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2012年1月15日日曜日

【私訳】パーソンズ「ホッブズと秩序問題」

パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」について、それがいかなる問題であり、その問題をパーソンズがどのように扱おうとしたのかを正確に理解するために、まずは『社会的行為の構造』の該当部分、つまり「ホッブズと秩序問題」(原書89-94頁)を以下に訳出します。





ホッブズと秩序問題

本書の目的からすると、自然状態とは万人の万人に対する戦争であるという有名な概念化こそが、ホッブズの社会思想の基礎であると言ってよい。ホッブズというのは規範的思考をほとんどしない人だった。何をすべきであるかという理想を掲げることはなく、社会生活の究極的条件をひたすら探求するだけだ。ホッブズに言わせれば、人間というのは複数の情念に導かれる存在だ。善とはその各人の欲望の対象にすぎない(注)。しかし残念ながら、各人の欲望の実現可能性の程度には限界がある。この限界は主として人間と人間のあいだの関係の本質それ自体に根ざすものだ、というのがホッブズの考えである。

人間に理性が欠如しているわけではない。だが理性の本質は、情念の下僕たることにある。つまり理性というのは、各人が自らの欲望の対象を獲得するための方法や手段を案出する能力のことなのだ。そして欲望はランダムだ。つまり、「対象それ自体の本性から引き出されるべき、善悪を定める共通の規則」(注)は存在しない。だから行為の究極目的たる情念は各人ばらばらであり、それゆえ、各人が自らの情念を追求することによってそこに紛争が生じるとしても、それを妨げるものは何もないのである。

ホッブズの考えでは、そのように危険な紛争が生じる理由は、そこにおいて力が演じる役割にあるという。人間は誰もが自分の欲望を実現しようと求める。そのため必然的に、各人はそれぞれ自分の欲望を実現するための手段を支配しようと求めなければならない。一人の人間がもつ力とは、ホッブズ自身の言葉で言うと「将来自分にとっての善を獲得するために当人が現在所持している手段」のことである。この力の大部分を占めるのが、他人に対して承認と奉仕を命じる能力である。ホッブズの議論では、手段というのはその本性からして限りのあるものだが、この力こそはそのなかでも最も重要なものなのだ。その結果、ある人が自分の目的を実現するための手段を有するならば、別の人はその手段を有することができないということになる。こうして、当座の目的としての力は、必然的に人間同士の争いの種になってしまうのである。

自然は人間を、心身の能力において平等につくった。他の人より明らかに強靭な身体をもった人や、他の人より明らかに頭の回転の速い人というのが時々いることはいるが、全般的に見れば、人と人のあいだの違いというのはそうたいしたものではない。ある人が別の人よりもそれで特に利益を得るということはない。その程度の違いにすぎない。(中略)このような能力の平等から、目的達成における希望の平等が生じる。だから、もし二人の人間が同じものを欲し、しかし二人同時に享受することが不可能である場合には、この二人は互いに敵対することになる。そしてその目的への途上において、相手を打倒し屈服させようと努力することになる(注)。

何の制約もない場合には、人間はこの直近の目的を実現するために、利用可能な手段のなかで最も効率の良いものを採用することになる。その目的にとって最も効率の良い手段とは、煎じ詰めれば暴力と欺瞞のことである(注)。したがって、誰もが他の全員に対して敵となり、誰もが他の全員を暴力や欺瞞を用いて打倒し屈服させようと努力するような状況が生じることになる。これこそは戦争状態にほかならない。

だがこの戦争状態というのは、人間の欲望充足からは最もかけはなれた状態である。ホッブズの有名な言葉を引くなら、戦争状態における人生というものは「孤独で、貧しく、卑しく、残忍で、短い」(注)ものだ。そんな状態に陥ってしまったら……という恐怖から、人間は理性を起動する。すべての情念のなかで最も根本的なのは自己保存の情念であり、理性はその下僕として喚び出されるのだ。そして理性が少しでも働けば、社会契約にこの困難を解決する可能性があることが見出される。人々は自然に有する自らの自由を、合意の上で至高の権威に譲渡し、それと引き換えに、この至高の権威によって自らの安全を保障してもらう。つまり他人からの暴力や欺瞞による攻撃を受けずにすむようにしてもらう。この至高者の権威によってのみ、万人の万人に対する戦争は抑止され、秩序と安全が維持されるのだ。

前章の定義に則って言えば、ホッブズの社会理論の体系は、功利主義のほとんど純粋なケースである。この理論では、人間の行為の基礎は「情念」にある。情念は個々ばらばら、ランダムに生じる行為の目的であり、「対象それ自体の本性から引き出されるべき、善悪を定める共通の規則は存在しない」。人間は、この目的を実現しようと合理的に行為する。つまり、状況による制約の枠内で最も効率的な手段を選択する。だがこの合理性には厳しい限界がある。理性は「情念の下僕」であり、それを実現するための方法や手段を選択するためにしか用いられない。

このようにホッブズは、功利主義的な行為システムの基本単位を異常なほど細かく定義したのだが、その射程はそこにとどまらず、はるか先にまで届いている。つまり、この基本単位を実際に定義した場合、そこから帰結する具体的なシステムはどのようなものになるか、それを演繹的に示したのだ。その結果、ホッブズはある経験的問題に逢着することになった。それが秩序問題だ。これは、本書においてもここで初めて登場する問題である。というのも本書の議論はここまでのところ、単位を定義することと、功利主義思想におけるその単位間の論理的関係を摘示することに限定されてきたからだ。いずれにせよ、ホッブズが提起した意味でのこの問題は、功利主義思想の最も根本的な経験的困難を構成するものである(注)。そしてこの問題は、功利主義システムとその結果についての歴史的議論の主軸を形成することになる。

(注)同じくらい根本的な問題として、経験的に妥当な合理性を設定するという問題があるが、ここでは本書の分析の目的から、戦略的に秩序の問題をとりあげている。

この点に関するホッブズの議論の帰趨を確かめる前に、用語の整理をしておこう。秩序という言葉には実は二つの異なる意味があるのだが、それが往々にして混同されてしまいがちだからだ。一つは規範的秩序、もう一つを事実的秩序と呼ぶことができるだろう。事実的秩序の反対は、現象が統計学の確率法則に従うという厳密な意味でのランダム性ないし偶然性である。この場合、事実的秩序が成立しているということは、論理的な理論、特に科学の理論によって基本的に理解可能であるということを含意することになる。偶然の変動は論理的に理解したり、法則に還元することが不可能である。偶然性とかランダム性というのは、理解不可能なもの、知的な分析ができないものにつけられた名前にほかならないのである(注)。

