalten. Darauf reagiert man mit einer Verweigerung der Kalkulation, wo immer man meint, daß das riskante Verhalten auf eine Katastrophe hinauslaufen könnte.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 4-5

まず Übernahme von Risiken は「リスクの想定」ではなく「リスクの引き受け」。2文目の "darauf reagiert man" の da は前文の内容(邦訳は wo 以下だと解しているがそれは間違い)。全体としては、リスク回避行動自体がリスキーな選択だと考えられるようになった結果、やばそうな場合はリスクの存在自体に目をつぶって見えないふりをするということ。邦訳は誤って「想定」の拒否までリスキー選択だと書いてしまったために、2文目の解釈に困って「これに反作用される」とよくわからない訳文にしてしまったのだろう。


【訳文】

ここでは、災いについての観察と現実との関連が、魔術師や魔女がまだ存在していた時代のように疑われているわけでもない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,14頁
【原文】

Auch der Realitätsbezug der Unheilsbeobachtungen kann so wenig bestritten werden wie zu den Zeiten, als es noch Zauberer und Hexen gab.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 5

邦訳は、昔は疑われていたけどいまは疑われていないと解しているが間違い(そんなに疑われていたら魔術師やら魔女やらは存在できない)。ここは、リスクコミュニケーションにおいて、ほんとにそうかという点が、いまも昔と変わらず争点にならないことがあるよね、という意味。



第1章 リスクの概念


【訳文】

スーパーマーケットでは主婦がかなりうまく計算していたりブラジルのストリートチルドレンもじつに首尾よく――学校で身につけたりつけなかったりする計算方法とは違ったやり方で――計算できることがそうこうするうちに知られるようになっている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,18頁
【原文】

Man weiß inzwischen, daß die Hausfrauen im Supermarkt und die Straßenkinder in Brasilien höchst erfolgreich kalkulieren können — aber nicht so, wie sie es in der Schule gelernt haben oder nicht gelernt haben.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 10

邦訳は「違ったやり方で」がストリートチルドレンにしかかかっていないが、主婦にもかかる。


【訳文】

また、私的な個人だけが合理的に行為できないわけでも、そのための努力をしないというわけでもない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,18頁
【原文】

Und nicht nur Private können es nicht oder geben sich nicht die Mühe.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 10

前後の文から見て、この es は「価値の定量化」と考えるのが妥当。


【訳文】

合理性が、当該役割のいわば機能仕様書に記載されている場合でも、また、リスクへの特別な配慮やリスクに対処する責任が期待されている場合でも、さらに組織のマネジメントにおいても、リスクは決して定量的には計算されていない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,18頁
【原文】

Auch dort, wo Rationalität zum Pflichtenheft der Rolle gehört und besondere Umsicht und Verantwortung im Umgang mit Risiken erwartet werden, auch im Management von Organisationen werden Risiken nicht quantitativ kalkuliert;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 10

邦訳は3つの場合を列記していると解しているが、これは組織マネジメントという1つの場合について言っているだけ。つまり、「役割として合理性を求められ、リスクに関して特別な配慮と責任が期待される場合、つまり組織のマネジメントにおいても、リスクの定量的な計算など行なわれていない」ということ。


【訳文】

このような〔定量的な〕計算の成果を人々が受容するのは――そもそも受容するならばだが――、少なくとも次のような場合に限られる。すなわち(どれほど蓋然性の低いものでも)不運が、それを越えるとカタストロフィとして感じられてしまうような閾に人々が触れていない場合である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,19頁
【原文】

Man akzeptiert die Ergebnisse einer solchen Kalkulation, wenn überhaupt, jedenfalls nur dann, wenn sie die Schwelle nicht berühren, jenseits derer ein (noch so unwahrscheinliches) Unglück als Katastrophe empfunden werden würde.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 11

人々が閾に触れるというのが意味不明だし、この sie を「人々」とは読めない。 "die Ergebnisse" だろう。閾ということの意味は、結果として出来する事態がある程度以上にひどいものの場合、人はリスク計算に基づいて行動せず、ゼロリスクみたいな振る舞いに出てしまうということ。


【訳文】

どちらの考え方も、失敗してもそれを正しいものにできるのだと請け合っているかのように見える。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,28頁
【原文】

Beide Konzepte scheinen garantieren zu können, daß man es auch dann, wenn es schief geht, richtig gemacht haben kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 21

「どちらの考え方も」というのはリスクと確率のことだが、これらの概念が「失敗してもそれを正しいものにできる」ことを請け合っているというのは意味がわからない。ここは、「結果的には失敗だったとしても当初の行為選択は正しかったということがありうる」という意味。確率が絡んでくると、どんなに適切な選択をしても失敗する可能性はあるわけなので。


【訳文】

リスクについてのこのような理解は、今日にいたるまで保持されている


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,29頁
【原文】

Und daran hält sich das Verständnis von Risiko bis heute.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 22

"daran" の da は前文までの内容。「今日に至るまで、リスク概念の理解は以上のような事情に基づいている」ということ。


【訳文】

ある行為の引き起こす損害が基本的に回避できるものであるならば、そういう行為も――損害の確率についての計算ならびに場合によってはありうる損害の規模についての計算がこの行為を是認できるものだと示してくれさえすれば、そのかぎりで――許容されるべきである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,29頁
【原文】

muß man auch Handlungen zulassen, (...) die einen im Prinzip vermeidbaren Schaden verursachen können, sofern nur die Kalkulation der Schadenswahrscheinlichkeit und der etwaigen Schadenshöhe dies als vertretbar erscheinen läßt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 22

邦訳は無駄にわかりにくい。「損害を引き起こしうる行為であっても、その損害が生じない可能性もあり、かつ損害の生起確率と生起した場合の損害規模を計算した結果許容可能といえるのであれば、許容しなければならない」ということ。


【訳文】

したがって観察者は双方の側面を同時に観察することはできないが、それにもかかわらずそれぞれの側面は、同時に、他の側面にとっての他の側面として与えられている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,31頁
【原文】

Er kann deshalb nicht beide Seiten zugleich beobachten, obwohl jede Seite gleichzeitig die andere der anderen ist.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 24

「にもかかわらず」のかかり方が逆。各側面は同時に他の側面にとっての他の側面であるが、両側面を同時に観察することはできない、というのがここで言いたいこと。


【訳文】

決定者自身が、そのリスクを自分の決定の帰結として知覚するのか、それとも、その決定が帰属される他者の決定の帰結として知覚するのかということは、この概念にとっては決定的に重要なものではない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,32-33頁
【原文】

Für den Begriff soll es nicht entscheidend sein (...), ob der Entscheider selbst das Risiko als Folge seiner Entscheidung wahrnimmt, oder ob es andere sind, die es ihm zurechnen;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 25

邦訳は赤字部分の構文が読めていない。正しくは「決定者がリスクを自分の決定の結果として知覚するのか、彼(=決定者)にそれを帰属するのが他の人々なのかは重要でない」。つまり、リスクを決定に帰属させるのが誰かは重要でないということ。


【訳文】

ただし、本書でリスクという概念に与えようと思っている形式を、ここに見いだすことはできない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,35頁
【原文】

Nur finden wir darin nicht die Form, die uns den Begriff des Risikos gibt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 28

「リスク概念を与える形式」。ルーマンの「形式」および「概念」という語の定義では、形式が概念を与えるのである。


【訳文】

というのは、すでに失われた機会は、それ自体として安全な事柄では決してないからである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,37頁
【原文】

denn die verlorene Opportunität war ja in sich selbst gar keine sichere Sache.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 29

この sicher は「安全」ではなく「確実」だろう。段落全体にわたって、「安全」と「確実」の意味の重なりが意識されていて邦訳でも両訳語が混在している。 Risiko/Sicherheit すなわち「リスク/安全の区別」において、「リスク/確実」の響きをどの程度感じるべきなのかは結構重大な問題。


【訳文】

だが、セカンド・オーダーの観察者にとっては、問題は次の点にある。つまり、さまざまな観察者によって同じだと見なされている事柄が、セカンド・オーダーの観察者にとっては、まったく別の情報を生み出すという点にである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,38頁
【原文】

Aber für den Beobachter zweiter Ordnung liegt das Problem darin, daß etwas, was von verschiedenen Beobachtern für Dasselbe gehalten wird, für sie ganz verschiedene Information erzeugt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 30

「セカンド・オーダーの観察者」は単数だが "für sie" の sie は複数なのでそっちじゃなくて「さまざまな観察者」のほう。つまり、複数の(ファースト・オーダーの)観察者がいて同じものを見ているのだが、得る情報はそれぞれ異なる――という事態がセカンド・オーダーの観察者にとって重要だ、ということ。


【訳文】

地震で倒れるかもしれない建物から転居したり、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,43頁
【原文】

aus einem erdbebengefährdeten Gebiet wegziehen


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 36

細かくて恐縮ですが「地震の危険のある地方から」。


【訳文】

より合理的に計算すればするほど、また計算をより複雑なものにすればするほど、それだけ未来の不確実性や、リスクと関連した諸局面が視野に入ってくるようになる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,44-45頁
【原文】

Je rationaler man kalkuliert und je komplexer man die Kalkulation anlegt, desto mehr Facetten kommen in den Blick, in bezug auf die Zukunftsungewißheit und daher Risiko besteht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 37

最後の "in bezug auf die ..." は関係節(die = Facetten)なのだが邦訳はそこが読めていない。「合理的で複雑な計算をしようとすると、いままで見ていなかった様々な面を見ないといけなくなって、それらの面に関してまた新たに未来の不確実性とリスクが成立する」みたいなこと。


【訳文】

兵器を使用する際には訓練する


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,45頁
【原文】

Man übt sich im Waffengebrauch,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 38

これは、決定に帰属できない被害(=危険)に対しても人は備えをするものだという話の一例として出ているのだが、邦訳の書き方だと、「兵器を使用するときには暴発とかして危ないから訓練する」みたいな、「兵器を使用する」という決定に帰属される将来被害(=リスク)の話のように読める。 "üben" という動詞の使い方から考えても、ここは「武器使用の練習をする」くらい(急に襲われた時とかの備えとして)。


【訳文】

原子力発電所の立地場所の選定にとっては、人々をすばやく立ち退かせる可能性が重要な観点になる(ロングアイランドでのプロジェクトはこの点で失敗した)。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,46頁
【原文】

Für die Standortwahl eines Kernkraftwerkes sind die Möglichkeiten einer raschen Evakuierung der Bevölkerung (daran scheiterte ein Projekt auf Long Island) ein nicht unwichtiger Gesichtspunkt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 38

建設のための「立ち退き」ではなく、事故が起こったときの「避難」の話。ロングアイランドの原発が失敗した理由はまさにこれ。


【訳文】

第一のリスクに付加された負担免除のリスク〔=第二のリスク〕は、防止策がまったく不必要にできてしまう点にある


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,46頁
【原文】

Das Zusatz- und Entlastungsrisiko kann darin bestehen, daß die Vorbeugung ganz unnötig sein kann:


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 39

邦訳赤字部分は日本語になっていない。「防止策がまったく不要でしたorzとなってしまうことがありうる」ということ(ルーマンが挙げているのは、毎日ジョギングして健康に気を使っていたのに、ある日乗ってた飛行機が墜落して死んじゃったという事例)。


【訳文】

こうしてリスク配分のリスクは、つねに一つのリスクであり続ける。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,46頁
【原文】

Das Risikovertreibungsrisiko bleibt immer noch ein Risiko.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 39

邦訳は Risikovertreibungsrisiko を Risikoverteilungsrisiko に見間違えている。「リスクを放逐しようとすることに伴うリスク」とか。


【訳文】

だが、一方〔=ヘリコプターでの移動にともなう事故の可能性〕は政治的には明らかにリスクとして評価され、他方〔=ロケット破片にぶつかる可能性〕は(ちなみにこれはきわめて不当なことだが)危険としてしか評価されない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,48頁
【原文】

Aber das eine wurde politisch offenbar als Risiko eingeschätzt, das andere (sehr zu Unrecht im übrigen) nur als Gefahr.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 40

訳者が補っている部分、反対じゃないですかね。挙がっている事例は、ロケット発射実験に際して周辺住民をヘリコプターで一時避難させるという話(なおここでも訳者は evakuieren を「立ち退かせる」と訳していて困る)。住民といっても人口密度は小さく、落ちてきたロケットの破片に当たって住民が怪我をする確率はかなり低い。それと較べるなら、避難の途中でヘリが墜落する確率のほうが高いといえる。にもかかわらず、政治的には、何もしないよりヘリで避難させるほうが有利とされる。――上の引用箇所はその理由を述べていると考えられるのであって、無作為による破片命中は(無作為という決定の結果として)リスクとみなされるのに対し、ヘリ墜落は(決定によるのではない)危険とみなされ、だから政治的にはヘリ避難が選ばれるという話だろう。

おそらく訳者は「だが(aber)」とあるのが気になったのだろうが、これは「ヘリ避難のほうが政治的には好都合」を受けているのではなく、直前の obwohl 節(確率を比較した部分)を受けていると見るのが妥当。



第2章 リスクとしての未来


【訳文】

今、手元に見いだせる諸々の時間ゼマンティクすべてを腑分けしていく作業がこうした段階にある中で、本書の考察の出発点を見つけ出すためにまず次の点を銘記しておきたい。すなわち、生起する事柄はすべて同時に生起している、ということである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,51頁
【原文】

Um bei diesem Grad der Auflösung aller vorfindbaren Zeitsemantiken einen Ausgangspunkt zu finden, halten wir daran fest, daß alles, was geschieht, gleichzeitig geschieht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 42

前後の文脈からしても邦訳は意味不明。ここは、「手持ちの時間ゼマンティクがどれもこれも解体しちゃって使いものにならなくなってしまったこの段階で、じゃあどこから議論を出発させたらいいかといえば、それは『起こることは全部同時に起こる』という命題だ」みたいな意味。


【訳文】

(たとえば時間間隔を算出するためや、結果や原因に帰属するために)


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,51頁
【原文】

(um zum Beispiel Zeitdistanzen zu ermitteln oder Wirkungen auf Ursachen zuzurechnen)


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 42

「結果を原因に」帰属させるのである。


【訳文】

この点を理論的な背景にしてこそ、近代社会は未来をリスクとして描き出しているというテーゼへとたどり着ける。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,55頁
【原文】

Es ist dieser theoretische Hintergrund, der uns zu der These führte, daß die moderne Gesellschaft Zukunft als Risiko vergegenwärtigt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 45

ここは時間の脱パラドクス化の話なのだから、動詞 vergegenwärtigen は「 gegenwärtig にする」=「現在化」と訳さなければ意味が通らない。未来は現在にあってこそ未来だが、未来である以上現在にはない(現在にあるのであれば未来ではない)というパラドクスが、未来をリスクに置き換えることで解消(展開)されるわけだ。


【訳文】

限界のある時間地平ないし無限の時間地平に関する議論も、少なくとも論争としては古くなっており


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,55頁
【原文】

Auch die Diskussion über endliche bzw. unendliche Zeithorizonte ist, zumindest als Kontroverse, alt,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 46

古くなっているのではなく、「昔からある」のである。


【訳文】

政治的意図が秘密にされねばならない時間は、賞賛を博するために新しい理論を適用する科学の時間と異なる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,56頁
【原文】

die Zeit, in der politische Absichten geheimgehalten werden müssen, ist nicht die Zeit, die eine neue Theorie braucht, um Anerkennung zu finden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 47

どう読んだら邦訳のようになるのか不明。「新しい理論が認められるのに要する時間」くらい。


【訳文】

スパイスの調合法


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,56頁
【原文】

Arten der Zubereitung von Speisen


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 47

Speiseは「料理」。「シュパイゼ」と「スパイス」が似てた? なお「スパイス」のドイツ語はWürze。


【訳文】

今現在見られるリスク状況を事後的に振り返ったとき確実に別様に判断するであろう別の未来が、未来のほうからわれわれを覗き込んでいる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,60頁
【原文】

Und aus der Zukunft starrt uns eine andere Gegenwart an, in der die heute gegenwärtige Risikolage nachträglich mit Sicherheit anders beurteilt werden wird,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 51

現在の現在とは異なるもう一つの(つまり未来の)「現在」。


【訳文】

決定は、ファースト・オーダーの観察者(決定者自身をも含めて)からすれば、こうした差異[=過去と未来の差異]を生み出しているものこそこの決定だ、といった具合に理解される。したがってその観察者には、合理的であるべし、と要求される。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,64頁
【原文】

Entscheidungen werden vom Beobachter erster Ordnung (inklusive dem Entscheider selbst) ja so verstanden, daß sie es sind, die diese Differenz produzieren. Deshalb wird ihnen zugemutet, rational zu sein.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 55

合理的であるべしと要求される "ihnen" は複数形なので、単数形で書かれている「ファースト・オーダーの観察者」ではありえない。複数形で登場するのは「決定」である。(一階の観察において)決定が合理的であることを求められるのである。


【訳文】

こういった状況の中に、次のような要請が、つまり、現在を決定の時点として、あるいは決定し損ねた時点として把握するべしとの要請が、ますます明瞭に見いだされるようになっている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,66頁
【原文】

Darin liegt dann immer deutlicher die Aufforderung, die Gegenwart als Entscheidung oder auch als Versäumnis von Entscheidungen aufzufassen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 56

まず「時点」という概念を、ルーマンはこの文脈では用いていない。こういう余計な補足は、本書のように時間表象について非常に繊細な議論を展開している文章では有害でしかない。また、「決定し損ねた」という過去形もダメ。もっと厳密かつ端的に「現在を決定として、もしくは不決定として捉える」とすべき。


【訳文】

確率計算はしばしば、人々の合意を得られるような決定の根拠を現在の時点で見いだそうと努力してきた。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,66頁
【原文】

Oft hat man die Wahrscheinlichkeitsrechnung bemüht, um für die Gegenwart konsensfähige Entscheidungsgrundlagen zu finden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 57

確率計算は努力とかしないから……。邦訳は主語 man の見落とし。「しばしば確率計算を、現在において合意可能な決定根拠にしようとする人がいる」みたいな意味。



第3章 時間拘束――内容的観点と社会的観点


【訳文】

規範が妥当するのは、その規範が妥当しているかぎりにおいてというわけである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,72頁
【原文】

Die Norm gilt, solange sie gilt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 63

ここは、規範そのものはリスクから自由だということの言い換えなので、邦訳のようにネガティヴに訳してはいけない。「規範はとにかく妥当しているかぎりは妥当なのだ」とか。


【訳文】

けれども、構造は作動から成り立っている


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,72頁
【原文】

Aber Strukturen entstehen aus Operationen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 63

おそらく訳者は "bestehen aus" と見間違えている(訳文のとおりならかなり驚くべき主張である)。ここは「構造は作動によって生み出される」くらいの意味。


【訳文】

だが期待は、状況によっては一般化もされうるのであり、その場合には期待はずれの危険から保護されなければならない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,73頁
【原文】

Sie sind unter Umständen aber auch generalisierbar und müssen dann gegen Enttäuschungsgefahr geschützt werden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 64

直前の箇所で、特定状況(Situation)についてのみ働く期待のことを言っており、それをうけての「だが(aber)」なのであるから、ここの "unter Umständen" を「状況によっては」とやると、結局状況依存的だという話になってしまう。「しかし期待には一般化可能なものもある」くらいにしておくのが吉。


【訳文】

本書で取り組まれる問題は、内容的観点や社会的観点での固定化がなされなくても、こうした一般化がなされうるのかである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,73頁
【原文】

Das uns beschäftigende Problem ist nun: daß dies nicht ohne Festlegung auch in sachlicher und sozialer Hinsicht geschehen kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 64

まず「本書で取り組まれる問題」というのは大袈裟。「さてそこで問題は」くらい。

次に本題。邦訳は「なされうる」という答えを予期させる問いの形式になっているが、原文に書いてあるのは正反対。 daß 節を勝手に ob 節に変えるのはやめましょう。正しくは、「問題はこれ[=時間次元での期待の一般化]が、内容次元および社会的次元での固定化なしには生じえないということである」くらい。


【訳文】

期待が再度認識され、その期待によって――これはさらに高い要求になるが――同調的行動と逸脱的行動とが区別できるようになるには、期待には形式が与えられなくてはならない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,73頁
【原文】

Die Erwartungen müssen eine Form erhalten, so daß man sie wiedererkennen und, noch anspruchsvoller, konformes und abweichendes Verhalten unterscheiden kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 64

"so daß" 以下は、期待が形式を有することの直接の効果を書いているのであって、「なくてはならない」の条件節ではない。訳者は直前の文が理解できていない(前項で指摘済み)ために、「なくてはならない」の条件節が「時間次元での一般化が成立するためには」であること(ただし原文では前文との繋がりで自明なので省略されている)を理解できていないのである。


【訳文】

その条件とは、(1)期待はずれの問題があってもそれに抗して固定される抗事実的に妥当する規範という形式、ならびに、(2)争いの際に一方だけを合法としそれゆえ他方を不法とせざるをえないように作用する二元的コード化をとおしての、この剛性による自我と他我の間での社会的な裂け目である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,74頁
【原文】

an der auf das Enttäuschungsproblem fixierten Form der kontrafaktisch geltenden Norm und an der sozialen Brechung dieser Starrheit durch binäre Codierung, die bewirkt, daß im Streitfalle nur die eine Seite Recht haben kann und die andere folglich im Unrecht sein muß.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 65

一つめの赤字部分は雰囲気的にはあっているが正確には「抗事実的に妥当する期待という、違背[=期待はずれ]問題に定位した形式」くらい。

二つめの赤字部分の訳文は端的に意味不明(なに「剛性」って? 「自我と他我の間での社会的な裂け目」???)。ここは、規範は時間的には抗事実的に固定されているだけだが、社会的には特に裁判で合法な人のほかに不法な人も出てくることによってこの固定性が破られる、という意味。「二分コード化による、この固定性の社会的な打破」くらいでいい。


