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2011年6月30日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第11回 ニーチェ『ツァラトゥストラ』

対象文献:
ニーチェ,丘沢静也(訳),『ツァラトゥストラ 上』,『ツァラトゥストラ 下』,光文社古典新訳文庫



以下、出席者の感想。

  • 今日はすみませんでした。様々なニーチェ像の捉え方を聞けて良かったです。担当の皆さんお疲れ様です。

  • 今日の孤独についての議論は非常におもしろかったです。私個人としては、孤独やさみしさは打ち勝つべき対象ではなくて、超越するべき対象であるように思います。◯◯さん[=フロア1]の中庸や空の話にはとても共感ができました。でも◯◯さん[=フロア1]の言う中庸は、どちらかというと「悟り」に近いのかなとも思いました。今日は◯◯君[=コメンテータ1]が集中砲火をうけていました。おつかれさまでした。

  • ◯◯くん[=報告者1]のレジュメの内容が、これまでと違い、著者の心情について考えているのでおもしろいなと思った。○◯さんが司会でしたが、暴走してたと思う。自分の聞きたいことばかりを聞こうとするのではなく、もっと他の人の意見を中心にしていったほうが良かったと思う。

  • ニーチェの考えは「善悪の彼岸」という書名が示すように、二項対立的な価値図式を乗り越えることにあるという理解を、今日の討論を通して再認識することができました。

  • 人の成長にさみしさ、孤独は必要なのだと思います。なぜなら、傷みを知るからです。さびしさなどで心が傷いた時、それを乗り超えることで、他人に優しくなれると思います。少なくとも、自分中心の考え方はなくなるでしょう。

  • 私は私しか信じられない。ああ孤独だ。

  • 孤独といっても人によって考える内容は異なると思う。

  • 「孤独」ということに関して、自分を理解してくれる人がいない状況から、孤独に打ち勝つというのは、孤独という状態から抜けだすのか分からなかったです。

  • 孤独は単にさみしいものだと思っていた。しかし、孤独を見つめることで、生まれるものがあるという考えはとても新鮮だった。孤独でいることをさみしいと思うことは、もしかしたら損なのだろうかと思った。

  • 論点が次々に移り変っていって、ついていけない時があった。

  • さびしさを乗りこえて、その先に何かを見つけることができた人はいないのではないかと思う。

  • 中庸って、なんだろうか。中国の思想でも出てきたし、ギリシア哲学でも出てきたし。中庸はキリスト者の徳のあり方として使われていると報告者は言うが、中庸とキリスト教のつながりがよく分からなかった。ニーチェはおそらく孤独だったろうな。男の人に孤独は似合うのかな。でも、女の人も、家帰って1人になれば、孤独だなぁって思うと思うなぁ。

  • 孤独感とか、やっぱりふと感じるときありますよね。普段生活しているときも。自分でも、そういうときって、自分の中でぐるぐる悩みすぎてるときであって、自分の中で解決してるものですよね。自分勝手な感覚ですよね、孤独感。

  • ニーチェがどんな心境でこの本を書いたのか、は全く考えなかった。寂しさを伝えたかったのかは分からないが、孤独感を味わった中で考えたことを文章にしたのかな、と思う。

  • 報告者1の感想  みんなの考え方を聞くこと、やっぱり、すごく楽しい。もっとニーチェの思想とはどんなものかについて知りたくなった。

  • 報告者1の感想  具体的な考えがないと質問されたときに困るということがすごく感じました。

  • コメンテータ1の感想  今回は失敗したと思う。きちんと整理してから後半の議論について書けばよかった。反省します。あと報告者がもう少し話せればよかったと思う。

  • コメンテータ2の感想  いつになく深いテーマだったように思います。本の内容から広がりのある議論ができました。まあ「理解する」といえど感情は人それぞれですし、人は皆孤独なんだと思いますが・・・。ニーチェ組の皆さん、おつかれさまでした。あと、◯◯ちゃん[=司会者]! 仕事とっちゃって申し分けなかったです。

  • 司会者の感想  初司会ー(>_<)!! いきとどかなくてごめんね。ユルすぎた!?