(注)この理解可能性を、経験科学による理解可能性に限るのは、実証主義の場合だけである。この前提のもとでは、科学的に理解可能であるか、ランダムなカオスであるかの二つ以外の可能性はありえない。つまり実証主義にとっては、科学の限界が、人間の理解の絶対的限界となるのである。

これに対して、規範的秩序はつねに、所与の規範や規範的要素(目的、規則、その他の規範)のシステムに相対的である。つまり規範的秩序とは、規範的システムにおいて敷かれた道筋に合致してプロセスが生じているということである。ここでさらに二点、注意が必要である。第一に、規範的秩序が崩壊した場合、つまりその規範的観点から見てカオス状態となった場合でも、事実的には秩序であること、つまり科学的分析が可能な事態であるということはありうる。たとえば、「生存競争」はキリスト教倫理の観点から見ればカオスであるが、だからといって、それが科学的な意味での法則、つまり現象におけるプロセスの斉一性に従っていないということには決してならない。第二に、規範的秩序には一定の状況のもとでは崩壊して「カオス」になってしまう可能性が論理的に内在しているのだが、にもかかわらず、プロセスが何らかの規範的要素にある程度合致していることを条件に成立するような特別な事実的秩序というのがあって、その場合には、当該の規範的要素がその事実的秩序の維持に対して決定的に重要な働きをするのである。社会的秩序はまさにその一例である。科学的分析が可能なかぎりでそれは事実的秩序なのだが、後述するように、それは、一定の規範的要素が有効に機能しなければ安定性をもちえないような種類の秩序でもあるのだ。

(訳出途中。つづく)

2012年1月13日金曜日

【私訳】ヨハネウムの生徒としてのニクラス・ルーマン

リューネブルク時代、つまり大学入学前のルーマンについてはあまり知られていないと思うので、以下の文章を訳出しました。非常に詳しくてためになります。原文はこちら






ヨハネウムの生徒としてのニクラス・ルーマン

2002年12月8日に、ニクラス・ルーマンは生誕75周年を迎えた。これを記念して、2002年12月6日から8日にかけて、リューネブルク大学で『ニクラス・ルーマンと文化理論』と題する会議が催された。国内外から一堂に会した名立たるルーマニアンたちが報告を行う中で、ヨハネウムは「ヨハネウム・リューネブルク校の生徒としてのニクラス・ルーマン」と題する展示を行った。


ニクラス・ルーマンは1927年12月8日にリューネブルクで生まれ、1937年の復活祭の日に、9歳でヨハネウムの生徒としてギムナジウムに入学してきた。そのため最初はラテン語の授業を受けることになった。ニクラスは入学時にすでに1学年飛び級していたので、結局基礎学校には3年在学しただけで卒業を迎えた。1406年創建のヨハネウムは当時、1870年から72年にかけて建てられたハーゲ通りの端の建物にあった。これは現在では市中心部の基幹学校とオリエンテーション段階の建物になっている。ルーマン家はリューネブルクの旧家で、港湾地区にあった。ニクラス・ルーマンの父ヴィルヘルム・ルーマンは、そこで小規模なビール醸造所兼麦芽製造所を経営しており、母親の方はスイスのホテル経営者の娘だった。現在その建物には古書店「プリニアーナ」と、飲食店「ポンス」が入っている。

ニクラスの家からギムナジウムまでは600メートルほどだったため、通学は楽だった。ルーマンがヨハネウムに入学した1937年というのは、民族社会主義の狂気がその数年前から忍び寄ってきている時代だった。ルーマン家は民族社会主義からは距離をとり、これを拒絶していた。ニクラスの父はもともと経済リベラルな人だったため、社会民主主義にも民族社会主義にも反対しており、権力者が交代した1933年以降は、様々な困難を抱えることになった(Detlef Horster, 1997, Niklas Luhmann, Beck-Verlag, p. 25 ff.)。

幼少期から少年期まで、ニクラス・ルーマンは夏期休暇をスイスで過ごした。彼はそこで、当時のドイツでは望ましくないと考えられていた政治的見解を学んでいた。たとえば彼は反フランコで、そのためヨハネウムの教師は彼の政治的見解を問題視し、父親が学校に呼び出されたりもした。ニクラス・ルーマンの児童期のことについては、これ以外にはあまり知られていない。飛び級で入学したため、同級生たちはみな1926年生まれでニクラスが一番年下だったが、授業に熱心に参加する様子はよく目立っていた。

民族社会主義による権力掌握と統制の網は、ヨハネウムもまたこれを免れなかった(以下の記述は、“Kantelhardt, Adolf: Das Johanneum zu Lüneburg,” in: Festschrift zum 550-jährigen Bestehen des Johanneums, Lüneburg 1956, S. 38 ffによる)。1935年以降は、14歳から18歳までの全生徒がヒトラー少年団(HJ)に、10歳から13歳までの全生徒が少国民(ドイツ少年団、DJ)に入隊させられることになった。教師も、NSLB(民族社会主義教員連盟)かNSV(民族社会主義国民福祉局)のいずれかに所属させられた。かねて毎週始めには朝の礼拝の時間があったのだが、これに代えて、校庭での党旗掲揚か、民族社会主義式の朝礼が行われるようになった。

党の命令による学外活動(ヒトラー少年団のキャンプ等)のため授業は大幅に阻碍され、生徒の成績は悪化した。これは、民族社会主義党によって任命されたヨハネウムの校長ですら、認めざるを得ないほどだった。民族社会主義党は、高等学校の8年制を導入した。これはつまり、高等学校の、ひいてはギムナジウムの修了年限を1年短縮したということである。また卒業のために必要な口答試験に、生物学が義務化された。これは生物学こそが、民族社会主義党の人種学教化の場だったからである。その他、歴史や国語といった学科でも、民族社会主義党の指針に沿ったイデオロギー的な学習計画が採用された。ただし、実際の授業の進め方についてはまだ個々の教師の裁量に委ねられてはいた。それも1939年に第二次世界大戦が始まると、規則に沿った授業進行が厳しく求められるようになった。正規の卒業試験が行われたのは1942年が最後でこのときの卒業生は7名であった。それ以外の生徒は、卒業試験を待たずして徴兵されていったからである。