【訳文】

だがこのとき、次のような解決不能の問題を抱えることになった。すなわち、他者だけが規範を遵守しているときに、自分がその規範を遵守しないのは、個々のケースで合理的たりうるかという問題である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,75頁
【原文】

Dabei hatte man aber das unlösbare Problem, daß es im Einzelfall rational sein kann, sich nicht an die Normen zu halten, wenn nur die anderen sich daran halten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 66

少し上で指摘したのと同じ間違え方で、どうやら訳者は「……という問題」と「~かという問い」の区別がついていない模様。特にここでは「解決不能」という形容がついているため致命的である(「……という問題が解決不能」なのと、「~かどうかという問いが解決不能」なのとでは話が全然違ってくる)。正しくは「他者だけが規範を遵守し、自分は遵守しないのが合理的な場合がありうるという問題」。


【訳文】

どうしてもやりたい行動や自分の利益になる行動が、状況によっては違法だと規定されてしまう定されてしまう


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,75頁
【原文】

[die] Festlegung eines unter Umständen begehrenswerten und vorteilhaften Verhaltens als rechtswidrig


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 66

細かくて恐縮だが、 unter Umständen はそこではなく、「どうしてもやりたい」および「自分の利益になる」にかかっている。


【訳文】

実定法の変化のにぶさ


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,76頁
【原文】

die Änderungsträgheit des positiven Rechts


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 67

これはあんまり自信ないのだが、実定法について「変化がにぶい」(=変化しにくい)とはちょっとさすがに言えないだろう。英訳を見ると "the resistance opposed by positive law to change" (変化に対して実定法が対置する抵抗)で、これもそんなに判明ではないが、実定法の外に変化があって、実定法がそれに抵抗している感じがある。つまり社会状況が変わったからといって法律も連動して変わるわけではない(法改正には一定の手続きが必要)ということ――かなと思うが自信はない。ただそう考えれば時間次元の一般化を達成するという機能をこれが果たしているという話はうまく繋がる。


【訳文】

結果指向への転換は、未来の現在化を問題あるかたちで強いることになるが、こうした転換は多かれ少なかれ法全体に影響を及ぼす


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,78頁
【原文】

Die Umstellung auf Folgenorientierung mit ihrem problematischen Zwang zur Vergegenwärtigung von Zukunft trifft mehr oder weniger das gesamte Recht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 69

ここはそういう転換が「法全体に見られる」と言っているのである。


【訳文】

しかしこれによって、合法/不法という明確に区切られたコードが接触することになり、〔コードとしての〕指向価値の点で制限されてしまう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,78頁
【原文】

Damit wird jedoch der klargeschnittene Code von Recht/Unrecht berührt und in seinem Orientierungswert eingeschränkt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 69

赤字部分、日本語になっていないため訳註で「ここでは、「合法」の値と「不法」の値とが接触しあい、合法/不法の明確な割り振りが困難になるという文意」(283頁)と無理な読み方を重ねているが、この「触れる」(berühren)は「法に触れる」系の用法。つまりここでは「コードに抵触する」ということ。


【訳文】

遠隔地貿易を発展させ販売市場を気にかけるようになると(たとえば毛皮貿易の場合)、かつては自給自足には十分なほど存在していたローカルな財が稀少になる。というのも、〔遠隔地貿易で毛皮を売る者は〕それによって貨幣を手にし、つまりは稀少性を今や除去できるからである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,79頁
【原文】

Wenn man Fernhandel entwickelt und für Absatzmärkte sorgt (zum Beispiel im Pelzhandel), werden lokale Güter, die vorher zur Selbstversorgung reichlich vorhanden waren, knapp, weil man damit jetzt Geld verdienen, also Knappheit beseitigen kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 71

邦訳は全然理由づけになっていない。「それによって」は「ローカル財を稀少にすることによって」と解すべきだし、〔〕内の補訳は間違い。ここは、市場経済(貨幣経済)の導入により、みんなが貨幣を必要とするようになり、そのために地元で生産される財を稀少化して人が金を出して買ってくれるようなものにするということ(稀少だから値段がつくのである)。


【訳文】

稀少性のパラドックスは、ある程度まで所有権概念の中に入り込んでおり、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,80頁
【原文】

Die Knappheitsparadoxie wird gewissermaßen in den Eigentumsbegriff eingebaut,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 72

"gewissermaßen" は「いわば」。「稀少性のパラドックスはいわば所有権概念の中に組み込まれており」くらい。


【訳文】

にもかわらず科学は全体として、なかでも国民経済学はますます予測をおこなうことによって活動するようになったが、この予測が当たらないので、新しい予測によってこれが訂正され、さらにその新しい予測が当たらないのでまた別の新しい予測が……、といった具合である


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,85頁
【原文】

Es ist gleichwohl noch so stark, daß ganze Wissenschaften, vor allem die Nationalökonomie, von Prognosen lebten, die, weil sie nicht zutreffen, durch neue Prognosen korrigiert werden müssen, die, weil sie nicht zutreffen ...


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 76

邦訳は構文が読めていないことによる雰囲気訳。ここは前文の、「人為的な実現可能性への信頼」が増大すると同時に減少しているという議論を受けて「にもかかわらず」と言っているのであって、主語の es はこの「信頼」である。この信頼が、 daß 節の内容の程度には「まだ強い」(noch so stark)ということ。


【訳文】

ただ少なくとも、行為者と観察者の視角の分岐に関する洞察はまだ残っている。この分岐は、それぞれの現在の時点で(現在の時点でということは、つねにそうであるように、同時的に、またそのかぎりでコミュニケーション不能なかたちで、ということだが)不確かでまだ確定できない未来に対処するために利用される。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,87頁
【原文】

Jedenfalls bleibt die Einsicht in die Divergenz der Perspektiven, die man jeweils gegenwärtig (und das heißt immer: gleichzeitig und insofern inkornrnunikabel) benutzt, um einer unsicheren, noch nicht feststehenden Zukunft zu begegnen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 77

関係詞の die は Divergenz ではなく Perspektiven である(邦訳は前者ととることで意味不明な文章になっている)。「そのつどの現在において、いまだ定まらない不確かな未来に向き合うのに用いられる視角が互いに異なることについての知見は、まだ生きている」くらい。

なおこの訳書では随所に見られるのだが、訳文で関係節を分離して二文にわける方法は、素人が手を出すと大抵失敗する高等技術なのでやめておくのが吉。


【訳文】

観察者がそこに居合わせているところで何かを言ったり、あるいは、何かを言えたのに黙っていたりすると、それにより情報が生み出され、そうした情報が再び、ごく限られた範囲でだが、コミュニケーションの対象となりうる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,87頁
【原文】

Beteiligten [...] in Gegenwart eines Beobachters etwas sagen oder auch schweigen, wo sie etwas hätten sagen können, und mitalldem Informationen produzieren, die nur in ganz geringem Ausmaß wieder Gegenstand von Kommunikation werden können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 77-78

邦訳はニュアンスが正反対。生み出された情報のごく一部しかコミュニケーションの対象とはなりえないと言っているのである。


【訳文】

全体社会の秩序の必要性のゆえに、宗教的な意味付与から人々が距離をとりはじめるようになって以降も、最終的な意味付与の視角は提供された。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,88頁
【原文】

Die Erfordernisse einer gesellschaftlichen Ordnung boten eine letzte, sinngebende Perspektive, auch nachdem man von religiösen Sinngebungen Abstand genommen hatte.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 79

社会秩序の必要性ではなく、社会秩序が成立するのに必要な条件。意味の源泉を宗教に求めることがなくなったあとも、「社会秩序のためにに必要だから」というのが意味の最終的な源泉であり続けた、という話。


【訳文】

またそうであるがゆえに、このリスクという未来形式は、規範化によっても、分配の秩序によっても、遮断されえないのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,88頁
【原文】

und auch deshalb kann sie weder in Normierungen noch in Verteilungsordnungen untergebracht werden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 79

邦訳は untergebracht (unterbringen) を untergebrochen (unterbrechen) に見間違えたのだろう。正しくはどちらにも「組み込めない」くらい。


【訳文】

リスクによって指し示される不確かさを、これのせいだといったかたちで責任帰属できる最終的な――たとえそれが「不可視」のものであれ――審級など、存在しない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,88頁
【原文】

Es gibt keine letzte — und sei es "unsichtbare" — Instanz, auf die man die mit Risiko bezeichnete Unsicherheit abladen könnte.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 79

邦訳は原因帰属っぽい訳し方だけど、 abladen は積み荷を下ろす感じなので、「あとはよろしくといった形で処理を任せてしまえる」くらい。


【訳文】

こうした差異/偶発性/不確かさという徴候


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,88頁
【原文】

dieses Syndrom von Differenz/Kontingenz/Unsicherheit


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 79

「シンドローム」は「症候群」と訳されるが、この訳語で主なのは「群」であって「症候」ではないのである。邦訳はこの点をわかっておらず、シンドロームの主たる意味は「症候」だと思って、でも病気じゃないからなあということで「徴候」としたのだろう。ここは「一連の流れ」とか。


【訳文】

比較の視点をもって分析すると、問題をより抽象的に定式化するきっかけが与えられる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,89頁
【原文】

Vergleichende Analysen geben Anlaß, Probleme abstrakter zu formulieren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 79

内容を理解せずに訳文を「わかりやすく」しようとすると大抵間違える。問題が抽象的に定式化されない限り比較分析はできない。だから「比較分析は問題をより抽象的に定式化するきっかけとなる」のである。


【訳文】

行為者が思い切ってずっと前に進んでいくのかどうかは、その行為者に委ねられているように思える。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,89頁
【原文】

Sie überläßt es, wie es scheint, dem Akteur, ob er sich so weit vorwagt oder nicht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 80

邦訳は意味不明。 "sich so weit vorwagen" は文脈上、段落冒頭の「リスクに手を出す」(sich auf Risiken einlassen)のこと。


【訳文】

平等が意味しているのは、不平等がなぜ発生するかを説明し、それを決定のせいであると見なしたり、あるいは決定によってそれを阻止できるということである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,89頁
【原文】

Gleichheit heißt ja, daß die Generierung von Ungleichheit zu begründen und als Entscheidung zu sehen bzw. durch Entscheidung zu verhindern ist.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 80

邦訳は「平等の意味」になっていない。「平等が意味すること、それは、不平等の発生は何らかの根拠づけを要するものであり、また決定とみなされるべきものであり、あるいは決定によって阻止されるべきものだということである」くらい。


【訳文】

確実に言えるのはもっぱら、こうした布置連関は、総じて見ると、社会的次元により大きな重みを与えており、少なくとも規範や稀少性の場合とは別様の位置を社会的次元に割り当てている、ということである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,91頁
【原文】

Fest steht nur, daß diese Gesamtkonstellation der Sozialdimension ein größeres Gewicht gibt oder ihr jedenfalls eine andere Position zuweist als im Falle von Normen oder von Knappheiten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 81

als 以下は größeres Gewicht と andere Position の両方にかかっているのだが、邦訳は後者にしかかかっていなくて、前者は「他の次元と較べて社会的次元により大きな重みを与えている」と読めてしまう。「社会的次元に対し、規範や稀少性の場合と較べてより大きな重みを、あるいは少なくとも異なる位置づけを与えている」とすべき。



第4章 観察のリスクと機能システムのコード化


【訳文】

未来が規定できないのは、これから生起するであろうあまりにも多くの既知のあるいは未知の諸要因に未来が依存しているがゆえ、というだけでなく、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,93頁
【原文】

die Zukunft nicht nur deshalb unbestimmbar ist, weil von zu vielen bekannten und unbekannten Faktoren abhängt, was geschehen wird,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 84

「依存している」の主語は「未来」ではなくて "was geschehen wird"(これから生起すること)。邦訳は was 以下を関係節だと思っているが、複数形の Faktoren を was では受けられない。「これから生起することが、あまりにも多くの既知ないし未知の要因に依存する」くらい。


【訳文】

区別されるものを区別するその区別の仕方に応じて、何が問題になるかが決まる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,95頁
【原文】

Je nach dem, wie man unterscheidet, was man unterscheidet.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 85

次の文に was から wie への問いの移行とあるので、これは「何が(was)区別されるかは、どのように(wie)区別されるかに左右される」ということだろう。


【訳文】

他方の側面も存在しているにもかかわらず、観察の作動をその他方の側面にではなく一方の側面に差し向けることが強いられるのは、その観察が何らかの区別に依存しているからである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,95頁
【原文】

Es liegt in der Abhängigkeit von einer Unterscheidung, die dazu zwingt, die Operation auf der einen und nicht der anderen Seite anzusetzen, obwohl es auch die andere gibt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 85-86

主文は「それ[=観察のリスク]は区別への依存に存する」なのだが邦訳からは脱落。 die dazu zwingt 以下は、区別に依存することがなぜリスクなのかの説明になっているのだが、おそらく訳者は、冒頭の es を仮主語と読んだのだろう。しかしその読み方は無理。


【訳文】

しかし、あるシステムがセカンド・オーダーの観察の可能性を行使するようになるやいなや――近代社会も、またその個々の機能システムも、どんな場合でもこうした可能性を行使できると想定してよい――、見ることができないものは見ることができないと認識できるようになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,95頁
【原文】

Sobald ein System aber über Möglichkeiten der Beobachtung zweiter Ordnung verfügt — und das kann man für die moderne Gesellschaft und für ihre Funktionssysteme in jedem Fall unterstellen — wird erkennbar, daß man nicht sehen kann, was man nicht sehen kann;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 86

"in jedem Fall" は「どんな場合でも」ではなく「いずれにせよ」。最初に「システムが二階の観察をできるなら」と仮定で始めているのに対し、「まあいうても近代社会とその機能システムについては二階の観察できるってことでいいんだけどな」とツッコミを入れているのである。

「見ることができないものは見ることができない」は一般的すぎてここでは不適切。こんなのはトートロジーであって自明である(このことを知るのに二階の観察とかいらない)。ここは、そこで実際見えていないものを特定するような訳し方をしなければならない。すなわち、「見ることができていないものについて、それを見ることができていないことを認識する」とか。


【訳文】

さらに観察者がそのつど利用している区別に囚われており(というのは区別なしには観察できないからだが)、別の区別を拒否したり受容したりしてしか、そこから逃れられない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,95頁
【原文】

daß man der Unterscheidung, die man jeweils benutzt (weil es nicht die Möglichkeit gibt, zu beobachten, ohne zu unterscheiden) ausgeliefert ist, und ihr nur durch Rejektion und Akzeption einer anderen Unterscheidung entkommen kann,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 86

「別の区別を拒否」したのでは、元の区別から抜け出せないと考えざるをえない。ここは、元の区別を「拒否し、そのうえで別の区別を受容」と読むべきだろう。つまり "Rejektion und Akzeption" の "und" は対称的な並立ではなく、論理的な順序を表していると見るべき。なお英訳は邦訳と同様に "rejecting or accepting another distinction" としている。



第5章 ハイテクノロジーという特殊事例


【訳文】

スペンサー=ブラウンとともに定式化すれば、技術に明確な輪郭を与えている形式の他方の側面が、これである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,108頁
【原文】

Dies ist, um mit Spencer Brown zu formulieren, die Außenseite der Form, das, wogegen die Technik sich profiliert.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 98

ここはスペンサー=ブラウンの用語でいうとこうだ、という箇所なのだが、邦訳ではどれがSBっぽいところなのか不明。ここに登場するSBの用語は「(形式の)外側」(Außenseite, outside)なので「他方の側面」としてしまっては台無しである。なお、この少し前の箇所に「内側」(Innenseite, inside)も出てきているのだが、邦訳は「内的側面」としてしまっている。


【訳文】

だが、そこから何らかの見通しを学習できるかもしれない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,110頁
【原文】

Aber es besteht Aussicht zu lernen[.]


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 100

邦訳は構文が読めずに雰囲気訳にしているが、主語の es は仮主語で bestehen するのは "Aussicht zu lernen" である。したがって直訳すれば「だが学習の見込みは成立する」で、わかりやすくするなら「だが学習はできる」くらい。


【訳文】

技術そのものに関しては規則的な反復という言葉が好んで用いられ、攪乱に関しては、単一の出来事という言葉が好んで用いられる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,113頁
【原文】

Für die Technik selbst wird die Sprache der regulären Wiederholung, für die Störung die Sprache der singulären Ereignisse bevorzugt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 101

こういう箇所は実際「好んで用い」られている用語を書かないと。「単独事象」とか「突発事象」とか。


【訳文】

また、この補足テクノロジーは、事故に見舞われた際にのみ重要になるものならば、事故が起こったときにスイッチオンの状態にできなくてはならず、場合によってはスイッチが〔ひとりでに〕入ってしまうものでなければならない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,113頁
【原文】

Und sie müssen, wenn sie nur für Störfälle in Betracht kommen, anschaltbar sein und gegebenenfalls auch angeschaltet werden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 102

「自動的にスイッチが入る」みたいな含意はないんじゃないかなあ。起動が可能であるだけでなく、事故の際に実際に起動されなければならない、ということでは?


【訳文】

また、きわめて誤動作しやすいシステムを〔新たに〕調達したり稼働させるよりも、システムの「保護」やシステムの「抑制」のほうによりコストがかかる時代の到来はそう遠くない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,114頁
【原文】

und auch hier könnten die Zeiten nicht fern sein, in denen die "Ummantelung" oder das "Containment" des Systems mehr Kosten verursacht als die Anschaffung und der Betrieb dessen, was in so hohem Maße störanfällig ist.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 102

邦訳だと、誤動作しやすいシステムを新たに調達するより、既存のシステムを「保護」「抑制」するほうが高くつく、というように読めてしまう。あと "Containment" は "Ummantelung" を英語で言い換えただけだから、2つも訳語を使う必要はない。「不具合の生じるおそれが高いシステムの場合、調達・運用にかかる費用よりも、「封じ込め」にかかる費用のほうが高くつく」とか。


【訳文】

むしろ現在、技術はそれ自体、次のような装置によるいわばベールを必要としている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,114頁
【原文】

Vielmehr erfordert jetzt die Technik selbst gleichsam eine Hülle von Einrichtungen,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 103

「ベール」みたいなふにゃふにゃなものでテクノロジーの暴走が停められるか。「装置で覆われなければならない」とかでよかったと思う。


【訳文】

専門知識をあまりもたず、それほど専門的なアドリブのきかない技術者が協力していたという理由だけで何らかのリスクを抱えることになる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,115頁
【原文】

allein shon, weil weniger sachkundige, weniger fachlich improvisationsfähige Techniker mitwirken,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 104

ここは、あるテクノロジーが開発環境から一般の利用環境に開放されるという変化が孕むリスクについて論じているところであり、専門性を欠いた技術者というのは一般の利用環境でそのテクノロジーに携わる人のこと。邦訳は開発環境で「そういう人がいた」という特殊事例の話のように解してしまっている。


【訳文】

第二にこのリスクは、それ自体が技術的手続きの対象になるその瞬間まで積み重なっていくこと、である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,116頁
【原文】

Sie zeigen zweitens, daß dieses Risiko in dem Moment kumuliert, in dem es selbst zum Gegenstand von technischen Verfahren gemacht wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 104

邦訳だと「リスクは技術的に対処すればなくなる」と主張していることになるがもちろん間違い。ここは「リスクに対処した瞬間にまたリスクが生じる」という意味。


【訳文】

機能作用しないというリスクを抱えている単純化や孤立化という手続きは、このリスクを取り除いたり緩和したりするために反復して使用される。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,116頁
【原文】

Das Verfahren der Simplifikation und Isolierung, das Risiken des Nichtfunktionierens enthält, wird wiederverwendet, um diese Risiken zu beheben oder doch abzuschwächen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 105

この関係節は限定的に訳すとうまくいかない。「単純化および孤立化の手続きには、それがうまく機能しないというリスクが伴うが、このリスクを除去したり緩和したりするのに、同じ手続きが再び用いられる」くらい。


【訳文】

これが説得力をもちえたのは、そのリスクがたんに、機能作用しないという点にのみあるかぎりにおいてであった


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,116-117頁
【原文】

Das vermochte zu überzeugen, solange das Risiko im bloßen Nichtfunktionieren lag.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 105

この段落でルーマンが「言いたいこと」は邦訳のとおりなのだが、この文の時点ではそこまでネガティヴなことは明言していない。匂わされているだけ。「リスクが単なる機能不全のリスクであるかぎりでは、これで説得力があった」くらい。


【訳文】

技術は技術それ自体しか助けられないが、認識できる傾向としては、技術に関してこれまでより多くのリスクとこれまでより多くのチャンスが同時に見いだせる、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,117頁
【原文】

die Technik kann sich nur selber helfen, und die erkennbare Tendenz läßt dafür mehr Risiken und mehr Chancen erkennen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 105

技術が助けになるものは技術以外にもたくさんある(常識的に考えて)。ここは、「技術を助けるものは技術しかない」という意味。そして「より多くのリスクとより多くのチャンス」が見られるのは「技術が技術を助ける」可能性についてである(単に「技術に関して」ではない)。


【訳文】

この点を無視してしまうと、インプットやアウトプットに関する開放性をともなわない、完全な閉鎖性のようなものを約束する技術〔というイメージ〕の社会的構成に依拠することになるだろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,117頁
【原文】

Dies zu ignorieren, hieße: sich auf ein soziales Konstrukt der Technik zu verlassen, das eine komplette Schließung mit Ausnahme der Öffnungen für Inputs und für Outputs verspricht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 105

技術にインプットやアウトプットがないなんてイメージを抱いている人なんていないでしょう(常識的に考えて)。ここは、「インプットとアウトプットに関する開放性を除けば完全な閉鎖」ということ。そういう「社会的に構築された技術観」があるけど、それにのっかっちゃうことになるよ、というのが文全体の意味。したがって、次の文に「こうした〔環境からのインプットも環境へのアウトプットもないという〕条件」とある〔〕内の訳者補足も間違い。


