このブログを検索

2011年4月28日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第3回 プラトン『プロタゴラス』

対象文献:
プラトン,中澤務(訳),2010,『プロタゴラス』,光文社古典新訳文庫



最初に念のため注記しておきますが、学部1年生のゼミです。さて・・・

報告者1は、ソクラテスがアテナイ来訪中のプロタゴラスのもとに出向くことになる事情を述べた本書冒頭のシークエンスに注目します。そこでは、有名人キタ━(゚∀゚)━!とはしゃいでいる若者に対して、ソクラテスが、知識というのはいったん得てしまったらとりかえしがつかんぞ!と脅し、プロタゴラスから知識を得る前に、その知識とはどんなものか、特に良いものか悪いものかを確かめておくべきだ、と説くわけです。

ここでは、「人がある種の知識を有している状態」そのものが、良い悪いの判断の対象になっています。報告者1の議論は、この前提に対して、果たしてそうか? と疑問を投げかけるものです。知識というのは、もっているだけではなく、利用してこの世界の状態に変化をもたらして初めて――その状態の良し悪し評価を経由して――良し悪し評価の対象となるのではないか、と。報告者1は、「うそをつく」という知識(というよりは技術でしょうか・・・アリストテレス的には技術というのは普遍的応用可能性をもった知識のことだから・・・むにゃむにゃ)について、塞翁が馬的な事例を出してこのことを示していきます。

報告者2は、愚行・悪行の原因を無知(あるいは効用計算能力の欠如)に還元するプラトン=ソクラテスの議論に対し、「わかっちゃいるけど」やめられない/やってしまうという事態(体に悪いのがわかっていてもお菓子を食べ過ぎてしまう)が存在する以上、無知だけでは事態の説明にならないと指摘します。私は、飛び降りないと焼け死ぬのがわかっているのに怖くて飛べない、という映画でよくあるシーンを想像しました。無知だけでは不十分、という知見にもとづいて、報告者2が出してくるのが「意志の弱さ」です。これについては後述します。

コメンテータ1は、報告者1の、「知識それ自体の評価は不可能、その知識がもたらした結果の評価を経由した間接的評価なら可能」という議論に対して、根本的な難点を指摘します。つまり、知識が結果を生む、といっても、その際に、知識と結果は一対一対応するものではなく、人は複数の知識を同時にもっており、それらを同時に使うことで一つの結果を生み出すのだから――「MVPが存在するというよりは、知識の連携プレーのおかげ」――かりに、結果について一意な評価ができたとしても、そこから思考過程を形成する複数の知識それぞれに対する別個の評価を導くことは困難だ、というわけです。

他方、報告者2に対しては、知識(無知)だけでは不十分、という論点を共有した上で、「意志の強さ(弱さ)」ではなく、補完的に必要なのは「理解」だ、とします。ここでいう「理解」とは、良い悪いを単に知っているだけでなく、良い悪いの価値判断を「心から信じ」ているということだそうです。この点については、良い悪いのような価値判断を、「理解」することなく「単に知っている」という事態が可能なのか、また報告者2のいう「意志の強弱」との関係はどうなるのか、という点が気になるところです。

コメンテータ2は、学部時代に印哲を専攻し、卒業後も洋の東西を問わず哲学の勉強を続けてきたそのキャリアを活かし、二人の報告者の議論を、東西哲学史の中に位置づけたうえでその限界を指摘する、という、なんだかすごいことをしています。

コメンテータ2が両報告者の議論を高く評価するポイントは、両者ともが、現象を原因/結果の2つに分割することの帰結を、ソクラテス以上に正しく、粘り強く捉えているということにあります。2つに分割されたものに対し、良し/悪しという2分図式で評価を加えるということは、本来は2×2の4通りの可能性を考慮しなければならないのに、ソクラテスは良い原因-良い結果、悪い原因-悪い結果の2通りしか考慮していないこと、そして両報告者はその「頑迷さ・非柔軟さ」に由来する問題点を正しく指摘していることを、評価しているわけです。

そのうえで、報告者1に対しては、「知識それ自体」の評価不可能性、価値中立性を主張する議論は、哲学史的にはナイーヴすぎるのではないかと指摘し、また報告者2に対しては、「良い結果」を生じさせるのに「意志の強さ」だけで十分なのか、個人に帰属可能な性質を超えて、「神もしくは運命という壮大なエネルギー」を考慮する必要があるのではないか、と指摘します。これらはいずれも、重大な論点を含んでいるように思いますが、コメンテータ2の議論は、本来「哲学的」な議論が求められるはずの箇所ですら、「哲学史的」な性格が強く出てしまっており、「哲学的」な消化不良感を覚えたのも事実です。

最後に、司会者は初回であるにもかかわらず、大変立派な司会ぶりで、感心しました。報告、コメンテータについてもそうですが、私が1年生のときはこんなにきちんとはできませんでした。初回にお手本を示してくれてありがたく思います。