1943年の徴兵名簿などを見ると、当時のヨハネウムの住所は「Gauleiter-Telschow-Wall 1」となっている。リューネブルクは1937年に、それまでのハールブルクに代わって東ハノーファの「ガウ首都」に指定され、1937年以降、シースグラーベン通りの屋敷に民族社会主義党のガウ長テルショフが住んでいた。これはルーマンの家から約200メートルのところにあった。1939年から45年の間、ヨハネウムに直接通じるハーゲ通りと、フリーデン通りを合わせて、「Gauleiter-Telschow-Wall」と呼称したのだった。

1943年になると、1926年から1927年生まれの高学年の生徒に、空軍補助員として働くことが義務づけられた。1943年4月1日には、まだ15歳のニクラス・ルーマンも、1歳年上の同級生(ギムナジウム第6学年)たちと一緒に、空軍補助員としての適性検査を受けることになった。結果は合格(tauglich)だった(画像で「tgl」と書いてあるのがそれ)。「検査済生徒名簿」を見ると、誕生日が1926年12月8日とタイプ印字で誤記されているのを、手書きで1927年と訂正しているのがわかる。生徒たちはリューネブルク空軍基地の高射砲部隊の補助員となったが、ローテンブルクやシュターデにも派遣された。空軍補助員には日給0.50ライヒスマルクが支給され、衣食住が提供された。

服務規程には、空軍補助員は軍人と見なされるべきこと、生徒は十分な睡眠をとる必要があることが定められていたが、実際には、生徒も高射砲部隊に夜間配備され、それで疲れきっているのが現実だった。これに加えて「義務心得」があり、ニクラス・ルーマンもこれを暗唱させられたはずである。ギムナジウムの授業は、空軍補助員にとってもヨハネウムの教員にとっても困難な状況ではあったが、なお続けられてはいた。教員は毎日リューネブルクの郊外にある空軍基地に出動しなければならなかったし、生徒は生徒で、警報と戦闘に常時備えていなければならず、またひっきりなしに駐屯地が替わる(ローテンブルク、シュターデ)ので、これも大きな負担だった。駐屯地が替わると、そのつど違う教師の授業を受けなければならなかったからである。

1週間の授業時間数は6日間で平均18時間しかなかった。1日3時間である。ある報告書で、担任教師が戦闘準備による休講と地理学教師の不在について苦情を申し立てている。高射砲補助員の指揮所は何度も攻撃を受けた。生徒たちは給食の不足を訴え、担任教師だったグリースバッハは生徒たちを率いて不服の申し立てを行ったが、その内容はどちらかというとまだ陳腐なものだった。「バターの代わりにマーガリンが出ることが週に3回はある」。空軍補助員用の学習計画は、特に生物、歴史、国語の3教科において、民族社会主義のイデオロギーによって決められたものが用意された。たとえば生物なら「民族と人種」とか「文化民族の衰退の生物学的原因」、国語なら「ゲルマン的世界観の基本性質」、歴史なら「総統国家の本質」とか「第二次世界大戦の意味」と題した授業が義務づけられた。ラテン語ですら、「カエサル」講読の授業で「ゲルマンの章」を重視せよとされていた(“Lehrplan für Luftwaffenhelfer,” Archiv des Johanneumsによる)。とはいえ、ニクラス・ルーマンのいたクラスでは、教員不足のために1944年以降生物の授業は行われなかった。

ニクラス・ルーマンの空軍補助員経験は、さぞや劇的で恐ろしいものだったと想像されるが、これについて彼は自分で語っていることはそんなにない。一例としては、墜落した英国機の操縦士が格納庫で背後から射殺されて倒れている死体を見たと述べている(Horster 前掲書 p. 27)。(この書き方だと、ルーマンはある戦争犯罪の間接的証人であるように読めるが、歴史的背景が定かでない以上、そう確言することはできない。)1944年5月には大空襲がこの地を襲った。ルーマンはこれをローテンブルクで体験したはずである。この空襲についてはかつての国民的サッカー選手フリッツ・ヴァルターの文章を引くべきだろう。彼は1943年8月から1944年5月にかけて、サッカー好きの戦闘機乗りだったグラーフ少佐の飛行編隊に所属する地上勤務員としてイェーファとローテンブルクに駐屯し、その傍らサッカーの試合にも出ていた。

何よりも恐ろしかったのがサイレンの音だ。兵士たちは宿舎や作業場から駆け出して塹壕の中に飛び込む。事務所で一緒に働いていた空軍補助員の女の子たちも、原始的な防空壕に駆け込んだ。爆撃機の飛ぶ低音がどんどん近づいてくる。我々は塹壕の中から、それがまっすぐこちらに向かってくるのを見ているだけだ。爆弾格納部の扉が開いて、我々に死をもたらすその中身が降下してくるのがはっきりと見え、その数瞬間、心臓の鼓動が完全に停まる。その直後、恐ろしい爆発とともに地面が振動する。泥が噴水のように天を衝き、それがまた地面に降り注ぐ。ああ世界の終わりが来たんだと思う。2分か3分の間、その地獄は続いた。高射砲はまだ火を噴いていたし、速射砲は射程いっぱいまで対空砲火を続けていたが、爆撃機はすでに離脱した後だ。・・・・・・飛行場は爆弾のせいでそこらじゅう穴だらけだ。整備場は鉄骨とコンクリートの廃墟のようになっているし、格納庫も壊滅状態、宿舎も倒壊していた。何一つ形の残っているものはなく、すべてがばらばらだった。・・・・・・しかし一番恐ろしかったのは、負傷者や瀕死の人たちが助けを呼ぶ声だった。結局この攻撃によって200名の死者が出たのだった。・・・

Walter, Fritz: 11 rote Jäger, Nationalspieler im Kriege, Copress-Verlag München 1959 S. 112 ff.