【訳文】

すなわち、一般に使用されるテクノロジーを実現させていく際には、数多くの付随する問題が不可避的にもたらされること


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,117頁
【原文】

daß die Umsetzung in Gebrauchstechnologien eine Fülle von zusätzlichen Problemen mit sich bringt


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 106

邦訳は意味不明。「テクノロジーを実用に供する際には」とか。


【訳文】

技術とエコロジーとの関連は、今日では、世論の知識在庫・経験在庫の一部となっている。それ自体としてはこれはよく知られている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,118頁
【原文】

Zusammenhänge zwischen Technik und Ökologie gehören heute zum Wissens- und Erfahrungsbestand der öffentlichen Meinung. Als solche sind sie bekannt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 106

技術とエコロジーとの関係が世間の常識となっているというのを受けて、「そうしたものとしては」とか「そういう意味では」。


【訳文】

このような「意図せざる副次的結果」というエコロジー問題の位置づけがあたっているとすれば、これは次の二つの連関しあっているかなり新しい種類の現象を説明している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,119頁
【原文】

Wenn diese Lokalisierung der ökologischen Probleme "unerwünschter Nebenfolgen" zutrifft, erklärt dies zwei zusammenhängende und im Ausmaß neuartige Phänomene,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 107

これは「規模において新しい種類の」。


【訳文】

もはや計画したり企図したりする者や、計画や企画の頓挫を甘受しなくてはならない人々


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,119頁
【原文】

die [...], die es geplant und unternommen haben und dann die entsprechenden Rückschläge einstecken müssen


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 107

邦訳は二種類の人がいるように読めるが、正しくは「自ら計画・企画を立てたがゆえにその結果を甘受しなければならない人々」。


【訳文】

流布している見解によれば、今日立てられているリスク問題はその種類も規模も新しいものであり、技術とエコロジーとの関係は、確かにリスクに満ちた決定という領域の全体をカバーするものではないが、現在なされている議論の前面に出てきているとされる。このように見なされている理由も、おそらくは上述した二つの新しい現象にあるのだろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,120頁
【原文】

Hier dürfte denn auch die Erklärung dafür liegen, daß nach einer verbreiteten Meinung die heute sich stellenden Risikoprobleme nach Art und Ausmaß neuartig sind und daß das Verhältnis von Technik und Ökologie zwar bei weitem nicht den Gesamtbereich riskanter Entscheidungen abdeckt, aber doch im Vordergrund der aktuellen Diskussion steht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 107-108

「流布している見解によれば」がかかるのは最初の daß 節の内容だけなのだが、邦訳は両方ともにかけてしまっている。正しくは→「実際、今日話題に上がるリスク問題が種類と規模において新しいものであるとの見解が広く見られること、また技術とエコロジーの関係はリスクを伴う決定の全領域からするとごく一部にすぎないにもかかわらず現今の議論の前面にでてくるのはまさにこの両者の関係であることも、このためであると考えられる」とか。


【訳文】

これは、科学論と関連しているかもしれないが、その関連の仕方はごく限定的であり、またしばしば間接的である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,120-121頁
【原文】

Diese mag in einem Zusammenhang stehen mit wissenschaftlichen Theorien, aber das ist nur sehr begrenzt und häufig nur sehr indirekt der Fall.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 108

日本語で科学論というと科学哲学のたぐいのことである(theory of science / Wissenschaftstheorie)。ここのは「科学的な理論」。社会的な現実構築と科学的・理論的な世界像の間の関連の話をしているのである。


【訳文】

自動車のモータが始動するという想定のもとで約束を取り交わす


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,121頁
【原文】

Man verabredet sich in der Annahme, daß der Motor des Autos anspringt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 108

ふつうに「エンジンがかかる」にしてください。


【訳文】

ウンベルト・マツラナのより広い概念を用いて次のように言うこともできよう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,122頁
【原文】

Mit einem weiteren Begriff von Humberto Maturana könnte man auch formulieren:


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 109

「もう一つの概念」。ここでもまたマトゥラーナの概念を借用するよということ。


【訳文】

構造的カップリングのこうした多様な影響による効果全体を言い表す統一的な定式はもはや存在しないのであり、ましてやその問題を解決できるような理念などもない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,122-123頁
【原文】

Für den Gesamteffekt dieser verschiedenen Auswirkungen struktureller Kopplungen gibt es keine einheitliche Formel mehr, geschweige denn eine Idee, wie das Problem gelöst werden könnte.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 110

邦訳だとまるで理念で問題を解決しようとしているようだ。ここは、「こうすれば問題解決だよという単一のアイデア」。



第6章 決定者と被影響者


【訳文】

こうした問いにおいて問題となっているのは、確率と損害の大きさに関する感受性の度合いであって、それゆえ時間による影響を受けやすい社会的構成なのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,124-125頁
【原文】

Es kommt in dieser Frage auf den Grad an Empfindlichkeit in Bezug auf Wahrscheinlichkeiten und Schadenshöhe an, also auf soziale Konstruktionen, die Zeiteinflüssen unterliegen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 111

「時間による影響」ではよくわからない。これは「時代」とすべき。どの程度の確率、どの程度の損害を有意と感じるかは社会的な構築の結果であって、時代ごとに違うよね(だからリスク概念そのものの規定には使えないよね)という話。


【訳文】

裕福な人々はより多くのものを失うし、貧困層の人々はより飢えに苦しみやすい


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,125頁
【原文】

Die Reichen haben mehr zu verlieren, die Armen werden schneller verhungern.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 112

邦訳はなんか変。「裕福な人は失うものが多く、貧困層の人々はすぐに餓死する」くらい。


【訳文】

もちろん旧来の世界においても、社会的互酬性は個々人にとっての利点と欠点を勘案して合理的に計算されていた。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,126頁
【原文】

Auch in der alten Welt der sozialen Reziprozität wurde natürlich mit individuellen Vorteilen und Nachteilen rational kalkuliert.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 113

この "der sozialen Reziprozität" は2格なので、邦訳のように主語と解するのは不可能。「社会的互酬性が主であった旧来の世界でも、もちろん個人的な利害による合理的計算はあった」とか。原文では主語 es が省略されているのである。


【訳文】

ただ、組織化された援助に対する要望は、その要望をおこなう人に何も義務づけないのに対して、互酬性は、〔相手の側での〕反対給付への構えなしには活性化されえない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,126頁
【原文】

nur kann man Reziprozität nicht ohne Bereitschaft zur Gegenleistung aktivieren, während die Inanspruchnahme organisierter Hilfe zu nichts verpflichtet.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 113

この補足は間違いで〔自分の側での〕とすべき。自分が他人に何か求めるとき、相手が応えてくれたら自分もお返ししてあげるというつもりがないとできないよ、ということ。


【訳文】

人々そのもの」は決定できない。この点については、すでにこの章の見出しにおいて述べられている。すなわち、存在するのはつねに決定者と被影響者である


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,128頁
【原文】

"Die Menschen" können nicht entscheiden. Wir haben dies in der Oberschrift dieses Kapitels vorweggenommen: Es gibt immer Entscheider und Betroffene.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 115

邦訳だと、存在するのは「決定者と被影響者」だけであって「人々そのもの」は存在しない(だから決定もできない)と読める。しかし、ここは「「人類全体」が一つの決定を下すことはできない」なぜなら「決定者がいればつねに被影響者もいる」からだ、という意味。


【訳文】

この点を度外視するにしても、決定者/被影響者という区別は、以下の考察にとって十分である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,128頁
【原文】

Ungeachtet dessen genügt für die folgenden Überlegungen die Unterscheidung Entscheider/Betroffene.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 116

邦訳は文脈を理解できていない。この段落はまず決定者/被影響者の区別を導入し、しかし被影響者/非被影響者の区別は曖昧だよなと注記したうえで、でもまあその点に頓着しなければ決定者/被影響者の区別で十分議論を進められるから安心してね、という流れになっている。それゆえ訳文は「この点を度外視するならば、以下の考察には決定者/被影響者の区別で十分である」とすべき。


【訳文】

このゼマンティクは、人格や組織を、〔環境破壊者かそれとも環境保護者かに応じて〕それぞれに異なった特徴で記述し、コンフリクトについての記述や、分析者自身の環境問題解決への取組みについての記述をもって分析を終わらせる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,131頁
【原文】

Sie beschreibt Personen oder Organisationen mit je verschiedenen Merkmalen und beendet die Analyse mit der Darstellung des Konflikts und des eigenen Engagements.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 118

「分析者自身のアンガージュマン」とかにしておけばお茶を濁せたところ、邦訳はわかりやすくしようとして間違えてしまった。この "Engagement" はコンフリクト状況で「どっちにつくか」ということ。


【訳文】

しかもその際、無理矢理どちらかの味方について、自分の観察(それは他者の観察がそうであるように、まさに自分自身の区別に依拠している)を進める必要はない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,131頁
【原文】

ohne daß die eigene Beobachtungsweise (die genau so von eigenen Unterscheidungen abhängt wie die der anderen) dazu zwänge, Partei zu ergreifen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 118

「無理矢理どちらかの味方につく」のではない。「自らが用いる観察様式のせいで、自動的にどちらかの味方についてしまう」のである。訳者がこの構文を読めていないわけはないのでわかりやすくしたつもりなのだろうが、だとすればこの両者が同じ意味だと思っているということであって、実はもっと問題である。


【訳文】

全般的に言えば、エコロジー上の脅威を前にして、そのリスクが基本的に決定者自身にもふりかかっていると認識されるようになった。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,131頁
【原文】

Vor der ökologischen Bedrohung konnte man im großen und ganzen damit rechnen, daß Risiken im wesentlichen die Entscheider selbst betrafen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 119

この vor は時間的な「前」である。つまり、エコロジー的脅威「以前」には、決定者は被影響者でもあった(がエコロジー的脅威によって両者の分離が進んだ)と言っているのである。邦訳は正反対のことを述べている。「認識されるようになった」という述語も間違い。正しくは、「エコロジー的脅威以前の時代には、リスクは基本的に決定者自身にも影響を及ぼすものと考えることができた」くらい。


【訳文】

この問題は、かつては社会的に境界設定されたカテゴリーによって把握される問題であった。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,131-132頁
【原文】

Das Problem war ein Problem, das sich mit sozial abgrenzenden Kategorien fassen ließ.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 119

訳者には上の誤解があるため、続くこの文も間違い。邦訳は「この問題」なる一つの問題が過去と現在で異なる取り扱われ方をしていると解しているが違う。「かつては問題といえば、社会的に分離した諸カテゴリーのそれぞれによって把握されるものだった」くらい。


【訳文】

それ相応の集団の内部にいれば、それに相応した知識も育めたし、それどころかしばしば十分な連帯や合意能力も育めた。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,132頁
【原文】

Innerhalb der entsprechenden Gruppen konnte sich dann auch ein entsprechendes Wissen, ja oft ausreichende Solidarität und Verständigungsfähigkeit entwickeln.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 119

これも引き続き間違い。というか「それ相応」って何? ここは、上の文を受けて、問題とされることはカテゴリーごとに異なるわけだが、「それぞれの問題に対応する各集団の内部に、固有の問題ごとの知識や連帯や了解可能性が発達しえた」ということ。


【訳文】

近代初期の宮仕えのリスクは、その宮仕えに出向き、宮廷でキャリアを積む人々を際立たせた


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,132頁
【原文】

Die Risiken des Hofdienstes in der frühen Neuzeit zeichneten den aus, der sich ihnen stellte und am Hofe Karriere machte


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 119

この ihnen は Risiken であって、正しくは「リスクをとって宮廷で出世する」。


【訳文】

決定に関与している/決定結果により影響を受けているという社会的徴候は、分出しえない――役割にそくしたかたちででも、また職能身分にそくしたかたちででも、さらに組織としても、あるいはそれ以外の仕方でも、社会システムとして分出できない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,133頁
【原文】

Das Syndrom des Beteiligt-/Betroffenseins ist nicht ausdifferenzierbar — weder rollenmäßig, noch berufsständisch, noch organisatorisch oder in anderer Weise als soziales System.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 120

だから Syndrom に「社会的徴候」なんて意味はないとあれほど……(上のほうで指摘済み)。


【訳文】

さらに――これが上述した第二の観点なのだが――被影響者がそれ相応のリスクを経験することも減少する。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,133頁
【原文】

Ferner, und das ist der zweite, oben angekündigte Gesichtspunkt, nehmen die Erfahrungen der Betroffenen mit den entsprechenden Risiken ab.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 120

訳者は「それ相応の」を多用するのだが意味不明なのでやめてほしい(「それなりに」くらいの意味にしか読めない)。 entsprechend は厳密に「~に対応する」と、「~」の部分を明確にして訳さなければならない。ここは、被影響者は何らかのリスク(として記述される未来の可能的損害が実現した場合)の被影響者なのだから、各被影響者ごとに、それに対応するリスクが存在するのであるが、それを本人がリスクとして「経験」することが少なくなる、という意味。


【訳文】

実際に経験する可能性がこのように脱落することによって、その損害可能性に対する懸念が社会的に加熱しやすくなる。その懸念は、〔その懸念が現実的なものか否か等について〕どんなクロスチェックがなされても、それにしたがったりはしない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,134頁
【原文】

Die Ablösung von Erfahrungsmöglichkeiten hat zur Folge, daß es zu sozial aufheizbaren Befürchtungen kommt, die sich keiner Gegenrechnung fügen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 121

クロスチェックって何? ここは過熱(「加熱」は誤字ですかね)したら「何によっても相殺できない」(手がつけられない)ということ。


【訳文】

抗議運動の分析(第7章)については、後で立ち返ることにしよう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,134頁
【原文】

Wir kommen in der Analyse der Protestbewegungen (Kap. 7) darauf zurück.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 121

「この件[=被影響者の代表の問題]については、抗議運動の分析のところ(第7章)で立ち返ることにしよう」とか。


【訳文】

だが周知の知識にもとづいて考え方を変えさせようとする試みは、たとえば受け手がその人なりの理解の脈絡の中に当てはめて理解しなければならない驚くような情報の伝達のゆえに態度が変わるといった事態にくらべると、それほど見通しが明るいわけではないと思われる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,136頁
【原文】

Versuche, auf bekannten Wissensgrundlagen Einstellungsänderungen zu bewirken, dürften wenig Aussichten haben im Vergleich etwa zur Mitteilung überraschender Informationen, die der Empfänger dann in seinen Verstehenskontext einzuarbeiten hat.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 122

邦訳は「理解」が2回出てきているのが誤訳なのと、書き方が大袈裟すぎてわかりにくい。文意は、人々のリスクに対する態度を変更するのに、既存知識を冷静におさらいしましょうよ、というよりは、いままで知らなかった新情報が出てきて物事を理解するための前提が変わるほうがありそうな話でしょ、ということ。「新しい情報が出てきて、それが人々の理解の前提に追加される場合」とか。


【訳文】

さらに決定者は、被影響者よりも自分のほうが未来において損害に遭いやすいと思っている、と推測してよいだろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,136-137頁
【原文】

Man darf ferner annehmen, daß der Entscheider sich eher als der Betroffene in der Lage sieht, künftigen Schäden zu begegnen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 123

そんなこと推測していいわけがない(常識的に考えて)。邦訳は「被影響者よりも」がかかる場所と、 begegnen という動詞の意味を間違えている。わかりやすく書くと「自分は将来の被害に対処できるという自信は、被影響者よりも決定者のほうが強い」ということ。


【訳文】

それに相応して、政治においてなされているのとは別様のリスク評価やリスク回避可能性の評価が人々の間に見いだされるようになる。それは、専門家による場合と素人による場合とで異なってくる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,137頁
【原文】

Entsprechend findet man in der Bevölkerung andere Einschätzungen von Risiken und Möglichkeiten ihrer Vermeidung als in der Politik, und bei Laien andere als bei Experten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 123

邦訳は「それ」が何を指すのか不明。「リスクやその回避可能性の評価について、政治と住民の間で、また素人と専門家の間で乖離が見られる」とか。


【訳文】

より多くの学習、より多くのコミュニケーションが事態を良いものにするだろうし、これらが少なければ事態は悪化するだろうといった、社会学的に見れば素朴な期待


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,137頁
【原文】

die soziologisch naive Erwartung, daß mehr davon gut und nicht schlecht wäre


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 124

「少なければ悪い」ではなくて「多いことは悪いことではない」。「学習やコミュニケーションが増えるのは良いことであって悪いことではないという社会学的に素朴な期待」とか。


【訳文】

全体社会の通常の活動の中では、そのコミュニケーションに関してイエスという意味供給がなされるのか、それともノーという意味供給がなされるのかは十分に予測可能である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,138頁
【原文】

im Normalbetrieb der Gesellschaft ist hinreichend voraussehbar, ob man sich mit der Kommunikation einer Sinnofferte ein Ja oder ein Nein einhandeln wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 125

einer Sinnofferte は2格で Kommunikation についている。「相手にある意味をコミュニケートしたとき、イエスがとノーのどちらが返ってくるか」とか。


【訳文】

とはいってもリスクのパースペクティブと危険のパースペクティブの不一致によって、根本的で革命的な変動が惹起されるなどと主張しようというのではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,138頁
【原文】

Wir wollen nicht behaupten, daß die Diskrepanz von Risikoperspektiven und Gefahrperspektiven ebenso radikale, revolutionierende Veränderungen auslösen wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 126

訳抜け。直前の文の、文字と印刷の導入との対比で、「それと同じくらい根本的で革命的な変化が惹起される」わけではないということ。


【訳文】

コミュニケーションが矢継ぎ早に継起して連続的に流れているということを考慮に入れると、やや異なった種類の問題が見えてくる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,139頁
【原文】

Eine etwas andere Version des Problems ergibt sich, wenn man die schmalspurige Sequentialität des Kommunikationsflusses bedenkt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 126

邦訳は smalspurig はを前後の間隔の狭さのことと解しているが、これは「狭軌」(ナローゲージ)であって、ここでは流れの「幅の狭さ」のこと。この点は、直後に「一度にコミュニケーションできることは少ない」という議論が続くことからもわかる。


【訳文】

大事なものは結局何なのかを規定した秘義という最終モードによってだろうか。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,139頁
【原文】

durch die letzten Moden der Esoterik, die vorschreiben, worauf es letztlich ankommt?


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 126-127

「最近流行りの」くらい。


【訳文】

そのため被影響者の組織は、自己権威づけというルートで、あるいは正統化されないままで、形成されることになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,139頁
【原文】

Das führt dazu, daß Organisationen der Betroffenen sich im Wege der Selbstermächtigung und ohne Legitimation bilden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 127

und をかってに oder に変えないように。「自己授権によって、それゆえ正統性を欠いたままで」とか。


【訳文】

以上の考察は、コミュニケーションしたり了解の努力をする気を失わせようと目論んだものではない。だが確実なのは、そのための可能性について十分論じ尽くされているとはとうてい言えないということである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,140頁
【原文】

Diese Überlegungen haben nicht den Sinn, Kommunikation und Verständigungsversuche vorab zu entmutigen. Man kann sicher sein, daß die Möglichkeiten bei weitem nicht ausgeschöpft sind.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 127

勝手に「だが」とか「そのための」とか入れないで。第2文は第1文の補足。「これで一切の可能性が尽きたなどとは言えない」くらい。


【訳文】

決定者側の見解の記述と被影響者側の見解の記述、産業界の代表者側の見解の記述と緑の党の側の見解の記述は単純化されてしまっており、観察者から見ると、こう表明する人々自身がその表明内容を信用できずにいるのではないかといった印象が残ってしまう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,140頁
【原文】

Die Standpunktdarstellungen der Entscheider und der Betroffenen, der Industrievertreter und der Grünen simplifizieren in einer Weise, die beim Beobachter den Eindruck hinterläßt, daß der, der sich so äußert, selbst nicht daran glauben kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 127

「見解の記述」とやるとまるである人の見解を他の人が記述しているみたい。ここは本人が言っていることなのだから、「立場表明」とかにすべき。


【訳文】

それぞれの立場固有の色が鮮明に塗られ、その影響力はマスメディアの視点から評価され、過剰に洗練された戦略的議論がおこなわれる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,140頁
【原文】

Die Farben werden zu stark aufgetragen, die Wirkung wird auf die Massenmedien hin berechnet, man findet überraffinierte Strategiediskussionen,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 127

「マスメディアへの効果が狙われ」とかかな。


【訳文】

コミュニケーション・スタイルや了解への構えの改善は、この種の問題に鑑みるときどこまでおこなえば十分でありうるか、という問いに対する眼差しだけはせめて持ち続けなくてはならない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,141頁
【原文】

Nur muß man sich den Blick für die Frage freihalten, wie weit Verbesserungen des Kommunikationsstils und der Verständigungsbereitschaft angesichts eines Problems dieser Art ausreichen können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 128

「どこまでおこなえば十分でありうるか」ではなくて、「どこまで十分でありうるか」。つまりそうしたものを改善するという解決策だけでどこまでいけるか(他の解決策を考えなくてはならないのではないか)ということ。


【訳文】

われわれはリスクを決定への帰属によって定義し、近代社会への移行とそうした移行の完全な達成ともに、過去と未来との差異や未来の決定依存性が増大していくという点から出発した。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,141頁
【原文】

Wir haben Risiko durch Zurechnung auf Entscheidungen definiert und sind davon ausgegangen, daß mit dem Obergang zur neuzeitlichen Gesellschaft und mit ihrer Vollentwicklung die Differenz von Vergangenheit und Zukunft und damit die Entscheidungsabhängigkeit der Zukunft zunehmen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 128