2011年6月23日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第10回 マルクス『経済学・哲学草稿』

対象文献:
マルクス,長谷川宏(訳),『経済学・哲学草稿』,光文社古典新訳文庫



以下、出席者の感想。

  • 今回は、労働すること、が関わってくる内容だった。まだ実感が湧かない話題だが、現在の制度など様々な方面から考えられるのだなと思った。

  • やりたいことを仕事でもやれる人は、実際どれくらいいるのかが疑問に思った。

  • 同一労働同一賃金とした場合、労働者としては、労働時間が短縮されると思いますが、会社側としては不利益となると思います。そのため、同一労働同一賃金は実現しづらいし、単純に短縮されるとは思えません。労働=お金を得ることならば、ボランティアをするような人々は、何を求めているのでしょうか。聞いてみたかったです。時間があったなら・・・。

  • 最後の議論で、精神的満足は労働だけに限られるのではなく、生活を通して全てにおける満足感なのではないかと思った。

  • 労働することに生きがいを感じる人間になりたいと思った。私も働いたことがないから、夢見心地なかんじがすると思うけど、私もお金よりも精神的満足のほうを優先したいです。

  • 今日はレベルが高かったです。担当の皆さんお疲れ様でした。精神的満足を得られる職に就きたいなあと切に願います。

  • 最近、職について考えることがあるので、自己実現ができる職はあるのか、についても考えるきっかけになりました。

  • 経済の話でした。全く分かりません。やっぱり感想もどきで逃げるしかなかったです。いまの日本見てると何主義がいいのか分からなくなってきます。マルクス組のみなさんおつかれさまでした。

  • まだ働いたことがないので、精神的満足(◯◯くん[=報告者2]の話のことですが)が、自分のなかの感覚でしかなんとなく分からなかったのが残念だった。

  • 報告者のレジュメは2人ともわかりやすかったです。特に◯◯君[=報告者2]の内容は、現代の日本に応用するものだったので大変興味深かったです。でも「精神的満足」は資本家との関係ではなくとも労働者自身の中でも達成しうるものではないかと思います。

  • 労働とは何のためか、についてふかく考えさせられた。働くことはむずかしいですね。

  • 労働による精神的満足は従属的だと感じずにいられることだけでなく、労働によって人生が充実していると感じられることだと思います。

  • どちらの発表もかなり理想主義的だなあと思いました。現実への適用可能性は低い。

  • 人間の定義は「他とともにある(mitanderenSein)」とカール・レーヴィットが述べるように、他者と自己との関連について考察することは現代哲学の本質をとらえることに他ならないと、今日の演習を通じて再確認しました。

  • 報告者1の感想  後半の労働についての議論にも加わりたかったが、知識不足を感じました。だから、もっと社会勉強をしたいです。レジュメももっと簡潔に書きたかったです。

  • 報告者2の感想  自分の表現力はまだまだだなって思った。中々言いたい事も伝わらなかった・・・。自分は変にへ理屈で議論が熱くならなかった。申しわけないです。

  • コメンテータ1の感想  現代の日本の状況と重ね合わせた意見の多い現実的な議論だった。報告者の意見とコメントの論点がずれてしまったのが致命的だったと思う。

  • コメンテータ2の感想  私のコメントに、報告者からしかコメントがなかったのはさみしかった・・・。私はコメントの製作過程の前半で、社民主義に傾倒しかけたが、じっくりよみこむことで冷静になることができた。今回は準備していて楽しかった。

  • 司会者の感想  司会難しかったです。いつもと違うように進めてみようと思ったのですが、討論もいつもほど広がらなかった印象で、失敗したなと思いました。


2011年6月16日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第9回 カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か』

対象文献:
カント,中山元(訳),『永遠平和のために/啓蒙とは何か』,光文社古典新訳文庫



以下、出席者の感想。

  • 「未成年状態から脱却すること」についての報告で“理性”とは何か、という議論で、ただ従うことより、それだけではダメではないか、と考えることも理性の働きによって成されるものではないかと思った。