(この文献は、オットー・グローシュプフ氏にご紹介いただいたものである。)

1944年9月30日、第8学年が始まってすぐに、ニクラス・ルーマンは国家労働奉仕団入団のために卒業することになったが、卒業試験はまだだった。生徒たちが受け取ったのは、「卒業するに十分な能力を有する」旨が明記された卒業証書であったが、これは1945年以降には無効になってしまうことになる。1944年末、ルーマンは国防軍に召集され、短期間の射撃訓練を受けた。1945年初めに、ルーマンは南ドイツの前線に送られ、ハイルブロンで米軍との激しい戦闘と爆撃に参加した。彼は1943年にはすでに敗戦は確実だと悟っていたため、生き延びることだけを考えていた。隣にいた戦友が手榴弾で吹き飛ぶという経験も避けられなかった。1945年の春、彼は米軍の捕虜となった。とはいえ17歳の少年にとって、そのときはまだ米軍が真の解放者であるとは思えなかった。腕時計を没収された上、尋問の間中、理由もなく殴られ続けたからである。これはジュネーヴ条約に背く処遇であった。(Niklas Luhmann, Archimedes und Wir, Berlin 1987, p. 129)

ルーマンは最初、ルートヴィヒスハーフェン近郊のライナウエンにある大きな捕虜収容所に勾留された。ここでは大体1000人単位で捕虜が組織化されていたが、そのどこでも毎日少なくとも1人の死者が出ていた。その原因の大半は疲労と消耗であった。終戦直前になって、捕虜たちはマルセイユ郊外の労働収容所に移管されることになった。フランスに対する賠償として労働が課せられたのである。結局ルーマンは1945年に捕虜収容所から釈放された。彼がまだ18歳未満、つまり未成年だったからである。

ヨハネウムは戦争末期の1944年8月5日以降、野戦病院となっており、授業はヴィルヘルム・ラーベ校で行われていたが、その後1945年1月になると、全市が宿舎として提供されるようになった。ヨハネウムの蔵書と持ち運び可能な財産は、別の場所に避難しておいたし、ヨハネウム自体は爆撃を受けなかったのだが、1945年5月の初頭に不注意からリューネブルクの手前にあった煉瓦製造場で焼却してしまった。戦後もヨハネウムに残った生木の机は、「ロシア原産」という出自を自ずから示していた。この机は野戦病院の備品としてロシアから持ってこられたものだからである。

ニクラス・ルーマンも復学し、生徒の間で「1406年からずっと使われている」と揶揄されていたぼろぼろの椅子に、再び座ることになった。「臨時卒業証書」は戦後は無効とされたため、ニクラス・ルーマンを含む、第8学年を修了していない復員学生に対して、2回の補講が組まれることになった。第1回は、1945年10月から1946年の復活祭までの期間で、これには137名が出席し、このうち卒業試験に合格したのはたった53名だった。ニクラス・ルーマンもそのうちの一人である。試験は、国語、ラテン語、ギリシャ語の3科目だった。2回目は1946年の5月から12月までで、これには72名が出席し(そのうちの多くは1回目の落第生である)、このうちの35名が合格した。この2回目の受講者には、ヨハネウムの卒業生のうちでもきわめて有名な人物が含まれていた。最近亡くなったクラウス・フォン・アムスベルク王子である。

以上の戦争体験は、ルーマンのその後の経歴と彼のシステム理論に明らかな影響を与えている。彼は諸所で、法律を勉強することに決めたのは、「人々が生きるカオスの中で秩序を形成する可能性」という希望に導かれたからだと述べている(1998年11月6日の死の直前にヴォルフガング・ハーゲンが行ったインタヴュー。Wolfgang Hagen (ed.), Warum haben Sie keinen Fernseher, Herr Luhmann?, Kulturverlag Kadmos, 2004, p. 17)。A. コショルケとC. ヴィスマンはさらに進んで、秩序を形成しようという動機は、ルーマンのシステム理論が成立するにあたっての、個人史上の根本的発想だと考えている(Hagen前掲書p. 11)。さらに補足して次のように言えるだろう。戦争を生き抜いた人がいる一方でそれができなかった人もいるというこの偶然の経験もまた、ルーマン理論のもう一つの要素である偶然性の概念に刻印されているのではないだろうか。

ヨハネウムでの教育について、後年ルーマンは好意的に評価している。特に挙がっているのが、ギリシア語とラテン語の授業で、これらの授業では扱われるテクストの内容についての議論も含まれていた(Horster 前掲書29頁、Hagen前掲編著20頁)。他方で、古代語の意義についてルーマンは、生徒の「学習能力」が「知識の複雑性に対して越えることのできない限界を画す」と述べていて、この箇所などは懐疑的な考えをもつようになったとも読める(Luhmann, Niklas: Die Wissenschaft der Gesellschaft, 3版602頁[邦訳644頁])。ルーマンの読書熱は当時の同級生たちからも恐れられていた。これをその時代の過酷さからの逃避だとみなすことは可能ではあるが、それよりもむしろ、主として歴史に興味をもっていた当時の埋もれた才能を示すものだと考えるべきだろう。

最後に、当時の同級生2人から、ニクラス・ルーマンについてのコメントをいただいたので、それでこの文章を締めくくることにしよう。

ニクラス・ルーマンとはギムナジウムの同級生でした。つまり、我々は2人ともまずラテン語から習ったんです(そこが、英語から習い始める「オーバーシューレ」とは違うところです)。ニクラス・ルーマンは優等生でした。勤勉で、どんな科目でも良い成績を収めていました。当時から目立っていたのはその読書熱で、私の印象では、脳神経の限界ぎりぎりまで本ばかり読んでいるように思えました。その後、1943年に我々は空軍補助員となったのですが、ニクラスはその時代を実に不愉快に感じていました。好きな読書ができなくなったからです。我々はリューネブルク、シュターデ、ローテンブルクで空軍補助員として動員されました。リューネブルクでは、ヨハネウムの見知った教師が特別に空軍基地まで出張授業に来ていたのですが、ローテンブルクとシュターデでは東プロイセンから来た、知らない教師の授業を受けさせられました。夜中に警報が鳴ると、次の日の1限目の授業が休講になったのですが、特に1944年にはそういうことが週に2、3回はありました。ところで、ニクラス・ルーマンも一緒に体験したローテンブルク飛行場への大空襲については、すでにドイツの国民的サッカー選手であるフリッツ・ヴァルターが自伝に書いています。

(オットー・グロシュプフ、元ハノーファー上級行政裁判所長。2002年12月3日、筆者との電話インタヴューにて。)


ルーマンはギムナジウムの生徒でしたが、私や私の友人たちはオーバーシューレに通っていましたから、その頃はあまり接触はありませんでした。それが1943年に、私とルーマンそれぞれが所属するクラスの生徒が、同じ高射砲部隊に空軍補助員として召集されることになったのです。1944年の秋までのあいだ、我々はリューネブルク、ローテンブルク、シュターデの飛行場に動員されました。ルーマンは感じがよく友好的でしたが、特に目立つような存在ではありませんでした。当時の私は、彼がその後こんなふうになるなんて夢にも思いませんでした・・・

(ギュンター・ヴィルケ、工学士。現在は引退してリューネブルク在住。2002年11月1日付の筆者宛書簡)