細かいことを言うようですが damit も訳してください。「過去と未来の差異が強まり、それによって、未来の決定依存性が強まる」とか。


【訳文】

また、決定者自身もまた決定者が引き起こす諸帰結の原因の一つと見なされうる、というのも納得できるところであろう


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,141頁
【原文】

und es muß außerdem plausibel sein, daß auch der Entscheider sich als Ursache der Folgen sehen kann, die er auslöst.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 128

muß を勝手に抜かさないように。決定者自身が原因であるということが「納得できなければならない」という必要条件を述べているのである。


【訳文】

一定の形式でリスクを処理するというリスク


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,142頁
【原文】

Risiken einer bestimmten Form des Umgangs mit Risiken


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 129

邦訳はリスク処理がリスクだと述べているがもちろん間違い。「一定の形式でのリスク処理に伴うリスク」とか。


【訳文】

最終的には厄災を引き起こしたり、エコロジカルな負担容量以上の負荷をもたらしたり、株式市場の破綻を引き起こしたりしているのが自分の決定であることを、その決定者自身がまったく確認できないのに、リスクの決定への帰属がなされることも稀ではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,142頁
【原文】

Die Zurechnung von Risiken auf Entscheidungen erfolgt [...] schließlich nicht selten auch dann, wenn der Entscheider gar nicht identifiziert werden kann, dessen Entscheidung das Unglück verursacht, das Faß der ökologischen Belastungen zum Oberlaufen gebracht, den Börsen-crash ausgelöst hat.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 129

「自分の決定であることを、その決定者自身が」とか原文にはどこにも書いてない。正しくは「誰が決定者であるかが同定できないのに」リスクが決定に帰属されるということ。


【訳文】

リスクに満ちた決定に関する観察、ならびに決定と未来とのこうした関連を組み込んだかたちでの近代社会についての周知の記述


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,142頁
【原文】

die Beobachtung des riskanten Entscheidens und der Einbau dieses Zusammenhangs von Entscheidung und Zukunft in die geläufigen Beschreibungen der modernen Gesellschaft


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 129

邦訳では、「近代社会の記述」に「決定と未来の関連」がすでに組み込まれていることになっているが間違い。正しくは「周知の近代社会の記述に、新たに決定と未来の関連を組み込むこと」。


【訳文】

また逆に、全体社会の構造化された複雑性によって引き起こされた環境の変動や、人々がリスクと見なしリスクとして取り扱い回避しようと思っている事態が、決定の帰結であると見なされる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,143頁
【原文】

Und deshalb gilt auch umgekehrt das, was die strukturierte Komplexität der Gesellschaft an Umweltveränderungen auslöst und das, was man als Risiko gesehen, behandelt, vermieden wissen will, als Folge von Entscheidungen;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 130

邦訳は「環境の変動」と「~と思っている事態」の2つのものが「決定の帰結と見なされる」としているが、文脈上ここは1つにまとめなければ理解できない。文意は、前文の「決定に帰属可能な結果がリスクとして扱われる」を受けて、「リスクとして扱われるものが決定の結果として扱われる」とするもの。したがって、「社会の構造化した複雑性が環境変動に対して引き起こす事柄であっても、それがリスクと見なされ、扱われ、回避を試みられるなら、それは決定の結果とされることになる」くらい。


【訳文】

損害の決定への帰属はいわば空虚なかたちで進み[中略]二次的な機能(あるいは場合によっては逆機能)を引き受けている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,143頁
【原文】

Die Zurechnung des Schadens auf Entscheidungen läuft gleichsam leer und übernimmt sekundäre Funktionen (oder wenn man will: Dysfunktionen)


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 130

邦訳はここで列挙される二次的な機能に、場合によっては逆機能も含まれる、と解しているが間違い。ここは、とりあえず「二次的な機能」と書いておくけど、まあ言うたらこれ全部いわゆる「逆機能」のことなんやけどな、という意味。


【訳文】

閾値や損害が生起した時点対抗措置をとるための期間を見積もることができない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,143-144頁
【原文】

ausschließen, Schwellenwerte, Zeitpunkt des Schadenseintritts und Zeit für gegenwirkende Maßnahmen abzuschätzen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 130

未来の話なんだから過去形はやめて。「生起する時点」、それから「対抗措置をとるタイミング」くらい。


【訳文】

経済での状況はこういったものにほかならない。そこでは経済そのもののありうる崩壊やさらには深刻な資本不足――これがリスクに満ちた行動の強化を招くのだが――も考慮されない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,144頁
【原文】

Nicht anders ist die Situation in der Wirtschaft, ohne daß man einen möglichen Kollaps der Wirtschaft selbst oder auch nur einschneidende Kapitalengpässe, die zur Steigerung von riskantem Verhalten führen, in Rechnung stellen könnte.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 130

まず主文について、これは「ほかならない」ではなく、前文まで述べてきたエコロジーの話を受けて「経済においても状況はそれと変わらない」と言っているのである。

次に ohne daß 以下は「~を除けば」という意味であって、経済の場合は「経済それ自体の崩壊や深刻な資本不足を考慮にいれることはできる」と言っているのである。邦訳は正反対のことを書いている。


【訳文】

他方で、〔リスクを生まない〕代替案となりうる決定などありえないし、リスクから解き放たれた行動の可能性などはありえない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,144頁
【原文】

Andererseits gibt es keine Entscheidungsalternativen, keine Möglichkeit risikofreien Verhaltens.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 131

これは「決定に代替するもの」という意味で、それがないと言っているのだから、文意は「あらゆることが決定である」ということ。


【訳文】

旧来の世界においては――説得力をもってこのように言えると思うが――他者の決定によって影響を受けることは、信頼/不信を介して広く規制されていた。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,145頁
【原文】

In der alten Welt, wenn man dies so pauschal sagen darf, konnte das Betroffensein durch Entscheidungen anderer weitgehend über Vertrauen/Mißtrauen geregelt werden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 132

訳者は pauschal を plausibel に見間違えたのだろう。正しくは「旧来の世界なんて大雑把な括り方をしていいなら」ということ。


【訳文】

いわゆる裸の契約 nudum pactum〔無償契約


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,145頁
【原文】

einschließlich des sog. nudum pactum


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 133

無償契約ではなく、「無約因契約」。


【訳文】

したがってまた、信頼される行動や信頼に値する行動へと人を動機づけることが問題なのでもない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,147頁
【原文】

es geht also auch nicht mehr um das Problem der Motivierung zu vertrauendem und vertrauenswürdigem Verhalten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 134

「信頼される行動」ではなく、「信頼するという行動」。訳者はおそらく "zu vertrauendem" で未来受動分詞になっていると思ったのだろうが、この zu は後が3格になっていることからもわかるように前置詞である。


【訳文】

したがって、リスク行動に対する社会的規制の新しい形式について調べてみる必要がある。これを調べることによってのみ、こうしたリスク問題のために旧来の信頼倫理に助けを求めたりはできないという点が、つまり、人を信頼せよと要求したり、また同時に、信頼の表明をする際には慎重で用意周到であるべきだと要求したりする、というのは不可能だということが、十分に確認されるようになる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,147頁
【原文】

Wir müssen also mit neuen Formen der sozialen Regulierung von Risikoverhalten experimentieren, und nur so viel steht fest: daß es nicht möglich sein wird, dafür auf die alte Vertrauensethik zurückzugreifen, also Vertrauen zu verlangen und zugleich Vorsicht und Umsicht beim Erweis von Vertrauen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 134

邦訳はたぶん赤字部分の構文が読めなかったための雰囲気訳。ここは、「さしあたり確実に言えるのは以下のことである」という意味。つまり、旧来の信頼倫理に戻るのが不可能なことはこの段階でも確実に言えるのであって、邦訳が言うように「リスク行動に対する社会的規制の新しい形式について調べてみる必要」はないのである。



第7章 抗議運動


【訳文】

抗議は形式であり、また何らかの内容のテーマであり、形式とテーマが一緒になって、抗議に関するコミュニケーションの再生産が進められ、そのシステムは、そこに所属する活動とそこに所属しない活動とを区別できるようになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,150頁
【原文】

Der Protest ist die Form, das Thema der Inhalt, und beides zusammen setzt eine Reproduktion darauf bezogener Kommunikationen in Gang und ermöglicht es dem System, zugehörige und nichtzugehörige Aktivitäten zu unterscheiden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 136-137

訳者は "das Thema der Inhalt" を「内容のテーマ」と訳しているが、 Inhalt は男性名詞なのでそれなら "das Thema des Inhalts" とならなければならない。ここは "das Thema [ist] der Inhalt" であって、正しくは「抗議が形式、そのテーマが内容であり、この形式と内容が一緒になって」と訳すべき。


【訳文】

十九世紀の社会主義運動とは違って、新しい社会運動は、その対象〔たとえば資本主義〕について詳述する全体社会批判という観点からその目的を規定するのではなく、全体社会に関して何が批判すべき事柄なのかを見つけ出すために、テーマを利用するのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,151頁
【原文】

Im Unterschied zur sozialistischen Bewegung des 19. Jahrhunderts bestimmen die neuen sozialen Bewegungen ihre Ziele auch nicht von einer am Gegenstand spezifizierten Gesellschaftskritik her, sondern benutzen ihr Thema, um herauszufinden, was an der Gesellschaft zu kritisieren ist.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 137

「対象を特定した社会批判」とか。文意は要するに、打倒○○みたいな具体的な目標を予め決めておくのではなく、批判対象たる社会とは別のところに目標を定めておいて、その実現を阻害する要因を社会の中に求めて批判する、ということ。


【訳文】

抗議運動が成功するなら、テーマと抗議との差異が嵌め込まれなければならない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,152頁
【原文】

Wenn sie Erfolg haben, muß die Differenz von Thema und Protest eingezogen werden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 138

邦訳は意味不明。これは「引っ込める」と訳すべき箇所。差異がなくなって、運動も終わる。抗議運動の成功というのはその運動の終わりを意味するわけだ。


【訳文】

また、彼らは、何かを失わざるをえない〔財を所有していた〕人々であり、またそれによって規律化されていた人々であった。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,154頁
【原文】

und es waren Leute, die etwas zu verlieren hatten und dadurch diszipliniert waren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 141

〔〕内の理解で正しいのだが、財を持っているからといって失わざるをえないなんてことはありえない(論理的に考えて)。ここは「失うもののある人々」という意味。英語にすれば "people who have something to lose" である。


【訳文】

むしろ、全体社会は、欲求充足の点で優遇されていたり冷遇されていたりすることに何らかの意味を付与する経済秩序となる。くわしく言えば、最大限の経済的な福祉という意味をである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,157頁
【原文】

Sie ist vielmehr eine Wirtschaftsordnung, die den Bevorzugungen und Benachteiliguugen in der Befriedigung von Bedürfnissen einen Sinn gibt, und zwar den Sinn maximaler wirtschaftlicher Wohlfahrt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 145

これは「福祉」と訳すと意味がわからないので「厚生」とすべきところ。経済的厚生[=効用]の最大化という話。


【訳文】

「社会主義的」と呼ばれる社会運動は、経済的な冷遇状況に鑑みつつ、こうした弊害を除去するよう配慮してほしいと国家にアピールできる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,157-158頁
【原文】

Die sich "sozialistisch" nennende soziale Bewegung kann angesichts wirtschaftlicher Benachteiligungen an den Staat appellieren, für Abhilfe zu sorgen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 145

「自らを「社会主義」と呼ぶ社会運動」。自称です。


【訳文】

先立つ二つの節では抗議運動についての歴史的な回顧をしてみたのだが、リスクの社会学の脈絡では、これらの回顧は固有値をもたない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,159頁
【原文】

Im Kontext einer Soziologie des Risikos haben die historischen Rückblicke der letzten beiden Abschnitte keinen Eigenwert.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 146

「固有値」ってなに? ここは「それ自体としては価値がない」ということ。


【訳文】

また、この問いは、個々の運動が互いに多少なりとも滲透しあって連続性を保っていることをたんに証明する以上に、歴史的にも実り豊かであるとは言えないのだろうか。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,159頁
【原文】

Im Kontext einer Soziologie des Risikos haben die historischen Rückblicke der letzten beiden Abschnitte keinen Eigenwert.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 147

邦訳は比較級の読み方が間違い。ここは、「連続性を保っていると示すこと」と「この問い(=テーマ横断的に同じ形式があるのではないかという問い)」を較べて、どちらが歴史的に有意義であるかといえば後者だ、と言っているのである。


【訳文】

さまざまなテーマを産出していくためにも、一般的な抗議形式のほうが有効であると証明されている


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,160頁
【原文】

Und auch für die Erzeugung von Themen haben sich allgemeine Formen bewährt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 147

これは「テーマがどうやって産出されるかについても、いくつか一般的な形式というものがある」というだけのこと(実際この直後に、テーマ産出の事例を列挙している)。「一般的な抗議形式のほうが有効」とかどこにも書いてない。


【訳文】

こうした形式によって、全体社会は、抗議の中で全体社会それ自体を記述する永続的な可能性を確実に入手できるようになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,160頁
【原文】

Sie garantieren der Gesellschah die Dauermöglichkeit, sich im Protest gegen sich selbst zu beschreiben.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 148

邦訳は gegen 抜け。「社会が、抗議において、社会自身に抗する記述をする」。


【訳文】

けれども、関与者のパースペクティブを異なったものとして成立させるこうした出発点は、それ自体としては定式化されず、パラドックスとして、つまりは異なったものの統一性として不可視化される。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,161頁
【原文】

Dieser Ausgangspunkt, der die Perspektiven der Beteiligten als different entstehen läßt, wird als solcher aber nicht formuliert, sondern als Paradoxie, als Einheit des Differenten, invisibilisiert.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 149

「それ自体としては」ではなく「そうしたものとしては」。


【訳文】

抗議は、そのために提供されている形式の一つである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,161頁
【原文】

Der Protest ist eine der sich dafür anbietenden Formen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 149

「それに適した」くらい。


【訳文】

視点がこのように移動することによって、抗議運動は、それ自体の全体社会構造上の条件を反省しなくてもよくなる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,162頁
【原文】

Sie erspart es ihnen, ihre eigene gesellschaftsstrukturelle Bedingtheit zu reflektieren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 150

「条件を反省」って意味不明。「自らが社会構造に条件付けられているという事実から目を逸らす」とか。


【訳文】

そのコミュニケーションの宛先は存在はしているが、さらに観客や世論もまた存在しているので、抗議運動は、みずからの姿をこれらの中に映し出してみる。観客や世論がその運動にどんな反作用をするのであれ、抗議運動はつねに、これらを考慮に入れなければならない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,164頁
【原文】

Es gibt Adressaten der Kommunikation, aber es gibt außerdem noch die Zuschauer, die öffentliche Meinung, in der sich die Bewegung spiegelt und die bei allen Reaktionen auf sie mitbedacht werden muß.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 151

テレビの話なので「観客」というより「視聴者」だが、それはともかく、赤字部分の原文は「sieに対処する際にはつねにdieをも考慮しなければならない」という形式になっている。邦訳は「sie=運動」、「die=視聴者・世論」と解しており、それは正しいと思うが、原文に明示されていない「対処(Reaktion)」の主体を「視聴者・世論」、「考慮」の主体を「抗議運動」としているのは、文全体の構成からいって間違いだろう(「対処」と「考慮」の主体は同一でなければならない)。

文意としては、抗議運動に対処するのはそのコミュニケーションの宛先(国・政府とか)であるが、抗議運動はテレビ等で報道されることによって、視聴者そして世論の中に反映されることになるため、国が抗議に対処する際には世論のことも考えないといけないよ、ということだと思う。


【訳文】

特に世論は、それがメディアの中で記述されるので、抗議運動を開始するにあたって、どういった共鳴がありうるのか[中略]について吟味するのに役立つ。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,165頁
【原文】

Nicht zuletzt dient sie, dargestellt in den Medien, am Beginn einer Protestbewegung dem Testen möglicher Resonanz


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 151

「特に」は「世論」ではなく、「役立つ」にかかっている。あと本訳書ではdarstellenがしばしば「記述」と訳されているが、ルーマンの術語であるBeschreibungと紛らわしいし、もっと「見せる」感じの訳語でないといけない。「呈示」が無難。で、ここの文意は、世論がメディアで呈示された場合には特にこういう役に立つよ、ということ。


【訳文】

彼らは、こうしたダビデ/ゴリアテ‐観念複合にしたがっているだけですでに注意を引き、共感を呼び覚ます。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,165頁
【原文】

Greenpeace [...] schon nach diesem David/Goliath-Komplex Aufmerksamkeit und Mitgefühl erwecken.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 152

「観念複合」なんて語源に遡った言葉使われても意味不明なだけなので、ここは「コンプレックス」とすべき。邦訳なんだから「判官びいき」とかでもいいだろう。


【訳文】

また、メディアに対する抗議ですらメディアを必要とし、そうした批判によってマスメディアのフォーラムの普遍性が確証されるからである。あるいはそうした批判がまったくおこなわれないかである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,165-166頁
【原文】

weil selbst ein Protest gegen die Medien noch der Medien bedürfte und mit der Kritik die Universalität des Forums bestätigen — oder eben gar nicht vorkommen würde.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 152

würdeと接続法になっていることからも明らかなとおり、ここは「そうでなければ[=メディアを利用しなければ]メディア批判は不可能だ」という文意。


【訳文】

抗議というかたちでみずからに対抗する記述をおこなっているこの全体社会は、まさに事実そうなっているのだと、再三再四、証明できるだろう


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,167頁
【原文】

Eine Gesellschaft, die sich im Protest gegen sich selbst beschreibt, wird sich genau dies nur immer wieder bestätigen können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 154

邦訳はnurを見落とし。正しくは「この事実[=未来は不確実だという事実]を繰り返し確認することしかできない」。


【訳文】

近代の啓蒙プロジェクトという点から見ると、これは重荷のように見えよう


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,167頁
【原文】

Das mag man, vom Aufklärungsprojekt der Modeme her, für bedrückend halten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 154

「暗澹たる気持ちになる」とかそんな感じ。



第8章 政治への要求


【訳文】

政治システムでも、決定のリスクが増大しがちになるのはその二元的コード化のゆえである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,169頁
【原文】

Und auch hier liegt der steigenden Risikoneigung eine binäre Codierung zu Grunde.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 155

「リスク傾向が強まる」とか。


【訳文】

その他、危険なことを阻止したり遅らせたりする活動がある。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,170頁
【原文】

Der Rest ist Verhinderungs- oder Verzögerungsarbeit.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 156

これは前文で「これだけでもうテーマはできた」というのを受けて、「あとはその損害を防いだり遅らせたりするだけだ」と言っているのである。


【訳文】

だが、政治的なレトリックにおいて重要なのはただ、異論を唱えている人が不都合な状況に置かれているように見せる定式を見つけ出すことである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,170頁
【原文】

Aber in der politischen Rhetorik kommt es nur darauf an, Formulierungen zu finden, die den, der widerspricht, in ein ungünstiges Licht setzen;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 156

ここは「それに反する人が不利になるような定式」くらい。邦訳は、自分の側が困っていることをアピールして道場を買う感じだが、正しくは、敵対者のほうが間違っているという印象を与えるようなレトリックの話。


【訳文】

とりわけ、政治的な野党の原則によれば、自己の掲げるテーマを人々に認めさせ、それを政策決定するかどうかのレベルにまで素早くもっていくことのできた者が高く評価される


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,171頁
【原文】

Und vor allem prämiiert das Prinzip der politischen Opposition den, der Themen durchsetzt und rasch zur Entscheidungsreife bringt,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 156

政治システムのコード "Reglierung/Opposition" を「政権党/野党」とするのはなんとか目をつぶることにしても、「政治的な野党の原則」はさすがに勘弁してください。「政治的対立の原理」とか。


【訳文】

旧来の国家政治が「国家理性」に依拠し、国家の目的のために、政治の意図や場合によっては行為そのものをも秘密にしておかなくてはならなかったのに対して、今日ではむしろ逆の問題が生じている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,171頁
【原文】

Während die alte Staatspolitik auf "Staatsräson" setzte und damit begründete, daß man um der Ziele willen Absichten und gegebenenfalls auch die Handlungen selbst geheimhalten müsse, stellt sich heute eher das umgekehrte Problem:


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 156

「国家の」とか「政治の」というのは訳者が補っているのだが、補ってわかりやすくなっているかというと疑問。特に「政治の意図」ってなに? とかいらんことを考えてしまう。あと、秘密にしておかなくてはならないということを「基礎づけた」という部分が脱落しているため、旧来の国家はつねに意図や行為を秘匿しなければならなかったかのように読めてしまう。

「旧来の国家政治の基礎には「国家理性」があった。これに基づき、目的のためなら意図や場合によっては行為そのものをも秘匿しなければならない、とされた」とか。


【訳文】

おそらくはまったくなされえないであろう行為や、まったく何の効果もたらさないような行為をも可視化しなければならないのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,171頁
【原文】

Man muß Handlungen sichtbar machen, die möglicherweise gar nicht stattfinden oder die ihnen zugeschriebenen Effekte gar nicht haben können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 156

「もしかしたら~かもしれない」と「おそらく~であろう」は全然違うのであって、ここでは前者の話をしているのである。あと、「まったく何の効果もたらさないような行為」なんてありえない。

正しくは「そもそも生じない可能性のある行為であったり、それに伴うとされる効果をもたらさない可能性のある行為であっても、とにかく可視化しなければならない」くらい。


【訳文】

政治はたえず見られている必要があり、したがって政治はどんな条件の下で、またどんな期待をもって観察されているのかに注意を向けなくてはならない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,171頁
【原文】

Man muß ständig gesehen werden und seine Aufmerksamkeit darauf richten, zu beobachten, unter welchen Bedingungen und mit welchen Erwartungen man beobachtet wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 156-157

「政治は」というのは訳者の補足だが、ここの主語はどう考えても「人」(具体的には政治家)だろう。どうして「政治」だと思ったのかよくわからん。


【訳文】

探せよ、さらばそれは見つからん!