  • 今日の話は前2回よりはついていくことができた。平和・戦争、啓蒙について議論できてよかった。みんなが発言を進んでしていて、「なんかいいなあ。」と思った。

  • 理性を否定することは人間を否定することである。

  • カントの理性概念のうち、理論理性は悟性と実践理性の中間的段階として、若干の個別的認識を反映していると考えていましたが、その限界について今日の議論をふまえて再度調べておく必要性を感じました。

  • ◯◯くん[=報告者2]に、「戦争=悪」と考えることから、戦争にも良い部分、悪い部分があることを考慮することで何が得られるのかということをきいてみたかった。

  • 質問、意見を言うタイミングが難しかった。

  • 冷戦ってどうやって終わったんだっけー? ◯◯ちゃん[=報告者1]ナイスファイト

  • 「未成年状態から脱却すること」についての報告で“理性”とは何か、という議論で、ただ従うことより、それだけではダメではないか、と考えることも理性の働きによって成されるものではないかと思った。

  • 今日の話は前2回よりはついていくことができた。平和・戦争、啓蒙について議論できてよかった。みんなが発言を進んでしていて、「なんかいいなあ。」と思った。

  • 理性を否定することは人間を否定することである。

  • カントの理性概念のうち、理論理性は悟性と実践理性の中間的段階として、若干の個別的認識を反映していると考えていましたが、その限界について今日の議論をふまえて再度調べておく必要性を感じました。

  • ◯◯くん[=報告者2]に、「戦争=悪」と考えることから、戦争にも良い部分、悪い部分があることを考慮することで何が得られるのかということをきいてみたかった。

  • 質問、意見を言うタイミングが難しかった。

  • 冷戦ってどうやって終わったんだっけー? ◯◯ちゃん[=報告者1]ナイスファイト もちろん、他のメンバーも☆

  • 戦争に対する考えが、人によって違うということを改めて感じました。驚きました。でも違う面から平和を見ることができて、視野が広がりました。

  • 戦争のメリット・デメリットについての議論が白熱していましたが、私は頭が混乱していて、あまり話についていけませんでした。平和とは何かについても考えさせられました。

  • 戦争と平和の回でした。広辞苑で「平和」をひくと、(1)やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りのないこと、(2)戦争がなくて世が安穏であること、とあります。ですが、そこに人々の心やその「平和」の後のことも考えると、体感的な平和についてはまた変わってくるんだな、と思います。あと、やっぱり戦争はよくないです。「百害あって0.5利」くらいです。カント組の皆さん、おつかれさまでした。

  • 平和の在り方を考えさせられる討論だった。「平和=善」とは言えないのでは、という視点には驚いた。

  • ◯◯さん[=報告者1]の論は抽象的な内容が多かったため議論になり、そういう意味では良かったのではないだろうか。

  • 今回の議論では、様々な戦争や革命名が出て来たが、あまり詳しくないので、若干話についていけない部分があり残念だった。皆の思う“平和”について知れて興味深かった。

  • 「平和」の定義や戦争に関する考え方は、統一されているように見えて実は多様なのではないかと思いました。自分なりの意見ですが、帝国主義時代の侵略戦争では、領土を広げるという目先のメリットだけにとらわれてしまった部分があって、戦争が多発したのではないかと考えます。現在「戦争が悪い」と言われているのは、戦争が生む不利益が過去に行われたそれによって明示されたからではないでしょうか。

  • 戦争についての話がおもしろかった。ワンピースの「勝った方が正義だ!!」という名ゼリフを思い出した。

  • 報告者1の感想  今回は報告を担当したが、自分がある仮定を立てる場合にさまざまな局面を想定することが必要だと思った。

  • 報告者2の感想  戦争大好き

  • コメンテータ1の感想  コメントだったんですが、報告者に対する意見を考えるって難しいです。ですが、今回は平和と戦争について深く考えることができてよかったし、解決不可能な問題だと思った。

  • コメンテータ2の感想  疲れましたの一言です。でも、結構がんばれたと思います。今回のことが、フロイトで生かせたらいいと思います。お疲れ様です!!