ゲアハルト・グロムビク

2011年12月23日金曜日

【私訳】 Social Systems 英訳者の謝辞


ルーマンの Soziale Systeme の英訳版 Social Systems に掲載されている、英訳者 John Bednarz, Jr. による謝辞(617頁)を訳してみました。

本書の翻訳に当たっては、たくさんの方々に、いろいろな形でたいへんお世話になった。心からお礼申し上げたい。

まずはこのプロジェクトを可能にするために各方面で骨を折ってくれた方々に。ビーレフェルト大学社会学部のクラウス・ダンマン、ハンスユルゲン・アンドレス、ラインハルト・ザムゾンの三氏、ならびにラトガーズ大学計算機情報サーヴィスセンターのウォレン・マイヤー氏には、コンピュータの設備や図書館の利用許可をいただいた。またジルケ・シーアマイアー氏の根気よい技術指導にも感謝したい。プロジェクトが円滑に進み、私個人の持ち出しも少なくてすんだのは、各氏の援助があったればこそである。

訳文作成作業それ自体に対しては、ハンブルク大学のディートリッヒ・シュヴァニッツ、ビーレフェルト大学のディルク・ベッカー、ノースウェスタン大学のトマス・マッカーシーの三氏が、不明箇所に助言をくれた。とはいえ、最も感謝すべきは、訳文を作成する中で最も直接的な助言をくれた二人の人物に対してであろう。一人はニクラス・ルーマンである。ルーマン氏は、激烈な多忙にもかかわらず、いつも時間を作っては私の質問に答えてくれた。もう一人はルーマン氏の助手のアンドレ・キーザーリング氏である。氏の真面目さ、そして本書の内容と英語についての該博な知識のおかげで、本来すこぶる大変なはずの翻訳作業がずいぶんと楽になったと思う。この翻訳が成功しているとすれば、それは私一人の頑張りによるものではなく、上に挙げさせていただいた各氏の協力の賜物であることを、ここに記しておきたい。

この英訳本は Translated by John Bednarz, Jr. With Dirk Baecker となっているわけですが、こうしてみるとベッカー以外にもいろんな人が携わっていたのがわかります。

2011年12月22日木曜日

【私訳】ニクラス・ルーマン「行政学における機能概念」(1958)

Niklas Luhmann, Der Funktionsbegriff in der Verwaltungswissenschaft, Verwaltungsarchiv 49 (1958), S. 97-105.

概念というのは、正しいか正しくないかを論じるものではない。概念について論じることに何か意義があるとしたら、それは、その概念の使い方をちゃんと決めることであり、そうやって決めた使い方を貫いていくとどうなるかを明らかにすることである。その概念が出てきたときに、誰にでもすぐにその意味がわかるためには、論理的に正しく制御できる使用法というのが必要なのであって、そのためにはまずその使用法を決めておかなければならない。

さて、そこで機能[関数](Funktion)概念であるが、この概念には、論理学や数学で使われているのを除けば、上で述べたような意味での明確さがまったくない。特にひどいのが行政学である。用法がもうばらばらで、あるときには目的が、あるときには課題が、あるときには必要な手段が、あるときには存立前提が、すべて「機能」と呼ばれるし、学者の用法と、その対象である組織の中の人のあいだで使い方が違っていたりする。ある人は、機能とは抽象的な関係を指す概念だといい、別の人はいや現実の関係だという。いやいや関係それ自体を指すんじゃなくて、考えるべきなのは機能と行為その他との関係なんだと言い出す人までいる。なぜこんなにいろんなものが「機能」という一つの言葉で表現されてしまうのかといえば、ひとつにはこの概念が論理学や数学で使われているので、なんか専門用語っぽい感じがするからだし、もうひとつには昔にはなかった言葉だからなんか近代的でいいなあと感じるからである。要するに、響きがいいのだ。機能とさえ呼んでおけば、その対象がなんかかっこよくなったような気がするという文学的効果である。

ところが困ったことに、社会科学が数学から拝借しているのは言葉のかっこよさだけで、内容までは受け継げていないのだ。社会科学での機能概念は、もともとは生物学由来の機能概念を独自に発展させたもので、上位単位が存続するに必要な原因のことをいう。ここでいう上位単位としては、有機体、文化、社会、組織といったものが考えられる。

一般社会学の水準で Talcott Parsons が強調していることだが(1)、機能概念には、機能の宛先となる上位単位の決め方に応じて、二つの用法が可能である。同じことが行政学でもいえる。まず、「組織目標のシステム」を上位単位とすることにしよう。つまりここでは、上位単位となるのは組織のイデオロギーだ。さてこの場合には、この組織目標と、それを達成するのに必要な手段とのあいだの関係が、機能と呼ばれることになる。機能概念の用法としては、まあこれが普通だといっておいてよいだろう。これに対して、上位単位を組織の存立として概念化することもある。するとこちらの場合には、人々のあいだの協働が継続するために必要となる経験的な条件が、機能と呼ばれることになる。成員の意欲とか、組織内体制がどういうふうになっているかについての共通了解とか、良好な環境といったものが挙げられるだろう。最近こちらの方の用法を採用する人が多い(2)のは、そうすることでイデオロギーに縛られない自由な行政学が約束された気分になれるからだろうか。

  • (1) Parsonsの著作に加えてMerton [1957]; Levy [1952]; Dahrendorf [1955] を参照せよ。
  • (2) たとえばSelznick [1948]; Selznick [1949]; Gouldner [1955a: 24 ff.]; Gouldner [1955b] を参照せよ。組織の存続に対して意味があるということを、経験的に(!)実証しなければならないという問題があるのが、この理論の難しいところだ。

さて、両者に共通しているのは、なんらかの上位単位に対する道具的な関係、因果的な関係を機能と呼んでいることだが、それだけではまだよくわからないのは、それで何か言ったことになるのか、ということだ。たとえば財務官の職務のことを、財務官が充足している「機能」と呼ぶ。はたして、これに何の意味があるのだろう(ただ職務といえばいいのでは?(3)。あるいは、公務員の年功序列制には、つねに出世の途上にあるという感覚を抱かせることによって現状を甘受させるという「機能」がある、という言い方をして、それにいったい何の意味があるのだろう。こういう言い方をするときに、機能という思考法はどんな働きをしているのだろうか。つまり、機能が充足している機能とは何か。

  • (3) Nordsieck [1955: 36, 113] は、機能を、職務と人間との関係、と定義し、そう定義することで機能と職務を区別することができると考えている(Nordsieck [1955: 38])。しかし、これは形式的な区別を超えるものではない。