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,172頁
【原文】

Suchet, und ihr werdet finden!


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 157

聖書(ルカ11:9)からの引用で、そうであることは誰でもわかるのだから、こういうのはそのまま既訳を引用すればいいのになんでちょっと変えるかなあ。原文にない「それは」を補ってなにかいいことがあるか?


【訳文】

決定に関与せず、場合によっては起こりうる損害により影響を受けるかもしれない人々によって(あるいはそういう人たちの名の下で)政治システムに対しておびただしく要求がつきつけられる。しかも、これによっても次のことが予示されている。決定の根拠について検討したり量的な計算をしても、それは、信頼〔の調達〕ほどは重要ではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,173頁
【原文】

Ganz überwiegend wird das politische System von denen (oder im Namen derer) in Anspruch genommen, die an der Entscheidung nicht beteiligt sind, aber von etwaigen Schadensfolgen betroffen sein würden; und auch dadurch ist vorgezeichnet, daß es weniger auf Überprüfung der Entscheidungsgrundlagen oder auf quantitative Kalkulationen ankommt als auf Vertrauen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 158

"in Anspruch nehmen" に「要求を突きつける」という意味はない。この文、正しくは「政治システムを利用する人の圧倒的多数は、自らは決定に関与するわけではないが被害者にはなりうる人であり、このことからも、決定に至った論拠を精査したり、定量的な計算をすることよりも、信頼が重視されると考えられる」くらい。


【訳文】

抗議運動やマスメディアがこの問題をどれほど把握するのかに応じて、政治システムには直接に意見表明が求められ、同時に、権利保護や再分配の修正といった伝統的なアジェンダでは、この問題にはもはや不十分であることが明らかになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,173頁
【原文】

In dem Maße, als Protestbewegungen und Massenmedien solche Probleme aufgreifen, ist das politische System direkt angesprochen, und zugleich wird deutlich, daß die traditionellen Agenden des Rechtsschutzes und der korrigierenden Umverteilung dafür nicht ausreichen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 158

「抗議運動やマスメディアがこの問題を採り上げる限りで、政治システムが直接の話題となり、それと同時に、権利保護や是正目的の再分配といった伝統的なアジェンダでは不十分だということが明らかになる」くらい。


【訳文】

リベラルとか社会主義といった名称も、使い続けるわけにはいかない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,173頁
【原文】

Noch werden Namen wie liberal bzw. sozialistisch weitergeführt,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 158

原文は否定ではない。これは「まだ使われている[けれども無力である]」ということ。


【訳文】

個々人にとっては、運転免許の取り消しや薬に近づくことがすでにカタストロフィかもしれない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,174頁
【原文】

Für den Einzelnen mag schon der Entzug seines Führerscheins oder des Zugangs zu Drogen eine Katastrophe sein.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 159

「薬に近づくこと」ではなく「薬物へのアクセスを禁じられること」。 "des Zugangs" は2格だからね。


【訳文】

なぜなら、このような場合にはまさに、損害の及ぶ精確な範囲が暖昧な領域の中に入り込んでしまうからである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,174頁
【原文】

weil gerade dann der genaue Schadensverlauf mit in die Zone des Ungewissen fällt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 160

Verlaufはそういう意味での「範囲」ではないんですよ。「どこからどこまでが損害かが不確かになる」ということ。直前の部分で何がカタストロフィかは人によって違うという話をしているのを受けたもの。


【訳文】

宇宙論による(とりわけ占星術による)生活防衛もまた、こうしたシンドロームの一角をなしている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,175頁
【原文】

Eine kosmologische (vor allem: astrologische) Absicherung gehörte mit in das Syndrom.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 160

「生活防衛」ってなに? せめて「危険回避」くらいにしてくれないと。


【訳文】

一方で、こうした正しい時点は直観にゆだねられていたのだが、それはまた、合理的な決定実践かどうかを決める目標でもあった。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,175頁
【原文】

Der richtige Zeitpunkt war einerseits der Intuition überlassen, aber auch Ermittlungsziel einer rationalen Entscheidungspraxis.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 160-161

邦訳は雰囲気訳。正しくは「合理的な決定実践の探索目標」すなわち、正しいタイミングは合理的に決定されるべきもの、ということ。


【訳文】

運命の女神は、勇気(virtus)と密接に関連してのみ現れたのであり、したがってこの女神が手助けしその存在を認めたのは優れた者についてであった。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,175頁
【原文】

Sie trat nur in engem Zusammenhang mit der virtus auf, half und bestätigte damit den Tüchtigen,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 161

virtus は「勇気」じゃなくて「徳」(=能力)。それをドイツ語でTüchtigkeitというのである。だから「優れた者」でもまあいいが、「有徳者」(=有能者)のほうがいい。


【訳文】

リスキーな決定〔を避ける〕ための時点の選択は、それ自体、リスキーな決定となっているのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,176頁
【原文】

Die Wahl des Zeitpunktes für eine riskante Entscheidung ist selbst zu einer riskanten Entscheidung geworden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 162

〔〕内になんか補っているが間違い。「リスクを伴う決定を下す時点の選択」で正しい。文意は、リスクを伴う決定をいつ下すかを決めることにもリスクが伴う、ということ。どうしてこんな勝手な補足をつけるのか。


【訳文】

しかし――何も隠匿されていないとしても――それは何のための信頼だろうか。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,179頁
【原文】

Aber Vertrauen wozu? — wenn nichts verschwiegen wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 165

「としても」じゃなくて「としたら」。他人を信頼する必要が出てくるのは、自分が知らない情報をその人が知っていて隠しているときなわけだ。「しかし――何も隠されていないとしたら――信頼なんて何の役に立つのか」。


【訳文】

確かに真理と誠実性を、ともにコミュニケートできるようでなければならないのかもしれない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,180頁
【原文】

Man müßte schon die Wahrheit und die Aufrichtigkeit mitkommunizieren können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 165

「ようでなければならないのかもしれない」ってなに? これ日本語? müßteと接続法になっているのは、前文を受けているのである。つまり、たくさんコミュニケーションすれば伝えたい意味が受容されやすくなるという命題が成り立つには、「真理と誠実性をともにコミュニケートできなければならない」ということ。


【訳文】

こうした状況下でありえそうなのは、コミュニケーションにどのみち胚胎している傾向がコミュニケーションによって強化される、という事態である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,180頁
【原文】

Wahrscheinlich ist unter diesen Umständen, daß die Kommunikation eine ohnehin bestehende Disposition verstärkt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 165

どう読んだら「コミュニケーションにどのみち胚胎している傾向」となるのか不明。正しくは「もともとあった傾向がコミュニケーションによって強化される」。


【訳文】

このような状祝では、〔合意を作り出すという〕効果を当て込んだコミュニケーションは、パラドックスに巻き込まれる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,180頁
【原文】

Forcierte Kommunikation verwickelt sich unter diesen Umständen in Paradoxien.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 166

「〔合意を作り出すという〕効果を当て込んだ」がどこから出てきたのか不明。「こういう状況でなおもコミュニケーションを強行しようとすればパラドックスに巻き込まれる」とか。


【訳文】

このような状況は、政治を記述問題へと駆り立てる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,180頁
【原文】

Diese Situation bringt die Politik in ein Darstellungsproblem.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 166

いちいち指摘することはしないが、この後何度も出てくる「記述」は原語がDarstellungで、英語ならpresentationであり、「呈示」と訳すべき(自己呈示とかの呈示)。


【訳文】

さらに、これは政治については特に言えることだが、二、三やってみるかぎりでは合理的かもしれないものが、全部おこなってみたらもはや合理的ではなくなり、そのため集合的に拘束力のある決定はみずからの行為論的出発点をいつも無効にしてしまう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,181頁
【原文】

Außerdem gilt gerade für Politik, daß das, was rational sein mag, wenn einige es tun, nicht mehr rational ist, wenn alle es tun, so daß kollektiv bindendes Entscheiden die eigenen handlungstheoretischen Ausgangspunkte laufend untergräbt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 166-167

これは「一部の人が行うかぎりでは合理的だが、全員が行うともはや合理的ではないようなこと」。


【訳文】

とりわけいっさいの決定は、ある特定の時点を選ばなくてはならない一つの出来事にすぎない一方で、次の出来事が生起すると、それがきっかけとなってまたしても別の評価が下されたりする。決定が、そのときに観察できるものに拘束されるがゆえにそうなるのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,181頁
【原文】

Und vor allem ist jede Entscheidung nur ein Ereignis, das einen bestimmten Zeitpunkt wählen muß, während der nächste schon wieder Anlaß geben kann, zu anderen Beurteilungen zu kommen; und dies gerade deshalb, weil die Entscheidung sich auf etwas festlegt, was dann beobachtet werden kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 167

邦訳は der nächste [Ereignis] と読んでいるが、Ereignisは中性名詞なので das nächste でないとおかしい。正しくは der nächste [Zeitpunkt] であり、「次の瞬間には再び、別の評価を促すきっかけが与えられる」とすべき。

後半については、邦訳は意味不明。特に dann は決定との同時性ではなく、「その後」という意味だろう。つまり、「決定の結果が事後的に観察可能であるがゆえに」ということ。


【訳文】

ジャーナリストや知識人にとってはぞっとすることかもしれないが、自分は純真な人間だとみずからの素性を明かすような政治家のほうが人々の気に入られるのだろうか。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,182頁
【原文】

Gefällt dann der Politiker, der sich zum Entsetzen der Journalisten und Intellektuellen als simple minded zu erkennen gibt? Oder der mit dem höchsten Unterhaltungswert?


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 167

まずsimple-mindedを「純真な人間」とするのは遠すぎる。これは「馬鹿」のこと。もう少しぼやかすなら「愚直」だが、この言葉は現代日本語ではちょっといい意味すぎる。「ことあるごとにあたしゃ馬鹿ですからみたいなことを言ってジャーナリストや知識人をうんざりさせるような政治家」みたいな。

原文の2文目は訳抜け。「それとも一番面白いことを言える政治家が人気者になれるということなのか」みたいな。


【訳文】

この動向は、機会の勝手気ままな濫用だとされる行為に反対し


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,183頁
【原文】

Der Trend geht gegen ein vermeintlich rücksichtsloses Ausnutzen von Chancen


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 168

この "gehen gegen" は「反対」しているのではなく「近づいている」。「この動向は、もはやどんな機会でもとりあえず利用してやろうと言わんばかりの勢いで」くらいの意味。


【訳文】

つまり、たとえばカント的な道徳律が演繹的には導き出せないこと、あるいは(価値の位階の推移性が欠如している)価値コンフリクトを解決する際には実質的価値倫理は何ら参考にならないこと、個人的な選好を社会的な選好へと集計する際の論理的問題、あるいは行為利益とルール利益の区別等である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,183-184頁
【原文】

also etwa die deduktive Unergiebigkeit des kantischen Sittengesetzes oder die mangelnde Instruktivität einer materialen Wertethik für die Lösung von Wertkonflikten (fehlende Transitivität von Wertordnungen), die logischen Probleme beim Aggregieren individueller zu sozialen Präferenzen oder die Unterscheidung von Handlungsoutzen und Regelnutzen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 169

もう少し専門用語を調べてください。カントについては、道徳律が演繹できないのではなく、道徳律から具体的な行為指針が演繹できないということだろう。「価値の位階」は「価値の順序」(推移性と言ってるんだから。あとこれ、括弧の付く位置が間違い)。「行為利益とルール利益」は「行為の効用とルールの効用」(行為功利主義と規則功利主義の話)。


【訳文】

「〔倫理学の〕プロフェッショナルたち自身は、過度に自制してしまっている


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,184頁
【原文】

"Die Profis selbst halten sich auffallend zurück".


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 169

「過度に自制」まで言ってない。「専門家が出てこないのが気になるところ」くらいじゃないかな。


【訳文】

この決定の中に組み込まれている決定者/被影響者という裂け目は、倫理そのものによっては架橋できない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,185頁
【原文】

Diesen in sie eingebauten hiatus kann die Ethik selbst nicht überbrücken.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 171

「決定者/被影響者という」は訳者が補っているのだが間違い。ここでは、倫理そのものから具体的な行動指針は自動的には導出されず、倫理的規則の適用に際して追加的な決定が必要になるということを指して hiatus と言っているのである。


【訳文】

政治の前線は倫理委員会によって占められている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,185頁
【原文】

Das Vorfeld der Politik wird mit Ethikkommissionen besetzt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 171

「前線」(Front)との混同。このVorfeldは政治の前段階のこと(訳者自身が他のところではそう訳している)。「政治の前段階に来るのは倫理委員会なのである」くらい(前文で、結局組織が重要だよね、と指摘したのを受けている)。


【訳文】

自動車交通での排気ガス


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,185頁
【原文】

Raser im Straßenverkehr


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 171

いろんなリスクが政治化されるとして列挙されている一つ。これは「飛ばし屋(スピード狂)」のこと。なんで「排気ガス」だと思ったのか理解できない。


【訳文】

社会福祉事業の対象者になるリスク


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,185頁
【原文】

das Pflegefallrisiko


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 171

文脈は同上。こんなわかりにくい表現にする必要はなく、「要介護リスク」とすべき。


【訳文】

観光客の足が遠のいてしまった観光地や、生産物を市場価格で売りさばけない農場主は何をするだろうか


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,185頁
【原文】

Und was tun Ferienorte, denen die Touristen ausbleiben, oder Landwirte, die ihre Produkte zu Marktpreisen nicht absetzen können?


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 171

これも同上で政治化されるリスクの例として挙がっているのだが、この書き方だと、金に困った観光業者や農場主は何をするかわからないから怖いよねーという話になってしまう。「観光地なのに観光客の足が遠のいてしまったり、農産物を市場価格で売り抜けなくなってしまったらどうしたらいいか」みたいな。


【訳文】

国家の課題をしっかり限定してくれるカタログを探し求めてもむなしいだけであろうし、自然や全体社会ごとに決められている国家活動の限界を探し求めても無駄だろう。問題の政治化は、政治の問題なのである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,185-186頁
【原文】

Vergeblich wird man nach einem eingeschränkten Katalog von Staatsaufgaben suchen oder nach qua Natur oder Gesellschaft feststehenden Grenzen der Staatstätigkeit: die Politisierung von Problemen ist Sache der Politik.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 171

ここの文意は「政治化に限界はない」ということなのだが、邦訳からはそのニュアンスがまったく読み取れない。「国家が担うべき課題を画定したカタログなり、自然や社会によって定められる国家活動の限界なりといったものは存在しない。問題の政治化こそは、政治の本質なのだ」とか。ついでに言っておくと、この訳書は「問題」という語をあまりにも軽々しく扱っているので読む際には注意が必要である。


【訳文】

政治システムは自己言及的に閉じたシステムであり、政治として定義されるものはどんなものであれ、政治である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,186頁
【原文】

Das politische System ist ein selbstreferentiell geschlossenes System, und was immer es als Politik definiert, ist damit Politik.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 171-172

「政治と定義」されればいいわけではない。ここでは誰が定義するのかが決定的に重要。正しくは「政治システムが政治として定義するものは、なんであれそのことによって政治である」。


【訳文】

まさにこうした閉鎖性こそが、予想されうるあらゆる要求への感受性を作り出してしまう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,186頁
【原文】

Und genau diese Geschlossenheit macht sie empfindlich für alle möglichen Zumutungen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 172

なんでここで「予想されうる」とか余計なこと書いちゃうかなあ。「ありとあらゆる」でいいんだよこんなの。


【訳文】

損害の発生の阻止は、それを等閑にしておくよりも良いことだ、といった議論の論理がこれを助長する。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,186頁
【原文】

und die Logik der Argumentation spricht dafür: es sei besser, das Entstehen von Schäden zu verhindern, als sie nachträglich zu beseitigen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 172

「発生した後で除去するよりも」。


【訳文】

自己言及的な閉鎖性とは、決して政治システムがみずから気に入ったことだけをおこなえるとか、そういうことだけおこなわせたりできる、ということではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,186頁
【原文】

Selbstreferentielle Geschlossenheit besagt nicht, daß das politische System tun oder lassen könnte, was ihm beliebt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 172

「やる」(tun)に対する「やらない」(lassen)だからね。「政治システムが[やるもやらないも]思いのままにできる」くらい。


【訳文】

個々の人格が、自分の個人的な指針を任意に変えたりすれば、その人格に対する信用は失われてしまいうる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,188頁
【原文】

auch wenn Einzelpersonen ihre persönliche Linie nicht beliebig ändern können, ohne ihre Glaubwürdigkeit zu verlieren


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 173

「失わずに変えることはできない」のだから、「変えれば必ず失う」のである。


【訳文】

この決定の継起性には、政治システムの時間構造によって、適宜、句読点が挿入される


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,190頁
【原文】

Diese Sequenz wird durch die Zeitstrukturen des politischen Systems interpunktiert


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 176

辞書を引いたら載っていたからといってなんでも採用していいわけではないだろう。「中断が差し挟まれる」で全然問題ない。


【訳文】

だから、何に対して反作用するかを選び出すには、それなりの強靭力(リジリエンス)と無関心さが必要になる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,190頁
【原文】

es bedarf einer gewissen Robustheit oder Indifferenz, um herausgreifen zu können, auf was man reagieren will.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 176

明らかに英語圏での術語に由来する "Robustheit" を別の英語圏での術語 "resilience" にしてしまうのは一体……。普通に「ロバストネス」でいいだろう。あと「選び出す」と言っているのに「無関心」はいただけない。差異に対してある程度目をつぶるということなのだから「無頓着」のほうがいい。


【訳文】

以上から不可避的に得られる結論はこうである。政治システムは、作動上閉鎖しそれ自体の構造によって決定されているシステムとしてのみ、また非トリヴイアルな歴史的な機械としてのみ、自己組織化された回帰性にもとづいてのみ、作動できるようになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,190頁
【原文】

Es ergibt sich zwangsläufig daraus, daß das politische System nur als operativ geschlossenes, sich durch eigene Strukturen determinierendes System, nur als nicht-triviale historische Maschine, nur auf Grund von selbstorganisierter Rekursivität arbeiten kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 176

邦訳は推論の方向が逆。正しくは「政治システムは」以下の内容から、この直前まで論じていた政治システムの固有時間云々の話が不可避的に導かれるのである。邦訳はEsをdaß節の内容、darausのdaをこの直前までの内容と解しているが苦しい解釈。このdaをdaß節の内容と解すべき。そもそも、daß節は「政治システムは作動的に閉鎖している」という内容を違う言い方で3回繰り返しているだけなのだが、この命題それ自体はこれ以前の部分で何度もまるで自明のことであるかのように主張されてきているのであって、ここで得られる「結論」などではないのである。

上の「リジリエンス」もそうだが、このあたり、邦訳は英訳書に結構依拠しているようだ。しかし私の印象では英訳書もあまり訳の精度がよくないように思う。


【訳文】

このようにして政治システムは、差し当たり問題から解放されるが、同時に問題が再政治化される可能性の条件を設定してもいる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,192頁
【原文】

Durch Regulierungen dieser oder ähnlicher Art ist das politische System das Problem einstweilen los, fixiert zugleich aber die Bedingungen einer möglichen Repolitisierung.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 177

「この種の規制によって」。「規制」という法的手段で政治の問題が免除されるというところが重要なので、この語は入れるべき。


【訳文】

いわば問題は、どこかのシステムがその内的な衝動にもとづいて再び取り上げるまで、システムとシステムの間の隙間で休止してしまう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,192頁
【原文】

Es schläft sozusagen auf der Ritze, bis das eine oder das andere System auf Grund interner Anstöße es wieder aufgreift.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 178

「どちらかのシステムが」。政治システムと法システムの話をしているのであって、「どこかのシステム」が勝手に出てきても困る。


【訳文】

確かにこの考えは、統治権(imperium)(権力potestas)と裁治権(iurisdictio)との中世的な準‐統一体から領邦国家という成熟段階にいたる中で(スアレス、ホッブズ、プーフェンドルフ)発展し、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,192頁
【原文】

Diese Vorstellung hatte sich zwar aus der mittelalterlichen Quasi-Einheit von imperium (potestas) und iurisdictio in der Reifungsphase des Territorialstaates (Suarez, Hobbes, Pufendorf) entwickelt


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 178

邦訳が「AからBにいたる」としているのは "aus ... in ..." をそう読んだのだろう。しかしそうであればinの後は4格でなければならないが、原文は der Reifungsphase と3格なので、邦訳のように読むことはできない。正しくは、「この考えは、領邦国家の成熟期におけるimperiumとjurisdictio(potestas)との中世的な擬似統一(スアレス、ホッブズ、プーフェンドルフ)から出てきたもので」くらい。


【訳文】

いわば所有と類比的に、法システムが公的機関のバーゲニング・ポジションを確定するのに役立つときには、法システムは先述したのとはいささか違った仕方で政治的に利用される。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,192頁
【原文】

Auf etwas andere Weise wird das Rechtssystem politisch benutzt, wenn es, quasi analog zum Eigentum, der Festigung von Verhandlungspositionen öffentlicher Instanzen dient.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 178

交渉上の立場を「確定する」のではなく「強める」のである。そして、法システムがそういう効果をもつのは、本来は中立的であるはずの「法システム」が、一機関の「財産・持ち物」のように働くときだということ。「所有と類比的」ではこの点がわからない。


【訳文】

だがその法規範は実際には、また〔法規範を適用する側の〕意図に即してみるならなおのこと、法を貫徹する権限のある地位に交渉力を付与するのに資している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,192頁
【原文】

Faktisch, und wohl zunehmend auch der Intention nach, dienen sie jedoch der Erzeugung von Verhandlungsmacht derjenigen Stellen, die befugt sind, das Recht durchzusetzen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 178

この訳書ではdurchsetzenが全部「貫徹する」と訳されているのだが、だいたい全部訳語としては不適切である。いちいち指摘するのは面倒なので、一応ここで指摘しておく。なお、この箇所は「法を執行する」とすべき。