  • 司会者の感想  初めての司会、まとめるのほんとにむずかしい・・・。


2011年6月9日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第8回 ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』

対象文献:
ルソー,中山元(訳),2008,『社会契約論/ジュネーヴ草稿』,光文社古典新訳文庫



以下、出席者の感想。

  • 今日は報告も議論も難しかったです。皆さんが話していることを理解するのが精一杯でした。

  • 類型化はその思想を述べた時点でそれが成されているのか、またそれが誰によって成されるのかが分からなかった。

  • 違和感を感じた部分はあったが、それをまとめることができず、質問することができなかった・・・

  • 平和が一番、とは限らないかもしれない。

  • ◯◯[=報告者2]さんのいう「類型化」は「定義付け」なのでしょうか。定義付けは1つのものしか生まれず、類型化は複数のものが生まれるのでは?

  • 平和について。国によって文化などの食い違いは存在する。よって争いが避けられない国同士もある。それらの国に必要なのが圧力、友好な国には協調といったように、場合分けがなされるのではないか。

  • すべてのテクストは読者の解釈に依存しているという「作者の死」概念が最先端のテクスト解釈理論でないことを知り、勉強になりました。

  • 自分の論構成能力のふがいなさに腹が立ちます。何が言いたいのか、それが、言葉を発する内に見えなくなってしまいそうでした。もう少し、論を組み立てられるようになりたいです。今日は、疲れました。

  • テキスト論についての話がおもしろかったので、深く勉強してみたいと思った。

  • おそらく今までで一番話題が広かったのではないでしょうか。にもかかわらず、何も言うことができませんでした。やはり苦手意識は大きいです・・・ 次回はカントさんです。大好きな人です。発言できるように頑張ります。「ルソー組」の皆様、お疲れ様でした。

  • 自分の理解があいまいで若干もやもやが残りました。

  • 政治や哲学思想の基礎知識が無いとついていけないということを痛感した。自分で質問しておきながらよく分からなくなった。

  • テクスト論にまで話が広がった授業であった。○◯さん[=コメンテータ2]のコメントを読んで、平和より大切なものがあり、それを守らなければならないとしたら、平和は実現しないのかと思った。

  • あまり自分の考えがまとまらないまま質問してしまった。結局最初に質問しようと思っていたことではないことをしたように思う。もっと文章を読み込みたいと感じた。

  • 報告者1の感想  報告内容を考えたことはよい経験であったが、内容にもう少し具体性を持たせられれば、と少し不満足な主張のままになったのは少し残念です。

  • 報告者2の感想  今日で発表は終わりです。つかれた。がんばった。

  • コメンテータ1の感想  社会契約論を題材に使っているのに、今回中心となった議論が「ことば」についてだったのが少し残念に思えた。

  • コメンテータ2の感想  思想の討論になると、いつも「普遍的◯◯」の話になるなあと思いました。普遍的◯◯は存在するのか、これからも考えて行きたいと思います。

  • 司会者の感想  司会も難しかったです。あまりスムーズに進めることができなかったんですが、みんなに助けてもらいました。もっと力つけたいです。

2011年6月2日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第7回 ロック『統治二論』

対象文献:
ジョン・ロック,加藤節(訳),2010,『統治二論』,岩波文庫



下記の、フロアからのレスポンスを読むと、社会契約論や自然状態論について馴染みがない人が結構いるみたいなので、ものすごく簡単に解説しておきます。次回もルソー『社会契約論』なので。

私たちは何らかの統治秩序が成立している中に生まれます。統治秩序の中では、法律によって、(法的な意味で)してはいけないことや、しなければいけないことが決まっています。つまり、私たちは、一定の法的な制約の中で生まれ育ちます。もしこの、生まれたときからある制約を絶対視するしかなく、そこから距離をとることができないなら、私たちは〈別の可能性〉を考えることができません。〈別の可能性〉、特に、もっと良い可能性を考えることを、批判と呼ぶとすれば、自分がその中にいる統治秩序から距離をとることは、その統治秩序を批判するためにまず必要な条件です。

今回のロックをはじめとする社会契約論が、この〈批判のための距離化〉を可能にするために使うのが、「自然状態」という想定です。要するに、本来人間というのはこういうものであるが、それに較べて現在の統治のあり方は・・・という感じで距離をとり、「本来こうあるべきものが、現実にはこうなっている、けしからん」という形で批判するわけです。実のところ、「自然」という言葉を使うかどうかは、議論の形式にはあまり関係がありません。