「生物学的」な機能概念を使っているかぎり、この問いにはいつまでたっても答えることはできない。この問いに答えるためには、数学化した学問と数学化していない学問とを区別していたのではだめである。数学者と社会科学者のどちらもが満足できるような、基礎概念としての機能概念が必要だ。

そのために必要なのは十分な抽象性だ。そして、その条件に合う機能[関数]概念をもっているのが、ほかならぬ論理学である。論理学者にいわせると、機能[関数]に固有の性質とはその多義性だという(4)。もちろんただの多義性ではなく、統制的な多義性だ。機能[関数]とは変数間の関係である。そして変数とは機能[関数]規則にしたがって互いに交換可能な代入値を表す記号のことである。それゆえ機能[関数]とはこれらの記号の間の関係のことである。機能[関数]「 x は青い」の x には、「空」、「海」、「スミレ」等々を、その機能[関数]の真理値を変更することなく代入することができる。他方、「爆発」や「美徳」を代入することはできない。何が代入値として許され、何が許されないかは、この機能[関数]が属する言語の意味論規則によって定められているわけだ。

  • (4) たとえばRussell and Whitehead [1932: 57 ff.] がそのように述べている。この考え方を最初に定式化したのは Gottlob Frege で、彼は機能[関数]に独自な本質は補完の必要性だと述べている。Frege [1891]; Frege [1893: vol. 1, 5 ff.] を参照せよ。

「青い」という点で、空、海、スミレは、機能的[関数的]に等価である。この点から統制的多義性ということの意味を捉え直してみるならば、機能[関数]というのは、複数の可能性の等価性を統制するための図式だ、といえるだろう。ある可能性が別の可能性と等価であるかどうかは、機能[関数]図式にもとづいて決まり、またそれらの可能性が互いに交換可能となるのは、この機能[関数]に関してだけなのだ。空、海、スミレのあいだには、「青い」という以外に共通点はない。機能的[関数的]等価性というのは、特定のパースペクティヴから見たときにだけ成立するような性質なのであって、つまり特定の意味連関を前提にしなければ成立しない。等価である、という判断は、この意味連関に関わる側面だけをみて下され、そのとき他のすべての側面は無視されることになる。

だから機能[関数]というのは、具体的な存在者のすべての側面を完全に捉えきってしまうものではなく(5)、等価である、とか、交換可能である、といった判断を可能にする一面的な観点を設定するものにすぎない。それゆえ、機能の機能とは、パースペクティヴを一つ定め、それを参照点として、複数の可能性のあいだの交換を統制することだ、といえる。さて、以上の考察で、機能概念を、我々の目的に適した形で定義することができるようになった。こうだ。機能とは、y が、x (いわゆる変数)の等価性を判断するための観点(つまり変数 x を変数たらしめる観点)として働く場合に成立する、x から y への関係のことである(6)。この定義の x のところに「行為」を、y のところに「職務」を、それぞれ代入すれば、行政学の分野に応用することのできる機能概念ができあがる。

  • (5) この点で機能[関数]は、目的論的決定論とは本質的に異なるのだが、残念ながら両者が混同されることは少なくない。最近ではJanne [1954] がこの混同を犯している。またBredemeier [1955]のように、機能分析を二つの類型に区別したところで十分ではない。目的論と機能主義とでは、考え方の前提が違うのである。目的論は、真の目的というものがあって、何が起こるかはこの目的によって決まっている、という前提を置いている。しかし、近代的な解釈では、真理というのは間主観的な確実性のことだと考えるので、そうなると、もはや真の目的などといったものを想定することはできない。そこで、用済みとなった目的論にかわって登場したのが、機能概念なのである。機能は物事を決定するものではなく、異なる可能性の間の等価性を統制するだけである。存在しているからにはそれは不可避である、などという言い方は、もう通用しないのである。
  • (6) x が y の機能[関数]であり、かつ y が x の機能[関数]であるような、機能[関数]方程式のより複雑な事例(反転可能ないし対称的な関係)については、ここでは論じない。行為(=非対称的な因果関係)を対象とする行政学にとっては、そうした事例はとりあえずあまり意味がないと考えられるからである。ただし Simon [1957: 10 ff.] は、必ずしもそうとは言い切れないことを示す興味深い考察を展開している。

ともかく、ある対象を機能によって同定するとき、その対象は本質的に代替可能・交換可能となる。つまり、同じ(あるいはそれ以上の!)働きをする他の対象に(心臓をポンプに、宗教を穏やかな社会風土に)置き換えることが可能になる。だから、機能とはまさしく、新しい可能性を発見せよ、という命令なのだ(7)。機能的な思考法には革命的な効果があって、直観的な日常世界の崩壊を導く、などといわれる(8)のはこのためである。機能的に考えるとは、直観によって捉えられた類似性の枠外にまで比較の領域を拡げ、最も有効な選択肢を選び出すための可能性の範囲を拡張するということなのだ。これは数学的自然科学でも、社会科学でも、さらには行政それ自体の内部でも同じである。潜在的可能性が拡がると、好きなときに好きな可能性を利用できる保証が増す。そうすると、自然与件からおしつけられてくる偶然的要因や、無制御な変化に対して、機能的システムの独立性が高まる。A嬢はもちろん比類のない存在であるが、速記タイピストとしての機能においては、彼女のかわりに別の女性を採用することもできるし、部分的には録音機で代用することもできる。このように、代わりがきく、からこそ、彼女が病気になった場合でも、そういう偶然的要因にとらわれることなく、彼女がやるべきだった仕事を早急に、かつ質を落とすことなく片付けることができるのだ。

  • (7) 「(A. Churchの定義によれば)『機能[関数]』とは、所与の物事に適用することで新しい物事を獲得するという性能を持った演算である」(Kattsoff [1948 :137])。
  • (8) この点についてはCassirer [1910]を参照せよ。

話はもう行政学の主題の中に突入している。これまで主流の、機能とは職務の達成に対する手段の必要性のことだ、とする道具主義的機能概念にしても、また Parsons のいわゆる機能理論にしても、機能化する、ということの本来の意味が捉えられていない。機能というのは、道具的関係でも因果的関係でもいいが、そういった関係それ自体のことではないのだ。機能というのは、なにか一つの関係のことを指す概念ではなく、特定の関係を一定のしかたで解釈することで別の関係の可能性が見えてくる、そういう解釈のことをいうのである。このように考えてはじめて、なぜ機能を特定する際に、つねに上位単位が参照されるのか、その理由がわかってくる。なぜ上位単位が参照されるのかといえば、それは、ある可能性と別の可能性が機能的に等価であり、その働きに関して比較可能であり交換可能である、という言い方は、上位単位を参照することで得られるパースペクティヴのもとでしかできないからだ。