私の方からの総括を書こうと思っていたのですが、すでに長くなりすぎているのでこのへんにしておきます。あ、でも一点だけ。「意志」「理解」「神/運命」など、新しい概念を出すときには、聞く人の言語的直観に過剰に依存しないように気をつけることが大切です。この種の概念は、論者による問題設定によって張られる議論空間の中の位置づけを明確に定められて初めて、十分に理解可能になります。言葉を言いっぱなしにするのではなく、自分の概念をできるだけ丁寧に提示していくことを心がけていただければと思います。

以下、出席者の感想。

  • 司会者の進め方が上手で場の雰囲気もよく、コメントが沢山でてきて素晴らしいと思いました。

  • 報告者2人とも、独特の観点から述べていて、一生懸命準備してきたんだなというのが伝わってきました。○○さん[=コメンテータ2]についてですが、神の力とか運命っていうのは災害・天災に関わるということでしたが、では◯◯くん[=報告者2]のお菓子の例にもそういった力は関わっているのでしょうか。もし、関わってないとすれば、やはり意志の力で十分だと思いました。観点それてたらすいません。

  • ○○さん[=コメンテータ2]のコメントにあった、1ページ目の最後の行からの“ただし、~分かれるように思われる”が、私にはやはりあまりわかりませんでした。すみません。また感想としては、もっと本をじっくり読むことが必要だと感じました。色々な人の考えが分かるのは、とても刺激になりました。

  • うまく質問ができなかった。でも、自分が感じた疑問を口にし、「なにをするのが最もよいかを分かっていない」で、悪いことをしてしまうかもしれないことがあるという意見の一致を得られたようであった。

  • 「意志」は知識か。/◯◯さん[=報告者2]の「3.プラトンの主張への違和感」のなかで、「何をするのが最もよいかわかっているのにそれをしない」という文が引用されているが、これはだれの考えなのか。/報告者、コメンテーター、司会者の方達が非常に今後のハードルを上げてしまい、ちょっと困ったが、その分がんばらねばと思った。

  • 正直に、ついていくことができない。これから努力していきたい。

  • 報告者の方々の報告を聞いて、行動をしてその結果を分かっていること=知識だということが分かりましたが、人は行為をするときに目的をもって行動するので、その結果を知らない人、つまり無知な人はいないのではないかなと少し疑問に思いました。みなさんの考えが深く考えられていて、私も早く考えをまとめられるようにしたいです。

  • ◯◯さん[=コメンテータ2]がおっしゃっていた、神についてなんですが、私は『プロタゴラス』を読んでいて、努力(良い知識に基づいた努力:良い結果を見通した努力)が報われないこともあるよなーと思いました。○◯さんはそういう時、神に救いを求めているけれど、他の人はどう考えているのかなーということを思いました。/この質問を考えていたら終わってしまったので、次はすばやくがんばりたい・・・。

  • [コメンテータ1が定義する]「理解」は「ある事柄の価値を認めて、それを実際に行動に移せること」というのがよくわかりません。理解=行動ではなく、理解してやろうとする意志がおこって行動するのではないでしょうか?

  • アレテーが「教えられる」か、「られない」かのどちらか、とか、どんな性質のものなのかと詳しく質問すればよかったと思うので、もう少し詳しく聞きたいです。

  • ◯◯君[=報告者2]の「お菓子」の例えが、本の内容をうまく理解できず、自分なりに解釈できなかった私にはよく理解できた。単純な例えではあったが、このくらいかみくだいて考えると分かりやすいということを教わった。

  • ◯◯君[=報告者1]へ。先生の言っている内容と被りますが、私には必ずしも行動の良し悪しは決めることはできないと思います。決まるとしたら死ぬ直前。でもそれでは決める意味はないですよね。結局、「人間万事塞翁が馬」になってしまい、それから思考することができませんでした。/◯◯君[=報告者2]へ。私には意思の強さの他にも何か要因があると思えました。しかしそれが何であるかは私にはわかりませんでした。

  • ◯◯さん[=報告者1]への質問。「知識を伝授されてただちに変化することはない。」とありますが、考え方や認識は変化するのではないですか?例としては、人は平等だという知識を得て暴動を起こした革命者とか。

  • 報告者1の感想 初めての報告、初めての討論ということで、とても緊張しました。自分の言いたいことが、ちゃんとみなさんに伝わっているのか不安です。でも討論を通じてみなさんの意見を聞けたので、とても良い経験になったと思います。

  • 報告者2の感想 自分の読み込みが甘く、至らなかった考え方が多くあったことが残念であった。それぞれの人の『プロタゴラス』に述べられていることの受け取り方が違っていることが哲学書を読むことのおもしろさだと感じた。

  • コメンテータ1の感想 2人の報告者はどちらもよい報告をしていたと思います。がんばった!司会者も初めてなのにかなり要領よく役割を果たしていたと思いますー。◯◯さん[=コメンテータ2]のコメントは難しかった。自分のコメントは、しっかり考えた結果だったのでよくできたと思います。

  • コメンテータ2の感想 意志をめぐる問題が哲学の歴史全体を通じた中心の意義を担うことを再確認いたしました。

  • 司会者の感想 報告、コメントの皆様、お疲れ様でした!レジュメもわかりやすく、話のペースや声の大きさもいい感じでよかったですよ。至らぬ司会で申し訳ありませんでした。先生も度々の助け舟ありがとうございました。