ともあれ、現在存在していない自然状態に依拠することで、現在存在している統治秩序を批判するというのが、社会契約論の基本骨格です(本当はこの両者のあいだに「契約」という契機をはさむことがすごく重要なのですが、今回は省きます)。そのため、自然状態をどのように設定するかによって、現存統治秩序のどのような点を、どのような方向に批判できるかが変わります。批判の妥当性が自然状態の設定の妥当性に依存するわけですから、読者としては、(1)自然状態の設定が妥当かどうか、を確かめた上で、(2)現在の統治秩序に対する批判が、自然状態の設定から論理的に導出されるものになっているかどうか、を検討するというのが、まず必要な作業だということになるでしょう。

さて、報告者1は、ロック版の自然状態において、物や身体・生命に対する所有権だけでなく、この権利の侵害者に対する処罰権までもが、各個人に与えられているという設定に疑義を呈します。処罰権を個人に与えてしまうと、過剰な重罰の科し合いが起こり、それなら絶対君主制の方がましということになってしまうだろう、というわけです。処罰権というものは、自然状態においては存在せず、社会契約によって国家をつくるときに、国家の権能の一つとして、そこではじめて生み出されるべきものだ、というのが報告者1の見解です。

これに対し、コメンテータ1は、それだと処罰というのは国家が行うものだけになるが、国家の手を煩わせることなく、個人間で科し合う罰というのも存在するはずであり、それゆえ処罰権は個人の自由権に含まれるが、「政治社会は不当な重罰を避けるために、個人の処罰する自由を制限しただけ」だといいます。

コメンテータ2は、報告者1とロックが、自然状態における個人の処罰権の有無について正反対の立場をとりつつ、社会契約によって国家が処罰権をもつという結論部分は共通であることに着目し、秩序の安定/不安定を分けるのは、個人が処罰権を持つか否かではなく、国家が処罰権を持つか否かであることに注意を喚起します。

報告者2は、ロックが出している、社会契約後の統治秩序においても、「法に訴える時間がなく、損失が(発生すれば)回復不可能な場合には、(潜在的)侵害者を殺してもいい」という趣旨の議論に対して、ロックがここで想定している回復不能な損失というのは生命のことだが、しかし、たとえば「1回きりの特別なイベントへの参加を妨害される」といった事例にも、回復不能な損失が含まれており、そのような場合でも相手の殺害が正当化されるというのは反直観的だ、といいます。その上で、ロックの議論を完成させるには「回復不能な損失」を「生命」に限定する必要があると主張するわけです。

これに対して、コメンテータ1は、「相手を殺す」ということの反直観性は、近代的な生命観のたまものであって、反直観的だからだめだという議論は普遍的には成り立たないと指摘します(これは、反直観的でないだからいいという議論も普遍的には成り立たないということを含意している・・・のでしょうねたぶん)。

他方、コメンテータ2は、回復不能な損失を防ぐための個人的防衛手段として「相手を殺す」しか考えていないことに疑義を呈し、生じうる損失の程度に応じて適切な暴力的防衛手段(「足を踏みつける」とか)を考えれば、損失の種類を生命に限定する必要はない、と指摘します。


さて、報告者・コメンテータが問題にしている各論点はそれぞれ面白いし、ロックのテクストに基づいた再反論がさまざまに可能でしょうが、それはまあ、各自に任せましょう。最後に言っておきたいのは、自然状態において「人間とは◯◯だ」という設定をするわけですが、そこで問題になっているのが、経験的なこと(・・・である)なのか規範的なこと(・・・べきだ)なのかをつねに明確に区別しよう、ということです。事実上のことなのか権利上のことなのか、と言い換えてもかまいません(「権利上殺すことができる」からといって「事実上殺すことができる」わけではありませんよね)。この両者を区別した上で、人間の本来性(自然状態)の設定に、「権利」の言葉で述べられるような性質を入れていくという議論の特殊性に注意しましょう。まあ、この話は次回以降もしばらく続くでしょうから、今回はこのくらいで。

なお、今回のゼミでは、ちょっと私がしゃべりすぎてしまいました(ちょっと疲れていたので・・・疲れていると抑制がきかなくなります)。司会者にはご迷惑をおかけしました。すみません・・・