実は、近代の官僚制的行政機構は、このような機能的思考法に基づいて編成されている。また同じ思考法が、行政機構によって統治される社会的秩序に対しても適用されている。つまり、行政の領域では、行為をその機能によって同定することになっているということだ。その際に参照される上位単位には、先ほど見たように二つの種類がある。一つは、行為を、その行為によって達成されるべき職務という観点から捉える考え方で、その場合にはイデオロギーが参照単位となる。もう一つは、その行為が協働の継続に対して与える結果という観点から捉える考え方で、その場合には組織の存立が参照単位となる(9)。たとえば、公務員の「秘書」設置について機能的に考えてみよう。一方では、その職務は女性秘書に担当させるよりも中央の文書課のような他の部署の方がうまく処理できるのではないか、という観点から考えることができる。他方、組織の存立という観点からは、公務員の威信を支えるのに別の手段はないものか、地位の高さを象徴するのに別の方法はないものか、という方向で考えることもできる(10)。どのパースペクティヴを選択するかによって、その行為に対して何が等価であるかが変わってくる。つまり、設定されるパースペクティヴごとに、別の比較可能性、代入可能性が与えられることになるのだ。これは、秘書というものが持つ様々な側面のうち、どれが有意でありどれが有意でないかが、選択されるパースペクティヴによって異なってくるからである。

  • (9) 両者の相違と、この相違が引き起こす緊張関係については、特にSelznick [1949] を参照せよ。また一般的な議論としては、Parsons and Shils (eds.) [1951: 173 ff.] を参照せよ。この区別は公式構造の水準での区別であり、行為者の意識度の差による顕在機能と潜在機能の区別と混同してはならない。たしかに、多くの場合イデオロギーは意識されているのに対して、行為が組織の存立に対してどのような結果を及ぼすかについては、行為者には気づかれていないことが少なくない。この二つの区別が容易に混同されてしまうのはそのためである。
  • (10) この後者の観点が「許容される変項」でないという人は、前者の観点をイデオロギー的に称揚しているだけである。

機能化するときにイデオロギーを参照単位にするのか、それとも組織を参照単位にするのかにかかわらず、考慮の対象となるのは具体的な行為の全体ではなく、その機能に関わる側面だけである。行為の意味はその側面だけで定義され、それ以外のすべての側面は無関係なものとして無視されることになる。さてしかし、そうやって、機能を特定することによって行為がその機能に関わる側面だけに縮減されていくということ自体は、実は、やはり現実の日常生活の世界で生じる一つの意味現象である。この点は、本稿による機能の概念化をみれば明らかだろう。本稿の機能概念は、機能的等価物のあいだの「交換」や、生活者の思考や実践とは無関係な側面の「無視」が行われる場として、機能的な意味連関に先行し、その基礎となっている、いわばメタ機能的な生活秩序の存在を示唆しているのだ。

人間はあらゆる機能化に先んじて、つねにすでに、いわば前国家的な社会的秩序の中で他人とともに生きている。人間は、他人に対して類型的な行動を期待したり、他人から期待される社会的役割を引き受けたり、相手が自分の期待に反したときには否定的な反応をしたりする。これらの期待は、合意、伝統、ステレオタイプ、事実連関によって強化され、強化された期待については逸脱行動に対して制裁を下す権利が与えられる。他方で、他人の期待に沿った行動をとった場合には、社会的な共感が増強され、独自の規範や慣習と、成員のあいだの非公式な序列関係をゆうする集団が形成されることになる。

この非計画的で「自然」な行動秩序は、人間の共同生活を魔術的に解釈する際にも、あるいは宗教的に解釈する際にも、そして機能的に解釈する際にも、つねに自明なものとして前提されている。物事の見方や考え方からすればとても自然とは思えないような行政官の共同生活も、実はこの基礎の上に成り立っているのであり、そういう基礎秩序がなければ考えることさえできない。役所というのは結局は役割の複合体なのだが、そこに見られる公職のハイアラーキーというのは、どんな集団にも存在する非公式の上下関係を模写したものにほかならない。命令権というのは、人格に基づく威信を安定化し、補完するもの、あるいはそれに代わるものである。規則は、行動期待が固定化したものとして体験され、遵守される。また、厳密に「職務」上の行動とは別に、機能化されていない無数の体験可能性への脱線が、つねに存在する。たとえば窓の外を見たり、無駄口を叩いたり、メモ用紙に落書きをしたり、といった具合に。

この話は、すべての「公式組織」は「非公式組織」に支えられていて、その影響である程度歪んだものとなるという、産業研究の知見に近いところまで来ている。ここで大切なのは、非公式組織それ自体は機能主義的に基礎づけられるものではないということ、そして、非公式組織を公式組織の意図せざる副産物と捉えたり、あるいは心理学的(したがって機能的)な協働計画によって管理すべき領域としか捉えないとしたら、そうした把握は不十分だということだ。非公式組織というのは、産業研究にとって、その意味を独自に追究し解明すべき、れっきとした研究対象なのである。公式的な官僚制組織について明らかにするためには、そこでつねに前提となっている相互的な行動期待の秩序を考慮に入れ、この秩序を概念化してやる必要があるのだ。

行為の意味を機能的に定める、というのは、官僚制組織の本質的な原理、さらには決定的な原理だといえるだろう。ところがこれ自体がやはり、(意味を定める際の参照枠として)前機能的な行動秩序を前提とする。この前機能的な行動秩序では、自分の行為も、他人に対して期待する行動も、一つの目標を頂点とする直観的なひとまとまりの行動として現れてくる。今日一日どんなことがあったか、どのように過ごしたのかを知るのに、自分が行ったすべての行為を原因と結果(手段と目的)に分割する必要はない。

これに対して、行為を目的と切り離し、その目的を結果として実現するための原因が行為であるという捉え方は、二次的な(そして近代に特有の)解釈である(11)。この解釈には特に、ひとまとまりとしてある生活過程を原因と結果に分解し、前者を手段、後者を目的、とすることで、両者を、互いに他に対して不変項として定めるという意味がある。これによって、原因と結果を互いに他から独立に変更することが可能になる。目的を一つ定めた場合、それを実現するための手段としては、機能的に等価な行為が複数存在しうる。他方、行為を一つ定めた場合には、それを正当化しうる目的は複数存在しうるのだ。