【訳文】

しかしだからといって、何らかの政治的決定――政治的決定を下したからといってそれが同時にすでに、法的決定(たとえば議会における議決)でもあるというわけではない――が法システムに指示を与えることができるとは言えない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,193頁
【原文】

Dies bedeutet nicht, daß irgendeine politische Entscheidung, die nicht zugleich schon Rechtsentscheidung (zum Beispiel eine Abstimmung im Parlament) ist, dem Rechtssystem eine Weisung erteilen könnte.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 179

邦訳は、同時に法的決定であるような政治的決定は存在しないと言っているのだが、「議会における議決」は明らかに、法的であると同時に政治的でもあるような決定の例として挙がっているわけだから、邦訳の読み方は成立しない。原文の括弧の付け方もちょっと変だが、正しくはこうだろう――「同時に法的決定でもあるような政治的決定(例えば議会における議決)ででもない限り、なんらかの政治的決定が法システムに指示を与えることはありえない」。


【訳文】

法システムのオートポイエティックな自律性や作動上の閉鎖性にもかかわらず、こういった構造的カップリングを介して、構造変動の長期的傾向が貫徹していく――観察者は、自分自身の理論を駆使してこうした構造変動を外部の原因に帰属させたりできるが――。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,193-194頁
【原文】

Ungeachtet aller autopoietischen Autonomie und operativen Schließung des Rechtssystems setzen sich über solche strukturellen Kopplungen Langfristtrends des strukturellen Wandels durch, die ein Beobachter, wenn seine eigene Theorie ihn dazu disponiert, auf externe Ursachen zurechnen kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 179

wenn節は、「彼[=観察者]の理論が彼[=観察者]をしてそうせしめる場合には」となっている。「理論を駆使して」というのはなんか無理矢理感があってニュアンスが違う。


【訳文】

明らかに法システム自体の中に、政治と結びついた立法という方途の利点と欠点が記録されており


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,195頁
【原文】

Offenbar werden im Rechtssystem selbst die Vorteile und die Nachteile des an Politik gebundenen Weges der Gesetzgebung registriert


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 182

ここ以外でもregistrierenを「記録する」と訳した箇所があったがたいてい不適切。ここは「どうやら法システム自体の内部でも~が気づかれたらしく」くらい。


【訳文】

法システムは、政治的な規準に応じることをとおして、また裁判が固有の展開を示すようになった結果として、ますます法自体の行動の法的な帰結の予見可能性を、法の条件でありまたその限界でもある規範プログラムへと組み入れるのを断念している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,197頁
【原文】

daß das Rechtssystem, teils auf politische Vorgaben hin, teils in der Konsequenz eigener Rechtsprechungsentwicklungen, mehr und mehr darauf verzichtet, die Voraussehbarkeit der rechtlichen Konsequenzen des eigenen Verhaltens als Bedingung und Grenze in die Normprogramme einzubauen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 183

前者は「[法システムに属するものであるところの]裁判の展開の結果」。後者は、予見可能性を「条件および限界として規範プログラムに組み入れるのを断念」しているのである。(おそらくこの部分、英訳書を参照して間違えたのだと思う。)


【訳文】

確かに家計や企業は、あちらこちらの自分の銀行口座により多くの支出を記帳せざるをえなくなるとき、みずからの経済的な計算においてどんなことが起こるのかを計算できる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,198頁
【原文】

Haushalte und Unternehmen können zwar kalkulieren, was in ihrer eigenen Wirtschaftsrechnung geschieht, wenn sie auf dem einen oder anderen Konto mehr Ausgaben verbuchen müssen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 184

「銀行口座」ではなく「帳簿」。


【訳文】

政治は、外部からはリスクに満ちた行動から帰結しうる危険を縮減しようとする、実り豊かなあるいはあまり成果の出ない、いずれにせよ計画的な試みとして記述される


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,199頁
【原文】

Nach außen wird Politik als ein erfolgreicher oder weniger erfolgreicher, jedenfalls planmäßiger Versuch dargestellt, die Gefahren zu reduzieren, die aus riskantem Verhalten resultieren können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 184

「外部からは~として記述される」のではなく、「外部に対して~として呈示される」のである。


【訳文】

ある政府の成果貸借対照表の中に、「たんに何もしなかった」などという項目が記入されているのを発見するのは稀である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,199頁
【原文】

Man findet selten, daß bloßes Nichthandeln in den Erfolgsbilanzen einer Regierung aufgeführt wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 184

こういう訳し方が許されるのは、政府が実際に「成果貸借対照表」なるものを作成しており、「たんに何もしなかった」なる記述が稀とはいえ記載されることがある場合だけである。ここは「何もしなかったことが政府の実績に数えられることはまずない」くらい。


【訳文】

事態の進展を見守り、さらなる専門家の所見を要請した結果、状況の劇的な盛り上がりが沈静化し〔何らかの有効な対策を講じてもさして注目・評価されなくなっ〕たり


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,199頁
【原文】

Oder man wartet ab, fordert weitere Gutachten an und findet sich dann entweder mit einer abflauenden Dramatisierung der Situation oder (...)


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 185

リスク状況に対し、政治にできるのは介入/不介入のいずれかであるという議論が前提で、ここでは不介入の場合に生じうる結果が列挙されているのだが、これは単に「状況の沈静化」でいいだろう。つまり不介入が奏功する場合であり、訳者による〔〕内の補足は不要かつ見当外れである。


【訳文】

しかもすでに推測しておいたように、リスキーな決定を下そうとしているのだといった自己呈示を政治がしていない場合にも、というよりしていないときにこそ、そうなのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,200頁
【原文】

Und dies auch und gerade dann, wenn die Politik, wie oben vermutet, nicht in der Lage ist, sich selbst als riskantes Entscheiden zu präsentieren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 185

"in der Lage sein"は可能性の表現であるから、邦訳のように「している場合/していない場合」みたいな区別が成立しうるかのような書き方をしてはいけない。「仮に政治が自らをリスクを伴う決定として呈示することが不可能だとしても、いやそれが不可能だからこそ、そうなのである」みたいな。



第9章


【訳文】

というのは、農業における不作や生産の失敗の問題は危険の一つにほかならないが、これらを労働力や資本の誤った投資という観点から考えるなら、危険にはならない。その投資を別なかたちでやっていれば、利益になったかもしれないからである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,201頁
【原文】

Denn das Problem der Mißernten in der Landwirtschaft oder des Produktionsfehlers ist nur eine Gefahr - es sei denn, daß man Derartiges unter dem Gesichtspunkt der Fehlinvestition von Kapital und Arbeitskraft betrachtet, die anderweit lukrativ hätten eingesetzt werden können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 187

議論を投資と信用のリスクに限定することにした理由を「というのは」と書き始めているのだが、邦訳は全然理由になっていない。正しくは「というのは、農業における不作とか生産の失敗は危険にすぎないからである。ただし、これらについても、資本や労働力の投入に失敗した(つまりもっと利益になるやり方があった)と見るのであれば話は別である」くらい。


【訳文】

そのリスクは特に、精算されることによって生じる諸帰結の範囲を限定できるかどうかの可能性に(……)依拠している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,202頁
【原文】

Und Risiken hängen deshalb nicht zuletzt von der Möglichkeit ab, den Bereich der zu bilanzierenden Folgen einzuschränken


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 187

経済のリスクを貨幣経済のものに限るとしたのを受けてこの文である。邦訳は文法的にも間違っているし、意味も通じない。これは「勘定に書かれる結果」つまり「貨幣換算できる結果」ということ。


【訳文】

このとき、支払いそのものに変換されないものは、獲得することもできないし失うこともない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,202頁
【原文】

Dabei wird nichts gewonnen und geht nichts verloren, was nicht jeweils in der Zahlung selbst übertragen wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 188

邦訳のように読もうと思ったらinの後が4格でないといけないが原文は3格である。つまり、「そのつどの支払いにおいて受け渡されないものは」が正しい。


【訳文】

したがって、企業特有の貸借対照表を用いて、あるいは、世帯特有の家計簿によって計算されうる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,202頁
【原文】

Man kann also mit Hilfe von unternehmensspezifischen Bilanzen oder mit Hilfe von haushaltsspezifischen Budgets kalkulieren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 188

主語がないから意味わからん。ただ原文を読んでもよくわからない。「計算は、貸借対照表や家計簿を用いて[はじめて]可能になる」ということかなあ。ちょっと降参。


【訳文】

したがって、企業特有の貸借対照表を用いて、あるいは、世帯特有の家計簿によって計算されうる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,202頁
【原文】

Man kann also mit Hilfe von unternehmensspezifischen Bilanzen oder mit Hilfe von haushaltsspezifischen Budgets kalkulieren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 188

主語がないから意味わからん。ただ原文を読んでもよくわからない。「計算は、貸借対照表や家計簿を用いて[はじめて]可能になる」ということかなあ。ちょっと降参。


【訳文】

言い換えると、貨幣量の総体性そのものを獲得したり失ったりすることはありえない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,202頁
【原文】

Es gibt, anders gesagt, keine holistischen Qualitäten der Geldmenge, die man gewinnen oder verlieren könnte


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 188

邦訳は Qualitäten を Quantitäten と見間違え。ここもよくわからないが、とりあえず直訳すれば「貨幣量に獲得したり失ったりできるような全体論的性質は存在しない」となる。


【訳文】

こうした量への縮減がなされるのは、貨幣のもつ抽象性のためである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,202頁
【原文】

Zu dieser Reduktion auf Quantität kommt die Abstraktheit des Geldes,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 188

この "zu ... kommen" は「……に加わる」の意味。「貨幣はこのように量に縮減されるわけだが、それに加えて抽象的でもある」ということ。


【訳文】

もちろんそうだからといって、経済が実際にリスクとは無縁に作動しうるというわけではない。とはいえ貨幣の使用について決定を下している「モジュール」、つまり企業や家計に、リスクが付着したままになっているわけでもない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,202頁
【原文】

Das heißt natürlich nicht, daß die Wirtschaft praktisch risikofrei arbeiten könnte; wohl aber, daß die Risiken an den "Modulen", den Unternehmen und Haushalten, hängen bleiben, die über Geldverwendung entscheiden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 188

これは "nicht ... aber ... " で「……ではないけど……ではある」と言っているのである。後半の文意は、経済のリスクは「企業や家計にくっついたまま離れない」(のであって支払われる貨幣と一緒に受け手へと移動するわけではない)ということである。邦訳は正反対のことを書いている。


【訳文】

貨幣を支出した人が貨幣をもう一度手に入れることができない、という事態は十分ありうる。というのは、しかるべき見通しが思惑違いだったと判明したりするからである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,203頁
【原文】

Es kann sein, daß derjenige, der Geld ausgegeben hatte, nicht in der Lage ist, es sich wiederzubeschaffen, weil sich entsprechende Aussichten als Fehlspekulation erweisen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 189

邦訳はweil以下をdaß節の外に出しているがそんな読み方はできない。またFehlspekulationは「投機の失敗」であって「思惑違い」ではない。正しくは「貨幣を手放した後、投機が失敗に終わり、再度の資金調達が不可能になることがありうる」。


【訳文】

貨幣の受領をもっと後の時点まで延ばしてほしいと要請されている支払いの受け手が、もっと高い要求を掲げたり、もっと高額を要求したり、あるいは極端な場合には、そもそも相手の支払い約束を信じようとすらしなくなる、といったことも考えられる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,203頁
【原文】

Es kann auch sein, daß die Zahlungsempfänger, denen man die Annahme von Geld zu einem späteren Zeitpunkt zumuten will, höhere Ansprüche stellen, höhere Preise verlangen oder im Extremfalle überhaupt nicht mehr bereit sind, sich auf Zahlungsversprechen einzulassen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 189

邦訳では意味がよくわからない。willのニュアンスをちゃんと出すには次のようにすべき。「債権者に支払期日を延ばしてくれと頼んだら、要求水準や金額を上げられたり、極端な場合にはもう後払いには応じないと言われてしまったりする可能性もある」。


【訳文】

貨幣を所有せず貨幣を作り出せない人は、もはや経済システムには参加できない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,204頁
【原文】

Wer kein Geld hat und sich keines beschaffen kann, nimmt nicht mehr teil.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 189

大抵の人は貨幣を作り出したりできない。ここは「貨幣を調達できない人」。


【訳文】

デフレーションとインフレーションは、ある意味で経済システムの免疫反応なのである。(……)免疫システムの反応は、その他の免疫反応も例外なくそうであるように、それ自体危機に瀕することもある


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,204頁
【原文】

Deflationen und Inflationen sind in gewisser Weise Immunreaktionen des Wirtschaftssystems, mit denen dieses auf eine zu hohe Risikobelastung reagiert. Sie sind, wie Reaktionen des Immunsystems durchweg, in sich selbst nicht ungefährlich.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 189

邦訳赤字部分、「免疫システムの反応」以外の「免疫反応」ってものがあるの? 免疫反応が「危機に瀕する」ってどういうこと? 正しくは「デフレとインフレは、免疫システムの反応が一般にそうであるように、それ自体が危険なものとなることがある」。


【訳文】

貨幣をまだ手にしていない人は、デフレーションの条件のもとではますます貨幣が支払えなくなる(あるいは、支払えるとしてもせいぜい後になってからである)。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,204頁
【原文】

Wer noch Geld hat, wird es unter der Bedingung von Deflation um so weniger (oder allenfalls später) ausgeben.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 189

邦訳は原文と正反対。正しくは、「まだ貨幣を手にしている人は、デフレの条件下ではますます貨幣を手放さなくなる(少なくとも同額を使い切るのが遅くなる)」くらい。


【訳文】

他方で、競争圧力のゆえにリスクを引き受けなければならない。〔もしリスクを受け入れないというのであれば〕その唯一の代替策は仕事の量を減らしたり、あるいは最終的には市場から身を引くだけである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,205頁
【原文】

Andererseits führt aber der Konkurrenzdruck dazu, daß Risiken übernommen werden müssen mit der einzigen Alternative, das Geschäftsvolumen zu verkleinern oder letztlich aus dem Markt auszuscheiden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 190

邦訳はどうも労働者の立場で考えているみたいだが間違い。GeschäftsvolumenはWikipediaにも項目が立っていて、それによるとROA(総資産利益率)の分母を構成するようなので「総資産」のことらしい。しかし「総資産を縮小する」では文脈上わかりにくいので、ドイツ語の語感に従って「ビジネスの規模を縮小する」くらいにしておけばいいだろう。


【訳文】

しばしば単純に、債権の精算に時間的なずれが生じるのを甘受するかどうかだけが問題だとされたりする


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,205頁
【原文】

Oft handelt es sich einfach um die Inkaufnahme einer Verzögerung des Forderungsausgleichs.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 190

原文に邦訳のようなネガティヴなニュアンスはない。「リスクのなかでもよくあるのはこういう単純なやつ(=債権回収の遅延)だ」と例示しているだけ。


【訳文】

形式的にはこうした事例もリスク計算の一つと見なされる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,205頁
【原文】

Formal kann man auch solche Fälle unter Risikokalkulation subsumieren,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 190

「リスク計算に付される」とか。


【訳文】

銀行はその機能のゆえに、どんなときでも経済へと支払能力を供給し続けなければならず


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,209頁
【原文】

Ihre Funktion weist sie an, für jederzeitige Zahlungsfähigkeit in der Wirtschaft zu sorgen,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 194

邦訳は形容詞のかかり方がおかしい。「どんなときでも支払える能力」を経済に供給するのである。


【訳文】

こうして多様なリスクが調整され分配されていく。あるいはこれらのリスクは、高いリスク選好度を高い(しかし同様にリスキーな)利益獲得チャンスと組み合わせることによって市場化される


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,209頁
【原文】

Auf diese Weise werden unterschiedliche Risiken ausgeglichen und verteilt; oder auch so markiert, daß höhere Risikofreude mit höheren (aber eben riskanten) Gewinnchancen kombiniert wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 195

邦訳は markiert を marketisiert と間違えており、また因果関係も逆になっている。なお本訳書では markieren は「マークする」と訳されている。正しくは「あるいはそうなっているとマークされることで、高いリスク選好と高い利得チャンス(ただしこれにはリスクも伴う)が組み合わされる」みたいな。


【訳文】

さらに、銀行は今や銀行自体のリスク管理のために、助言という任務をも引き受け


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,209頁
【原文】

Zusätzlich zum eigenen Risikomanagement übernehmen Banken nun auch Beratungsaufgaben


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 195

邦訳は Zusätzlich と zu の間で切ってしまっているが、これは続けて読んで「……に加えて」の意味になる。つまり正しくは、「銀行は自らのリスク管理に加えて、顧客相手の投資相談も業務として行っている」みたいな。


【訳文】

したがって、上記の説明の中では支払約束という言い方をしており、法的な概念を用いて債権とは述べなかった


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,210頁
【原文】

Deshalb spricht man von Zahlungsversprechen und nicht mit einem juristischen Begriff von Forderungen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 195

邦訳のようなことを言いたいときは、主語を一人称にしたり、「上記の説明の中では」といった参照を入れたり、過去形にしたりするだろう(つまり邦訳が補っていることを原文がやっているだろう)。ここはもっと一般的なことを述べたものと解すべき。いやそこまで断言はできず原文にも曖昧さは残るというのであれば、訳文でも「だから法的な概念を用いて債権と言うのではなく、支払約束と言うのである」みたいに曖昧にしておけばいい。


【訳文】

最後に、全体像を得るために、銀行システムの三段階のヒエラルヒーについてもう一度議論する必要がある。というのは、銀行システムもリスクの分配に役立っているからである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,210頁
【原文】

Schließlich müssen wir, um ein Gesamtbild zu gewinnen, auf die dreistufige Hierarchie des Bankensystems zurückkommen, denn auch sie dient der Risikoverteilung.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 196

この主語sieは単数女性なので、中性名詞のBankensystemではありえない。これはHierarchieである。


【訳文】

商業銀行の実践は、こうした支払不能のリスクを銀行自体とその顧客とに分配している(個々の大口顧客や個々の市場セグメントにあまりにも依存していることが、銀行をリスクに陥らせるのであり、典型的な破綻原因となっている)。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,210頁
【原文】

Die Praxis der Geschäftsbanken verteilt das Insolvenzrisiko zwischen sich selbst und den Kunden (was es riskant macht und zu einem typischen Bankrottanlaß werden läßt, zu sehr von einzelnen Großkunden oder einzelnen Marktsegmenten abhängig zu sein).


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 196

邦訳は構文が読めていないことによる雰囲気訳。正しくは、wasは括弧の外の文の内容を指し、esは次のコンマの後のzu不定詞句を指す(邦訳はesが「銀行」を指すと解しているが間違い)。つまり括弧内は、「これにより、個々の大口顧客や個々の市場セグメントに過剰に依存することがリスクとなり、典型的な破綻原因となるのである」となる。


【訳文】

中央銀行は発券銀行として支払不能にはなりえず、したがって、それ自体が支払不能になるリスクを手がかりにしつつその貨幣市場政策を制御することもできない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,210頁
【原文】

Die Zentralbank dagegen nimmt eine Ausnahmestellung ein. Sie kann als Notenbank nicht insolvent sein und ihre Geldmarktpolitik daher auch nicht am eigenen Insolvenzrisiko kontrollieren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 196

中央銀行が貨幣市場政策を制御できないわけないし、原文に「できない」なんて書いてない。制御するんだけど、その基準は自分とこの破綻リスクじゃないよ、と言っているのである。


【訳文】

貨幣政策的な介入はすべて、それ自体リスクに満ちている。なぜならそれは、こうした複雑な脈絡では成功疑いなしというわけにはいかず、せいぜいのところ短期的に素早く反応しながら運用されなければならないからである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,211頁
【原文】

Alle geldpolitischen Eingriffe sind dann ihrerseits riskant, weil sie in diesem komplexen Kontext nicht erfolgssicher, sondern allenfalls kurzfristig und reaktionsschnell gehandhabt werden können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 196

「せいぜいのところ~なければならない」なんて日本語はない。「せいぜい短期的かつ迅速に運用していくくらいしかできない」くらい。


【訳文】

銀行業務のパートナーがどれだけリスキーに行動しているのか、またこのパートナーが市場をどのように観察しているのか、またそのパートナー自身が市場への他の関与者によって、とりわけまた証券取引所によって、どのように観察されているのか


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,211頁
【原文】

wie riskant die Geschäftspartner operieren, wie diese ihren Markt beobachten und wie sie ihrerseits durch andere Marktteilnehmer und nicht zuletzt auch durch die Börse beobachtet werden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 196

「銀行業務のパートナー」というと仕事仲間みたいだ。これは「取引相手」とか。それから、「証券取引所」は観察したりしないので、ここはもっと観念的に「相場」とか。


【訳文】

それゆえ、リスクをともなったその業務は、別のタイプのリスクへの変換や他のリスク負担者にとってのリスクへの変換をともなった業務なのである。だが、リスクの安全への変換という業務ではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,211頁
【原文】

Und ihr Geschäft mit Risiken ist folglich ein Geschäft mit der Transformation von Risiken in Risiken anderen Zuschnitts oder anderer Risikoträger, aber nicht ein Geschäft der Transformation von Risiko in Sicherheit.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 197

このmitは「伴う」という意味ではなく、「扱う」対象を指している。つまり「銀行がリスクを扱うというとき、それはリスクを他の形のリスク、他のリスク負担者が担うリスクに変換するということであって、リスクを安全に変換するということではない」とか。


【訳文】

リスクを処理し、それを受容可能な形式に変える(……)その受容可能な形式は、経済事象の時間的な引き延ばしから生まれる


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,212頁
【原文】

die Risiken zu bearbeiten und in akzeptable Formen zu bringen, die sich aus der zeitlichen Streckung des Wirtschaftsgeschehens ergeben.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 197