以下、出席者の感想。

  • 今日は三谷先生がいっぱい話していました。

  • ロック思想の核心は、王による規範が崩壊した後に、個人と個人が合意を通じて望ましい状態の実現を模索する点に見出されるため、現代でも全く意義が損なわれていないことを再確認しました。

  • 後半の三谷先生の議論をもう少ししたかったです。途中で切られてしまったのは残念です。でも◯◯くん[=報告者2]の報告に対しても十分に議論される必要がありましたよね。司会者はよく配慮していたと思います。行き届かないことをいってごめんなさい!!

  • 一番苦手なあたりの論に入りました。苦手なだけあって、どうも理解が進まず、発言もちぐはぐでした。次のルソーの話ではこんな事がないようにしたいものですが・・・。レジュメはどれも読みやすく、司会もおちついていて良かったと思います。「ロック」メンバーの皆様、おつかれさまでした。

  • 難しかったです(笑) そもそも自然状態ってなんなのか、罰ってなんなのか、自分の中でずっとぐるぐるまわってた、今回はそんなかんじでした。

  • 今日のはよく分からなかったのですが、ロックの自然権の基準は、他人の所有物を侵害せず、自由にふるまうこと、であるように思います。

  • 処罰は権利なのか、どこまでが処罰なのか、境界があいまいな議論だったが、ロックの考え、報告者、コメンテーターの考えが混ざり合って深い内容だったと思う。思考が追いつかなかった。

  • 話の内容(特に◯◯くん[=フロア1]の言った重罰等や◯◯さん[=フロア2]のフィクションについてが出てきた話)に全くついていくことができなかったので、発言を積極的にしたいです。

  • いままでは正義や人についての議論であったのに、社会の制度が議題となったため、倫理を選択していた人たちはあまりついていけてないような印象があった。○◯さん[=報告者1]は、法に基づいてしか処罰できないと言っているように感じるので、「いたずらをこらしめる」ようなことでも許されないのだろうか、と思った。

  • 高校で学んだ知識なのに、いざ議論するとなると、こんなにも難しくなるのかと改めて思った。

  • 自然状態とは何か、深く考えさせられた。

  • 抵抗と処罰の関係について、抵抗は社会的な制裁を加えない個人間で、その個人間でも解決ができなくなったときに社会的な制裁として処罰ということが必要だったのではないかと思います。

  • 罰の基準とは何か、正しい暴力と不当な暴力の線引きとは、など、難しい質問がたくさん出ました。被害者の立場や私情など、多くの要因が存在すると思います。ですが、私的制裁のようなものは、道徳的には許されません。これから、考えていく課題になりそうです。命が失われそうな時、人を殺してもよいとするなら、戦争は許されるのでしょうか? 殺さなければ殺される状況、しかし、ここでも道徳的には、決して許されないのではないでしょうか。

  • 現在の政治状態を正当化するために政治書を書いた、ということを見落としていた。今回の議論は難しかった。

  • 罪と暴力の違いやそれが定義づけられる範囲について、この回では考えきれないことが多かったので、自分でももう1度考察したいと思いました。

  • 報告者1の感想  ロックは、「恐ろしがらせる程度」(これくらいならおそろしいと思うだろう!とバツを加える人が思う程度)が“罰”だと定義していて、私もそうだと考えています。その場合に、「程度」が罰を加える人にねじまげられるんじゃないか、と思いました。

  • 報告者2の感想  このような報告、発表の場では特に、自分の言葉1つ1つに責任を持たなければならないと思った。自分が議論する前提となっている状態をしっかり把握しなければいけないと思った。報告を担当して、とても大変だったが、色々勉強になってよかった。

  • コメンテータ1の感想  処罰権とは何か? その根本的な問題を設定せずに議論を展開してしまった感がある。

  • コメンテータ2の感想  報告に対するコメントの入れ所がなかなか見つからず、苦労した。自然状態や社会契約についての知識も積み重ねていかなければならないと思う。

  • 司会者の感想  処罰、罰をどう捉えるかは気になる。それぞれの意見が自然状態前後でどう違うかも考え所と思う。