このdieの先行詞、邦訳はFormenと解しているが、Risikenと読まないと意味が通らない。経済現象が時間的な延長をもつ(つまり未来へと延びている)からこそリスクが生じる、という意味だと思う。実際、邦訳は意味不明である。


【訳文】

しかし、近年、金融市場において新しい種類の資金調達手段が発展してきている。それは、財政力があり少なくとも支払能力のある巨大組織への信頼を介して、多かれ少なかれリスキーな資金調達やリスク引き受けに取り組むというよりも、むしろ特別な業務条件の特性に焦点を当てるものである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,212頁
【原文】

In jüngster Zeit haben sich jedoch auf den Finanzmärkten neuartige Finanzinstrumente entwickelt, die mehr oder weniger risikoreiche Finanzierungen oder auch Risikoübernahmen weniger über das Vertrauen in große, finanzkräftige, jedenfalls zahlungsfähige Organisationen lösen, sondern mehr auf die Spezifizität der besonderen Geschäftsbedingungen abstellen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 197

邦訳は赤字部分の置き場所がまずいために、最近ではリスクをとらなくなったかのように読めてしまう。「リスクを伴う資金調達やリスクの引き受けについて、~ではなく~するようになってきた」みたいな形にすべき。


【訳文】

言い換えれば、市場の観察についての観察は、ますます他者の予測へと向けられ、市場がみずからの業務成果をどう考慮するのかというその形式にだけ向けられるのではなくなる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,212頁
【原文】

Anders gesagt: die Beobachtung der Beobachtung des Marktes richtet sich mehr und mehr nach den Prognosen anderer und nicht nur nach der Form, in der sie ihr eigenes Geschäftsergebnis kalkulieren.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 198

邦訳は赤字部分の主語sieを「市場」と解しているが、このsieは複数なので単数で出てきているMarktではありえない。複数で登場しているのは「他者」だけだから、ここはsieもihrも「他者」である。つまり正しくは、「市場の観察についての観察は、他者が自分の成果を計算する形式だけでなく、ますます他者の予測へも向けられるようになる」とか。


【訳文】

それは、システム全体としてはあらかじめ秩序図式が与えられないまま、個々の情報処理中枢同士がネットワークを作っている、つまり、それぞれ隣の中心と結びついているような組織である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,213頁
【原文】

Organisation, die einzelne Informationsverarbeitungszentren vernetzt, das heißt: mit jeweils benachbarten Zentren verknüpft, ohne dafür vom Gesamtsystem her ein Ordnungsschema vorzugeben.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 198

邦訳は順番が変なことになっている。一文の中で同じ単語に「中枢」と「中心」という異なる訳語を当てるのも紛らわしい。正しくは「個々の情報処理中枢を結びつけてネットワーク化する組織、つまり全体システムからあらかじめ秩序図式を与えられないまま、個々の中枢がそれぞれ隣接する中枢と結びついてできる組織である」くらい。


【訳文】

少なくともそうなれば、何について、いつ合意に達したのかくらいはわかるようになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,213頁
【原文】

Wenigstens weiß man dann, wenn man sich verständigt, auf was.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 198

邦訳のように「いつ」が主題化していると読むにはwennではなくwannでなければならない。ここは、「合意がなされた場合、少なくとも何について合意がなされたかはわかる」ということ。



第10章 組織におけるリスク行動


【訳文】

個々人の選好の多様性を考慮に入れ、さまざまなデータを蓄積することでそうした多様性をいくら中和化しようとも、そうである


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,214-215頁
【原文】

auch dann nicht, wenn man die Verschiedenheit individueller Präferenzen berücksichtigt und sie über Datenaggregation neutralisiert;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 201

邦訳は選好と関係ないデータを集めてきて、個人選好の多様性を「中和化」(これも変な訳語だが)するという話にしているけど、これは正しくは、各個人の選好を「集計」して一つの社会的選好をつくる話だろう。


【訳文】

とはいえ、個々人の態度の多様性を中和化(あるいは操作、と言ってもよいだろうが)しようとする社会学においても


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,215頁
【原文】

Aber auch in der Soziologie, die individuelle Einstellungsunterschiede zu neutralisieren (oder wie man sagt: zu kontrollieren) versucht,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 201

「操作」ではよくわからない。「統制」かな。


【訳文】

全体社会も機能システムも、それ固有の統一性を、コミュニケーションのネットワーキングと回帰的な再生産とによって産出している。これらのシステムは、固有のシステムとして、以後のコミュニケーションを先取りしたり以前のコミュニケーションに立ち返ったりしながら、コミュニケーションを必要としている


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,215頁
【原文】

Die Gesellschaft und ihre Funktionssysteme produzieren ihre eigene Einheit durch Vernetzung und rekursive Reproduktion von Kommunikationen, die sie in Vorgriffen und Rückgriffen als eigene in Anspruch nehmen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 202

赤字部分、主語のsieは邦訳のとおり「システム」(複数)でいいが、目的語のdieはEinheitだろう。産出した統一性(=単位)を、システムは自らに属する「単位として利用する」、と言っているのである。


【訳文】

決定がもしそれ相応の意識状態やコミュニケーションとかかわっていないとわかると意識やコミュニケーションがかかわっているかのように装われる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,216頁
【原文】

und wenn sie als solche, was Bewußtseinslage und Kommunikation betrifft, nicht aufzufinden sind, werden sie fingiert.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 203

訳者が "was ... betrifft" で「……に関する限り」を意味するという用法を知らなかったための無理矢理訳。正しくは、前文で「ある決定が決定でありうるには別の決定が必要」とされたのを受け、「意識状態やコミュニケーションに関する限り、そういう決定が見つからなかった場合は、決定が捏造される」ということ。


【訳文】

これによって決定しないことも決定となり、また無価値なものも因果性を獲得するようになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,216頁
【原文】

Dadurch werden auch Unterlassungen zu Entscheidungen, und Nullwerte gewinnen Kausalität.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 203

文前半の言い換えである。Nullwertはゼロ値すなわち「無」を表す値で、無から因果関係が生まれることになると言っているのである。


【訳文】

完全に合理的な(最適な)決定が不可能であり、また、ある決定がどんな決定となるのかを予見することが不可能であることを考慮に入れるなら、いっさいのコミュニケーションは、後に注目に値すると思われるようになるかもしれないものに注目しなかったというリスク、あるいは、間違っていたとか非難に値するものだと後日見なされるかもしれない仕方で決定を下してしまうリスクになる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,217頁
【原文】

Angesichts der Unmöglichkeit perfekt rationalen (optimalen) Entscheidens und angesichts der Unmöglichkeit, vorauszusehen, was eine Entscheidung gewesen sein wird, wird jede Kommunikation zum Risiko, etwas nicht beachtet zu haben, was nachträglich als beachtenswert erscheint, oder in einer Weise entschieden zu haben, die nachträglich als verkehrt oder als sonstwie vorwerfbar erscheint.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 203

邦訳は「未来から見た過去」感の表現が不十分(まあ雰囲気的にはなんとなくわかるが)。「完全に合理的な(最適な)決定が不可能であり、ある決定がどんな決定であったことになるのかを予見することも不可能である以上、いっさいのコミュニケーションは、注意すべきことに注意していなかったとか、決定の仕方に問題があったと事後的に非難されるリスクとなる」くらい。


【訳文】

最上位の規則はこうである。つまり、わずかな予期せぬことも許さない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,218頁
【原文】

Die oberste Regel ist: keine Überraschungen zuzulassen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 204

もう少しまともな日本語で。「想定外は許さない」とか。


【訳文】

単純な行動が、当該行動についての高級形態の決定へと格上げされているわけである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,218頁
【原文】

Die schlichte Tätigkeit wird auf die Hochform einer Entscheidung zur Tätigkeit gebracht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 205

Hochformと「行動についての決定」は同じことを言っているのである。「高級形態の決定」だと「下級形態の決定」もあるみたいに読める。ここは、「単なる行動が、行動についての決定へと格上げされる」でよい。


【訳文】

これらの決定は時間的に順々に下されなくてはならなくなる。たとえ個々の決定の際に、すでに決定されたことに回帰的に影響がもたらされたり、逆にまだ決定されていないことに対して前もって影響を与えてしまったりするとしてもである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,219頁
【原文】

Sie müssen zeitlich nacheinander getroffen werden, wenn auch in jedem Einzelfall mit rekursivem Rückgriff auf schon Entschiedenes und mit Vorgriff auf noch zu Entscheidendes.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 205

「影響」の話ではない。本来は、ある決定を前提として次の決定が下されるという時間的な順番を守らなければならないのだが、実務上は日程的に厳しかったりするので必ずしも実際には順番は守られず、ただ手続き上はすでになされた決定を事後的に承認して次の決定につなげたり、まだなされていない決定を見越して今の決定を下したりといったことが行われるよ、という話。


【訳文】

リスクを引き受けた上で決定にいたらざるをえない――そのリスクとは決定提案が受け入れられることもあれぱ拒否されることもあるという点にあるわけだが――のであれば、そのかぎりで


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,219頁
【原文】

Soweit man zu einer Entscheidung unter Risikoübernahme kommen muß — und das Risiko kann in der Annahme ebenso wie in der Ablehnung eines Entscheidungsvorschlags liegen —,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 205

「決定提案が受けいれられた場合にも、拒否された場合にも、リスクはある」だろう。


【訳文】

リーダーによるプロジェクトの記述という形式をとることでも


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,219頁
【原文】

in der Form von Projektdarstellungen durch die Protagonisten


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 206

これはいわゆる「プレゼン」のこと。だからDarstellungを「記述」と訳すなとあれほど。


【訳文】

組織というシステムはしたがって、組織自体のオートポイエーシスに資する、つまりみずからを産出してくれる問題について解決策を見いだすのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,221頁
【原文】

Das System findet also Lösungen für die Probleme, die es seiner eigenen Autopoiesis verdankt, also selbst erst erzeugt hat.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 207

ここはシステムの一般論であるから勝手に「組織という」とか足さないように。しかしそんなことより、関係節の訳が完全に出鱈目である。動詞verdankenは「[主語]が[3格]に[4格]を負う」のように使うもので、ここでは主語esは「システム」、3格は seiner eigenen Autopoiesis 、4格dieはProblemeである。つまり「システムは問題を自らのオートポイエーシスに負う」である。also以下も、主語はシステム、目的語はdieすなわち問題であり、「システムが問題を自ら初めて生み出した」である。まとめると、正しくは「システムは、自らのオートポイエーシスに由来する問題、つまり自ら生み出した問題に対して、解決を見つける」となる。


【訳文】

リスクに関するもっとも重要な経験――しかも研究成果として以上に日常経験――の一つは、起こるまいと見なされていた損害が見込みや計算に反して起こってしまった場合、当該事象に対する評価が変わってしまうということである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,221頁
【原文】

Zu den wichtigsten Erfahrungen mit Risiken, und zwar Alltagserfahrungen mehr als Forschungsresultaten, gehört: daß ein Bewertungsumschlag eintritt, wenn sich gegen Hoffnung und Berechnung der für unwahrscheinlich gehaltene Schaden dann doch einstellt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 207

「当該事象」って何? 起こってしまった事象のこと? 違うよね。生起確率とかを含めたリスクについての評価だよね。こういう下手な捕捉を入れると失敗するのでやめよう。


【訳文】

その計算は、評価が事後的に修正されうるというリアリティに対して無関心ではいられない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,221頁
【原文】

Der Kalkül ist nicht indifferent gegen die Realität, die Einschätzung wird nachträglich revidiert,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 207

邦訳は赤字部分をリアリティの内容だと解しているが間違い。これは2つの文が並んでいる(もしくは前半が後半の説明になっている)のである。正しくは「計算は現実を無視できず[できないため]、評価は事後的に修正される」。


【訳文】

何が妥当しているかを現在において知りたいだけでなく、将来何か別のことが妥当してしまっていたりしないという確信もちたいのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,223頁
【原文】

Man möchte nicht nur gegenwärtig wissen, was gilt, sondern auch sicher sein, daß künftig nicht etwas anderes gegolten haben wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 209

現在妥当していることが将来通用しなくなって別のことが妥当するようになったっていいんですよ。正しくは「別のことが妥当していたなんてことにはならない」。現在妥当していることが、後になってから妥当していなかったとか言われないことが大事。


【訳文】

あるいは事故を封じ込めようとする際に、その組織自体をリスクに――このリスクは当該組織とその組織の確証済みの手続きとに分散されねばならないが――巻き込んでしまう場合


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,223-224頁
【原文】

oder in der Unglücksbekämpfung selbst Risiken stecken, die man auf die Organisationen und ihre bewährten Verfahren verteilen muß.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 209

要するに事故撲滅の試みが、組織および既存の手続きにとってリスクになる場合だが、邦訳がこういうふうに訳している理由がよくわからない。「分散」とは?


【訳文】

公式的な理解にしたがえば個人的にはまったく責任のない人も「責任を引き受け」るような事態にもなる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,224頁
【原文】

Das Ritual geht so weit, daß jemand, der nach offizieller Verständigung persönlich ganz unschuldig ist, "die Verantwortung übernimmt" und geht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 210

「まったく責任のない人」、これは「責任」という語を避けて「まったく非のない人」とか「責められる謂れのない人」とかにしたほうがいい。あと、こういう場合に日本語では「責任を引き受ける」とは言わず、「責任をとる」とか「責任をかぶる」と言う。あと "und geht" が訳抜け。「責任をとって去る」のである。


【訳文】

事後的な分析によって、当時の決定について理解が得られたとしても、リーダー層はその場合でもまさに責任がないことを証す責任がある


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,226頁
【原文】

Selbst wenn man bei rückblickender Analyse Verständnis für die damalige Entscheidung aufbringen kann: die Führung haftet auch und gerade für Unschuld.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 212

ずっと「トップが腹を切れ」という話をしてきているんだから、ここにきて「責任がないことを証」してしまったら台無しである。ここは、(分析により当時の決定が妥当であったと認められて)責められる謂れのないこと(Unschuld)に対しても、トップは責任をとる、という文意。


【訳文】

正義が問題となっているのではなく、決定の成果が問われている。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,226頁
【原文】

Es geht hier nicht um Gerechtigkeit, sondern um Erfolg.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 212

どうして不用意に「決定の」とか入れてしまうかなあ。ここは前文の、トップは悪くなくても腹を切らなければならない、という議論を受けて、そんなのは不正義だという人がいるかもしれないけど、これは「正義の問題じゃなくて、そうやったほうがうまくいくという話なんだよ」と言っているのである。


【訳文】

もちろん、以上の考え方は、組織システムの幹部も当該システムの中で活動しているという事実、また計画や方針決定も当該システムの中でのみなされており、したがって幹部が計画を立てなくてはならないので、みずからが計画の対象にならざるをえず、その他の諸要因と並ぶ一要因として幹部自身も反省的に計画の中に組み込まなくてはならないという事実を何ら変えるものではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,226-227頁
【原文】

Selbstverständlich kann ein solches Konzept nichts daran ändern, daß auch die Leitung des Systems im System tätig ist, daß auch Planung und Kursentscheidungen nur im System stattfinden, also reflexiv sich selbst einbeziehen müssen als ein Faktor unter anderen, der, weil er planen muß, geplant werden muß.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 212

邦訳が「幹部」としているのはLeitungだがこれは女性名詞なのでerでは受けられない。「計画を立てなくてはならない」の主語erはein Faktorであり、これは Planung und Kursentscheidungen のことである。正しくは「また計画や方針決定もまたシステム内でしか生じないものであって、それゆえ自らを他の諸要因と並ぶ一要因として反省的に取り入れなくてはならなない。すなわち、この要因それ自体が計画の対象とならなければならない」。


【訳文】

これによっても、全体社会の構造を前提とするヒエラルヒーへの依拠は、その基盤を失う。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,227頁
【原文】

Auch das entzieht einer in Anlehnung an die Gesellschaftsstruktur vorausgesetzten Hierarchie den Boden.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 213

原文の構造に忠実に訳すと「社会構造への依拠において前提とされていたヒエラルキー」。こう変えたからといってわかりやすくなるとは思えないが。


【訳文】

その結果、リーダーは、人事の成功か失敗かにリスクを見いだすことになり、他方、部下は、リーダーによって自分が受容されるか否かにリスクを見いだすことになるだろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,229頁
【原文】

Im Ergebnis wird dies dazu führen, daß die Führung ihr Risiko in Erfolgen oder Mißerfolgen sehen muß, die Untergebenen ihr Risiko dagegen in der Akzeptanz durch die Führung.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 215

直前の部分で、人事の失敗は、他に適当な人材がいたかどうかを調べるのが困難だから批判されにくく、この点リーダーは安心していられると書いているのだから、ここの成功・失敗は人事の話ではありえない。これは経営の成功・失敗の話だろう。



第11章 そして科学は?


【訳文】

この種の周知の事態は、機能システムの二元的コード化に焦点をあわせると、より明確に定式化される


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,231頁
【原文】

Bekannte Sachverhalte dieser Art formieren sich deutlicher, wenn man auf die binäre Codierung des Systems abstellt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 217

修正しても文意はほとんど変わらないが、これはformierenをformulierenに見間違えていますよね。正しくは「より明確な形をとる」くらい。


【訳文】

自分が乗っている乗り物のヘッドライトで前方を照らしながら研究を進めるわけにはいかなくなるので、その研究は、暗闇の中へと深く入り込んでしまう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,233頁
【原文】

Die Forschung arbeitet nicht im Scheinwerferlicht ihres eigenen Fahrzeugs, sie wird seitab ins Dunkel geführt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 219

私もここの譬喩、腑に落ちているわけではないが、原文には「ヘッドライトで前方を照らしながら研究を進めるわけにはいかなくなる」ではなく、「研究というのは自分の乗っている乗り物のヘッドライトの光の中で進められるわけではない」とある。ヘッドライトは前方を照らすものであり、車自身を照らすものではないので、これは一般的に言えることではある。よくわからないのは、それと「道を逸れて暗闇の中に入り込んでしまう」こととの関係である。その点に限っては邦訳のほうが(誤訳だが)疑問の余地は少ない。他方で、どうしてライトで前方を照らしながら研究を進めるわけにはいかなくなるのかについてはやはり理解できない。私の暫定的な結論は、ここでのルーマンの譬喩がちゃんと成り立っていない、というものである。


【訳文】

本書ではしかし、科学もまた、そのつどの固有の状態からのみ出発でき、科学固有の作動によってみずから生産した構造(理論、方法)のみを使用できるオートポイエティックなシステムである、ということを間接的に確認しておくにとどめたい


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,233頁
【原文】

Indirekt bestätigt sich hier aber nur, daß auch die Wissenschaft ein autopoietisches System ist, das nur vom jeweils eigenen Zustand ausgehen und nur diejenigen Strukturen (Theorien, Methoden) verwenden kann, die es selbst mit eigenen Operationen produziert hat.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 220

この訳書では hier を「本書では」と訳している箇所が他にも散見されるが大抵間違い。この部分は、前文までの、科学は自分では答えられない問題をつきつけられた挙句答えられないと非難されるorzみたいな話を受けて、しかし「それは間接的に~ということを示しているのにすぎない」と言っているのである。


【訳文】

他方、もし真理が獲得されうる場合には、被影響者(それは科学者自身かもしれない)のパースペクティプからする危険が問題となる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,234頁
【原文】

Wenn Wahrheit gewonnen wird, handelt es sich in der Perspektive der Betroffenen (und das können die Wissenschaftler selber sein) um eine Gefahr.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 220

可能性の話ではない。正しくは「真理が獲得された場合」。


【訳文】

真/偽という科学のコードの統一性は、このようにしてほとんど不可避的にリスクと危険の同時生産を保証している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,234頁
【原文】

Die Einheit des Wissenschaftscodes wahr/unwahr garantiert auf diese Weise eine nahezu zwangsläufige Co-produktion von Risiken und Gefahren,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 220

「不可避的に……保証」するのではなく、「不可避的な……同時生産」。


【訳文】

科学はむしろ、有効な研究成果を上げる見込みが高まれば高まるほど、その研究成果を適用することで生じるかもしれない危険を強化するのに貢献してしまうだろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,234頁
【原文】

Sie werden eher dazu beitragen, mit der Wahrscheinlichkeit validierter Forschungserträge auch die Gefahren zu steigern, die mit ihrer Verwendung verbunden sein können.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 221

この主語 sie は複数だから「科学」ではありえない。これは前文の wissenschaftseigene Risikokalkulationen (科学に固有のリスク計算)。


【訳文】

その代わりに科学批判は、同じように外部から観察を提案するが、同時に、科学はみずからを改革せよとか、よりよい「本来的な」科学たれといった要求を掲げる形式を探し求め、そして見つけ出している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,236頁
【原文】

Statt dessen sucht und findet Wissenschaftskritik Formen, die ebenfalls eine Beobachtung von außen suggerieren, aber zugleich den Anspruch erheben, die Wissenschaft selbst zu reformieren oder sogar bessere, "eigentliche" Wissenschah zu sein.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 222

科学に対する批判者たちは「自分たちが科学それ自体を改革してやろうとか、さらには自分こそがよりよい「本来的な」科学であると主張」しているのである。


【訳文】

ユルゲン・ハーバマスはこの点に関しては固く沈黙を守っているが、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,236頁
【原文】

Jürgen Habermas hält sich in dieser Hinsicht stärker bedeckt,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 222

「固く沈黙を守っている」は強すぎ。フッサールと較べれば「この点に関してそこまであからさまではないが」くらい。


【訳文】

最近の社会学的な科学論も同様の状況について論じている。もっとも、批判的な論調は弱く(批判はむしろ見当違いな科学論に向けられる)、〔科学批判が科学でもあるという〕反省的な自己含意をより明瞭に意識しているため、科学と科学批判をまとめて一気に分析するという傾向を有している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,236頁
【原文】

Die neuere soziologische Wissenschaftsforschung bearbeitet eine ähnliche Konstellation, allerdings mit abgeschwächten kritischen Tönen (die Kritik wird eher an irreführende Wissenschahstheorien adressiert) und mit deutlicher hervortretendem Bewußtsein der reflexiven Selbstimplikation und folglich mit der Tendenz, die Wissenschaft und ihre Kritik in einem Zuge aufzulösen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 222-223

邦訳はどちらも「科学論」と訳しているが、前者は科学社会学的な経験的研究、後者は科学哲学的ないわゆる「科学論」であって別物である。またこのauflösenは「分析」ではなく「解体」だろう。


【訳文】

自己言及的な推論を堅く禁止する古典的な認識論的・方法論的前提に保護されながら、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,237頁
【原文】

unter dem Schirm klassischer erkenntnistheoretischer und methodologischer Prämissen, die selbstreferentielle Schlüsse strikt verbieten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 223

これは「推論」ではなく「閉鎖」。


【訳文】

しかもこうなると、真理にもとづいた知識真理にもとづいた知識の危険性についての知識も含めて)が必要な場合に用いられず、急拵えでその場をしのがざるをえなくなったり、「印象主義的」に決定せざるをえなくなったり、といった事態になりかねない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,237頁
【原文】

Und das kann die Folge haben, daß wahres Wissen (mit Einschluß von Wissen über die Gefährlichkeit wahren Wissens) im Bedarfsfalle nicht zur Verfügung steht und man dann zum Improvisieren oder auch zu "impressionistischem" Entscheiden genötigt sein wird.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 223

「真理にもとづいた知識」では意味不明。ふつうに「真なる知識」とすべき。


【訳文】

そうした発展の一例として挙げられるのがとりわけ、観念論から超越論的主観への移行や、さらには認識論の基本コンセプトとしての言語理論への移行である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,237-238頁
【原文】

Dazu zählt vor allem der Übergang von der Ideenlehre zum transzendentalen Subjekt und von dort zur Theorie der Sprache als Basiskonzept der Erkenntnistheorie.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 223-224

初学者が間違えやすいalsの用法(英語のasでも同様)。これは、「認識論の基礎が、観念論から超越論的主観へ、さらには言語理論へと移行してきた」経緯みたいな意味。


【訳文】

「適合(adaequatio)」とか、内的事態と外的事態の「一致」といった旧来の規準の代わりに


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,238頁
【原文】

An die Stelle des alten Kriteriums der "adaequatio" oder der "Korrespondenz" von internen und externen Sachverhalten


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 224

邦訳は2つあるように書いているが、これは単に最初ラテン語で書いたものを現代語で書き換えただけ。「適合」と「一致」と訳語をかえてもいいが、「内的事態と外的事態の「適合」あるいは「一致」」とすべき。


【訳文】

そしてこれもまた自己論理的な推論を強いる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,238頁
【原文】

Und auch das zwingt zum autologischen Schluß;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 224

autologyを「自己論理」と訳すのは間違い(sociologyを「社会論理」と訳すようなもの)だと思うがそれはとりあえず不問に。ここでもSchlußは「推論」ではなく「閉鎖」。auto-なんとかが頭についた場合は大抵「閉鎖」だと思って間違いない(自己完結的な意味での閉鎖)。


【訳文】

こうしたエピステーメーの雰囲気にとって特徴的なのは、カタストロフィとかカオスといった言葉が数学的・物理学的な秩序概念になっているということである。そのためあたかも秩序を指し示すためのお馴染みの言葉のほうは、もはや信用できないきわめて多くの諸前提を付き従えた言葉であるかのように見えてしまっている


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,239頁
【原文】

Und für die Stimmungslage dieser Episteme ist kennzeichnend, daß Worte wie Katastrophe oder Chaos zu mathematischen und physikalischen Ordnungsbegriffen werden, so als ob die vertrauteren, Ordnung bezeichnenden Worte zu viel unglaubwürdig gewordene Voraussetzung mitführten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 225

訳者はかなり過去形に無頓着だがここもそう。正しくは、まるでかつての語が~であったかのように、現在はカタストロフィなりカオスなりの語が秩序を表象する語としとなっている、ということ。


【訳文】

熱力学がもはやエントロピーという方向での時間の流れだけでなく、不均衡の強化、散逸構造の発生、多様な区別や情報の生成などといった逆方向の時間の流れも規定するようになったことで、物理学的な根拠により過去と未来の区別が生じることの不可避であるゆえんが、把握可能となった。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,239頁
【原文】

Indem die Thermodynamik nicht mehr nur den Zeitpfeil in Richtung Entropie festlegt, sondern auch den gegenläufigen Aufbau von Ungleichgewichten, dissipativen Strukuren, Unterschieden, Information, macht sie die Zwangsläufigkeit begreifbar, mit der aus physikalischen Gründen ein Unterschied von Vergangenheit und Zukunft entsteht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 225-226

「逆方向の時間の流れ」なわけないだろう(常識的に考えて)。時間の流れは同じ(つまり過去→未来)なんだけど、それがエントロピー(つまり偏りのない一様化)の方向に導くだけでなく、不均衡、散逸構造、差異、情報(つまり偏りのある秩序)の方向にも導くと考えられるようになった、ということ。


【訳文】

科学のリスクの問題は社会学にまで及ぶ


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,239頁
【原文】

reicht man das Problem des Risikos von Wissenschaft an die Soziologie weiter.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 226

邦訳だと社会学もこの問題にやられるという感じだけど、ここは「社会学に受け渡される」つまり「社会学が論じるべきテーマになる」ということ。


【訳文】

社会学もまた、多様なやり方でリスクの問題と向き合っている


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,239頁
【原文】

Auch die Soziologie kommt auf manche Weise entgegen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 226

これは単に「社会学にはいろいろアプローチがある」くらいじゃないか。訳者は「リスクの問題」を補っているがこの段落ではリスクの問題については論じていない。


【訳文】

社会学は、反省的状況についてはたとえば参与観察の方法論や自己成就的予言といったかたちで、限定的な経験しかもっていない


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,239頁
【原文】

Sie hat begrenzte Erfahrungen mit reflexiven Verhältnissen, etwa in der Methodologie teilnehmender Beobachtung oder bei selffulfilling prophecies.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 226

原文に邦訳のようなネガティヴなニュアンスはない。「一定の経験がある」だろう。


【訳文】

システム分化の公理


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,240頁
【原文】

Das Theorem der Systemdifferenzierung


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 227

「公理」じゃなくて「定理」。


【訳文】

公理が、もはや何らかの明白で一義的なものとしてではなく、


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,241頁
【原文】

wenn sie unter Axiomen nicht mehr etwas evident Einsichtiges versteht,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 228

Eindeutigesと見間違えた? 「明証性」くらいか。


【訳文】

研究成果についての記述はその信頼性を強調するのに対し、その成果への批判はその逆を強調する。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,243頁
【原文】

Die Darstellung der Ergebnisse stellt deren Zuverlässigkeit heraus, die Kritik betont das Gegenteil.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 230

だからDarstellungを「記述」と訳すなとあれほど(「呈示」である)。「研究成果を発表する側はその信頼性を強調し、批判する側はその反対を強調する」。


【訳文】

たとえば何らかの科学的制度のプロジェクトリーダーとされている人は、次のように記述する。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,243頁
【原文】

So schreibt zum Beispiel jemand, der sich als Projektleiter einer wissenschaftlichen Institution ausweist,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 230

邦訳は意味不明。「研究所の有能なプロジェクトリーダーであれば」くらい。


【訳文】

だが、これらの公衆は、自動車産業とは別の主張をもった別の立場の人々から問いかけられているのだと知れば、その専門家の主張は信頼のおけないものだと推論するだけに終わるかもしれない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,244頁
【原文】

Aber dieses Publikum sieht sich dann von anderer Seite mit anderen Angaben bedient und kann nur auf Unsolidität der Expertenangaben schließen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 230

科学的な根拠を伴わない主張が科学的として呈示される場合の話。ここは、「また違う立場の人から違った話を聞かされることになり、結局専門家のいうことなんか信用できないとなってしまうかもしれない」くらい。邦訳は "mit A bedienen" で「Aを与える」という意味になることが見えておらず "von anderer Seite mit anderen Angaben" がひとまとまりだと誤解している。


【訳文】

「リスク社会」が人々をひきつける効果はどんなケースでもきわめて強力であろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,244頁
【原文】

Der Sogeffekt einer "Risikogesellschaft" wäre auf alle Fälle zu stark.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 230-231

「いずれにせよ」。科学の信用の濫用を非難し阻止せよというのが眼目ではないとする前文を受けて、そんなことをしてみたところでいずれにせよ、と続いているのである。


【訳文】

「リスク社会」が人々をひきつける効果はどんなケースでもきわめて強力であろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,244頁
【原文】

Der Sogeffekt einer "Risikogesellschaft" wäre auf alle Fälle zu stark.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 230-231

「いずれにせよ」。科学の信用の濫用を非難し阻止せよというのが眼目ではないとする前文を受けて、そんなことをしてみたところでいずれにせよ、と続いているのである。


【訳文】

もしわれわれが事実の重みを正しく評価しているならば、科学が権威の失墜というリスクから逃れられるのは、科学がそのリスクをみずからの内に招き入れることによってのみである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,244頁
【原文】

Dem Risiko eines Autoritätsverlustes kann die Wissenschaft, wenn wir das Gewicht der Fakten richtig einschätzen, nur dadurch entgehen, daß sie ihn selber herbeiführt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 231

邦訳は文意が理解できなかったのであろう無理矢理訳。herbeiführenに「招き入れる」という意味はない。これは「もたらす」「生ぜしめる」という意味の動詞。主語sieは「科学(die Wissenschaft)」で、目的語ihnは、邦訳はこれをRisikoと解しているが「リスクをもたらすことによってリスクを免れる」ではただの矛盾なので、このihnは「権威の失墜(Autoritätsverlust)」と解すべき。つまり、「科学が自らの権威を自ら失墜させてしまう」ことで、権威が失墜してしまうかもしれないリスクからは免れうるわけだ。同段落の後続の文章も、権威なんて無理という論調で進んでいる。


【訳文】

こうした決定が下されると、〔その決定以後積み重ねられた〕過去は、進化として、つまり非蓋然的だった事柄が今やきわめて高いレベルの蓋然性を達成し、それによりそれ以後の処理のための出発点となった事態として、見なされる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,245頁
【原文】

Die Vergangenheit kann dann gesehen werden als Evolution, als Erreichen eines sehr hohen Niveaus der Wahrscheinlichkeit des Unwahrscheinlichen als Ausgangspunkt für weitere Dispositionen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 232

このdannは、前文で行ったように、「決定」を非蓋然的なものの蓋然化(蓋然的なものの非蓋然化)として捉えるなら、過去というのはこうなりますよ、という意味。邦訳は実際に決定が下されないと過去をこのようなものとして見なすことができないと(わざわざ〔〕内捕捉までつけて)言っているわけだが、そんなわけがない。


【訳文】

未来は現在越しに大きな弧を描いて過去に依存する


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,245頁
【原文】

In weitem Bogen über die Gegenwart hinweg hängt die Zukunft von der Vergangenheit ab


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 232

こういうのは直訳されると意味不明なので、せいぜい「未来は現在を大きく飛び越えて過去に依存する」くらいで。


【訳文】

もっとも、こうしたスタイルにより、叙述が人々に受容されにくくなってしまうだろうし、またこうしたスタイルによって外部に関して記述されはじめれば、このスタイルは科学的な言明の価値を低めてしまうものだと感じられたりもするだろう。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,246頁
【原文】

Dieser Stil wird auf Akzeptanzschwierigkeiten stoßen, er wird als Entwertung wissenschaftlicher Feststellungen empfunden werden, wenn er die Außendarstellung zu formen beginnt.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 232-233

何度も言うようにDarstellungは「記述」ではなく「呈示」であり、Außendarstellungは「外部に関する記述」ではなく、「外部に対する呈示」である。つまり、こういうスタイル(文体)[=二階の観察]で科学の外向けの顔が描かれるようになれば、ということ。



第12章 セカンド・オーダーの観察


【訳文】

リスクが何から区別されるのかが確定されているその度合いによってのみ、リスク概念はその精確さと定義可能性を獲得する。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,248頁
【原文】

der Risikobegriff gewinnt Präzision und Definierbarkeit nur in dem Maße, als man festlegt, wovon ein Risiko sich unterscheidet.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 236

こんな日本語はない。「~限りで[=の場合にのみ]」とすべき。


【訳文】

これによりファースト・オーダーの観察水準で敵対関係が形作られることになる――たとえば「資本家」とか「緑の党」等々である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,249頁
【原文】

Das dient der Formierung von Gegnerschaft auf der Ebene einer Beobachtung erster Ordnung - die "Kapitalisten", die "Grünen" usw.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 236

これは「敵対関係」ではなく「敵」そのものである。「資本家」や「緑の党」は敵であって敵対関係ではない。


【訳文】

しかし敵対関係が作られるきっかけは事実から生じているのではなく、相手側に関する観察の仕方から生じる。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,249頁
【原文】

Aber der Anlaß zur Gegnerschaft ergibt sich nicht aus den Tatsachen, sondern aus den Beobachtungsweisen der anderen Seite;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 236

「相手側に関する観察の仕方」はつまり自分が相手を観察するその仕方のことだが、この箇所は「相手側での観察の仕方」。物の見方が自分とは違うからこそ相手が敵になるのである。また直後に二階の観察の話が出てきていることからもこの点は明らか。


【訳文】

副次的にようやく、すなわち説明をしたり描写をしたり行為を準備したりという目的のためにはじめて、直接に対象と関連したファースト・オーダーの観察が顕在化するのである。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,249頁
【原文】

erst sekundär, erst zur Erklärung, Ausmalung, Handlungsvorbereitung werden dann wieder Beobachtungen erster Ordnung mit direktem Objektbezug aktiviert.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 237

「対象」となっているが、本訳書では Objekt は「客体」と訳されてきたので不統一(明確に定義される語なので訳語統一は不可欠)。「顕在化」は潜在的にはあったものが可視化するという意味だが、潜在的に観察がなされるとは一体? いずれにせよ aktivieren は「起動する」くらいで。


【訳文】

観察の作動は、それ自体の現実を、何を観察しているのかから仕入れているわけではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,253頁
【原文】

Sie bezieht ihre eigene Realität nicht aus dem, was sie beobachtet;


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 240

邦訳は意味不明。正しくは「自分が観察しているその対象から」。


【訳文】

つまり、それ自体をその環境から区別し、それによって固有値を生産し、そのシステム固有の区別を用いて、何かあるものをそのシステム自体の中に、また何かあるものはその環境の中にあるものとして観察できているシステムとして把握する場合だけ、である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,255頁
【原文】

das heißt: als ein System, das sich selbst von seiner Umwelt unterscheidet, das damit Eigenwerte produziert und das eigene Unterscheidungen verwendet, um etwas in sich selbst oder etwas in seiner Umwelt zu beobachten.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 242

邦訳は無駄に不思議な言い回し。ふつうに「自らの中の何かを、また環境の中の何かを観察する」でよい。


【訳文】

人々は他者が何を見ているのかを見ているのであり、同じ対象についてその人なりの見解を作り出している。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,256頁
【原文】

Man sieht, was die anderen sehen, und bildet sich über denselben Gegenstand eine eigene Meinung.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 242

「他者が何を見ているのかを見ている」という言い方はすごくセカンドオーダーっぽくてだめ。「他者が見ているものを自分も見ている」とすべき。


【訳文】

自分の生命の危険性という点に、あるいは何か(規定されない何か)他のものが危険にさらされるかもしれないということのうちにすでに、そういうカタストロフィの閾が存在しているのだろうか。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,256頁
【原文】

In der Gefährdung des eigenen Lebens oder auch schon darin, daß irgendwelche (unbestimmt welche) anderen gefährdet sein könnten?


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 243

邦訳の言い方はあまりにも不定すぎて、そんな閾はありえない。これは「誰か(不特定の)他人が危険にさらされる可能性がある」くらい。


【訳文】

関与者がどのように観察されているのかを観察できるのかどうか


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,256頁
【原文】

ob die Beteiligten beobachten können, wie sie beobachtet werden,


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 243

邦訳は主語が欠けていて意味不明。「関与者が、自分がどのように観察されているのかを観察することができるかどうか」くらい。


【訳文】

有名なヘーゲルの主/奴の論理は、一方の側でのみ、つまりの立場においてのみセカンド・オーダーの観察への関心を想定し、ヒエラルヒーをこうした非対称性によって維持させるという仕方でこれを捕捉しようとした


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,257頁
【原文】

Die berühmte Herr/Knecht-Logik Hegels hatte dies dadurch aufzufangen versucht, daß nur auf der einen Seite, nur in der Position des Knechtes, ein Interesse an einer Beobachtung zweiter Ordnung unterstellt und die Hierarchie durch diese Asymmetrie gerettet wurde.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 243-244

「主」じゃなくて「奴」。またauffangenは「捕まえる」といっても「捕捉」の意味ではなく「食い止める」のほう。また「これ」というのは前文にある「ヒエラルキーの相対化」である。「相対化を食い止めようとした」のである。


【訳文】

研究者が研究仲間を観察するのは、その仲間が観察するからではない。研究者は、その人の刊行物にもとづいて研究仲間を観察する。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,257頁
【原文】

Man beobachtet Kollegen nicht beim Beobachten, sondern an Hand ihrer Publikationen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 244

邦訳は英訳書227頁が "One observes colleagues not as they observe but via their publications." としているのを見て間違えたのだろう(as以下が理由を表していると思ったのだろう)。正しくは「研究者が他の研究者を観察するというのは、相手が観察しているまさにその様子を直に観察するということではなく、その人が発表した研究成果を通じて観察するということである」くらい。


【訳文】

これは愛によってのみ作り出されるわけだが、これも長続きするわけではない。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,258頁
【原文】

Es ist nur mit Liebe zu schaffen, und auch das nicht lange.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 244

前文で、親密関係では絶えず自分がどう観察されているかを観察しなくてはいけなくて大変だ的なことを言っているのを受けているわけだが、邦訳だと、「これ」すなわちそういう困難状況が愛によってのみ生まれると主張されている。しかし続けて愛は長続きしないと言われるのだから、なんだなら問題ないじゃんという話になってしまうわけで、明らかに間違い。正しくは、「それでもなんとかやっていけるとすればそれは愛あればこそだが、愛というのは長続きしないのであるorz」くらい。


【訳文】

近代社会がすべてのコミュニケーションにおいてセカンド・オーダーの観察を前提にしているということは、十分に頷ける


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,258頁
【原文】

Zweifellos legt die moderne Gesellschaft es nahe, bei allen Kommunikationen eine Beobachtung zweiter Ordnung vorauszusetzen.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 245

邦訳では、「近代社会」のやることに筆者が肯定的な評価を与えているが、そういう文意ではない。ただ、正直この段落全体が何言ってるのかよくわからないので、ここは原文の構造に忠実に訳しておくのが無難。「近代社会が、どのコミュニケーションでも二階の観察を前提にするよう促していることに、疑問の余地はない」みたいな。


【訳文】

すべてのファースト・オーダーの観察者にとってそこにあるものと、彼らがそれを観察するときに観察されうるものとの区別を


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,259頁
【原文】

zwischen dem, was für alle Beobachter erster Ordnung vorliegt und dem, was man als ihr Beobachten beobachten kann.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 246

邦訳はおそらく英訳書229頁に "what can be observed as their observing" とあるのを "what can be observed as they're observing" と見間違えたのだろう(他にこんな間違い方をする可能性が思いつかない)。だがドイツ語原文はまったくシンプルで間違えようがない。正しくは「彼らの観察として観察できるもの」。


【訳文】

セカンド・オーダーの観察の実践によって不透明にされ精確な意味で観察不能になっている世界の中で透明性の筆致(Lineatur)を確保する必要がある


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,260頁
【原文】

Erfordernis, Lineaturen der Transparenz zu sichern in einer Welt, die durch die Praxis der Beobachtung zweiter Ordnung intransparent, ja in einem genauen Sinne unbeobachtbar geworden ist.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 246

これは私もよくわからないけど、少なくとも Lineatur の基本的な意味は「罫」(罫線)である。文意としては観察の枠組みみたいなニュアンスなので、「透明性を可能にする見方を確保する必要がある」とか、あるいは「透明性を可能にする必要がある」でいいんじゃないか。


【訳文】

その未来がもっぱら蓋然性/非蓋然性というメディアにおいてのみ記述されうる世界では、(どのような読者がいるのかを知っている人にとっては)テキストが、(どのような観察者がいるのかを知っている人にとっては)了解が、(どのような鑑賞者がいるのかを知っている人にとっては)芸術作品が、(どのような患者がいるのかを知っている人にとっては)処方箋が、コミュニケーションにおいてセカンド・オーダーの観察をファースト・オーダーの観察のために利用できるようになるための現時点での様式である。


小松丈晃(訳),『リスクの社会学』,新泉社,260頁
【原文】

In einer Welt, deren Zukunft nur noch im Medium des Wahrscheinlichen/Unwahrscheinlichen beschrieben werden kann, sind in der Gegenwart Texte (für wer weiß welche Leser), Verständigungen (für wer weiß welche Beobachter), Kunstwerke (für wer weiß welche Betrachter) und Verschreibungen (für wer weiß welche Patienten) derjenige Modus, mit dem die Kommunikation die Beobachtung zweiter Ordnung für eine Beobachtung erster Ordnung verfügbar macht.


Niklas Luhmann, Soziologie des Risikos, Walter de Gruyter, S. 247

邦訳は "wer weiß + 疑問詞" で不特定の対象を指示する用法を訳者が知らないためにえらいことになっている。訳すときは単に「読者にとっては」、「観察者にとっては」、「鑑賞者にとっては」、「患者にとっては」でよい。