  • (11) このように述べているものとして特にTönnies [1923] を参照せよ。John Dewey は、ほとんどすべての著作(特にDewey [1922])でこの点を指摘している。

この行為解釈の中には、やはり機能的同定の図式が含まれている。これは一目瞭然だ。既存のイデオロギーを参照単位として機能化する人は、目的を不変項として、それを行為を選択するための観点として用いる。組織の存立を参照単位とする人は、特定の行為をすることは前提として、それがひきおこす結果の中から、その行為を正当化する目的を選択する。イデオローグにとっては目的の実現が、組織人にとっては手段の正当化が、それぞれ問題となる。この二つの立場は、もちろん互いに補完しあわなければならないのはそのとおりだが、それは一方の立場が他方を吸収してしまうということではない。行為を因果的に解釈する以上は、目的と手段は区別しておかなければならないからだ。結局、機能化に二通りのやり方があるのは、因果的な行為解釈に含まれる非対称性のため、すなわち目的と手段が不可逆的な関係として捉えられているからなのだ(12)

  • (12) こういうややこしい議論を挿入するのは私としても遺憾なのだが、数学的自然科学では因果性が機能[関数]方程式として、それゆえつねに対称的関係として記述されている現状があるため、仕方なく挿入した。機能[関数]、因果、対称性の結びつきは、科学性を追求する社会科学者の思考を強く規定しているため、機能図式が非対称関係にあることは、ことさらにでも示しておく必要があるのだ。

このように、行為というのは何らかの目的を結果として実現する原因のことだ、と解釈すると、この解釈それ自体によって、社会的生活の中に機能的な物の見方が導入されることになる。この見方は、ひとたび導入されてしまうと、それ以降つねに決定的な位置を占めつづけ、その結果、素朴な自然的体験というのは不可能になる。手段としての機能、目的としての機能が、物事の本質となり、問題や対立を解決するために用いられるようになる。機能が行動期待を形成し、公式の役割を定義し、人々はそれを引き受けなければならなくなる。何が行為者の地平となるか、どんな作業をしなければならないか、関係があるのは何で無関係なのは何か、体験の中心に来るのは何で周縁にとどまるのは何か、こうしたことがすべて機能によって決定されるようになっていくのだ。労働連関はそれに応じて安定化し、可能なかぎり効率化する。しかし、その代償として、一つの仕事を完成させることによって得られるはずの意味充足は失われることになる。

これは、もう仕事というものを、一つのまとまりをもった全体として考えることができなくなるからだ。各人それぞれの作業が、それぞれ部分的な原因となって、それらがすべて合わさって一つの結果が出る。仕事というのはその結果でしかない。そういう解釈しか許されないのだ。もちろん、労働の意味が、仕事のひとまとまりの完成体から得られるものであった時代というのもあった。そういう時代には、労働の意味は機能拡散的で(13)、代々受け継がれる伝統的な役割類型と不可分のものだった。労働と仕事は一つのものであり、直観的な役割像(父親、医者、聖職者、農民、など)にしたがった伝統的な役割分担ができていたのだ。この体制を唯一解体することができたのが、機能分析なのである。機能分析は、実現する価値のある結果を一つ定め、それに対して機能特定的に役割を定義する。そうやって定義された役割は、機能的に等価な別のものと比較したり、あるいは組み合わせたりすることができるようになっている。こうなると、役割の意味というのは、大規模な労働連関の中であらかじめ定められ、個別に交換可能な部分的貢献ということにつきてしまう。しかしこの機能的抽象を行わないかぎり、十分な規模の代入行為・補完行為の可能性の全域を視野に収めることは不可能であり、それゆえ、きわめて多様で詳細な役割分業を必要とする大組織の編成には、この機能的抽象が不可欠なのだ。

  • (13) 機能拡散的/機能特定的の区別はTalcott Parsonsによるものである。Parsons and Shils (eds.) [1951: esp. 57 f., 83 f., u. ö.]を参照せよ。

この分析は産業分野にかぎらず、行政分野でも同様に成り立つ。行政がなすべき仕事とは、公式的には決定である。そこで、行政における決定を(おかしな言い方だが)一つの行為の結果と理解することにすれば、それによって行政活動を機能的に整理し、分業化することが可能になる。つまり、ある特定機能の観点のもとで複数の職員が共同作業する一連の手続を通じて決定が下されるような分業体制である。この共同作業は反復可能な形に類型化される。郵便物の記録と配達、郵便物に含まれる情報の取得、追加書類の要求、事前協議、企画の却下、修正案の呈示、承認署名、などから、終了署名、書類作成、決定通知にいたるまで、これらの作業は、決定過程が個別の行為に客体化したものである。そこでは、この過程にたずさわる個々人の主観的な思惑や決断は二次的なものとされるし、どの個人にとっても、この過程がどのように始まりどのように終わるのかを見通すことはまずできない。また各作業は法規、あるいは専門分野ごとに固有の規則にしたがって、規則さえ知っていれば誰でも行えるように定められる。誰でも行えるために、作業者は代替可能である。他方で、機能的に比較可能な可能性の範囲が、この規則によって限定される。このような体制になっているかぎり、決定にいたるまでの各作業は、それぞれ交換可能であり、かつ制御可能である。

決定手続がこうなっていると、自分がたずさわっている作業の意味は、他の機能的に等価な行為の意味と変わらない、ということになる。各作業の固有性は、機能によって可能になる他の可能性との比較によってしか得られない。その機能に対する「働き」を評価されるわけだ。ところがこの評価は、あくまでも、行為をある結果を実現することのできる交換可能な原因の一つと解釈することによって成立する暫定的な図式の中でしか通用しない。この解釈のもとでは、行政行為はいわゆる形式的で非人格的な「官僚制」的様式をとる。個人的な感情や気まぐれな思いつきのような、そこでの機能にとって外的な成分は可能なかぎり排除することができるようになり、それゆえ行政行為は計算可能、反復可能になる。形式性にしろ、非人格性にしろ、計算可能性や反復可能性にしろ、Max Weber以来なんども繰り返し指摘されてきた官僚制的行政に固有の特徴であるが、これらは基本的に機能法則にしたがった交換可能性のことを言っているのであり、それゆえいずれも行為を機能的に同定することの副産物なのだから、そのかぎりで、これらの特性は、相互に連関しているといえるのだ。

官僚制的行政とその環境との接し方についても、この固有の機能法則に対応したものとなっている。この世界で起こる出来事というのは、その一つ一つが固有なもので、同じ現象は二つと起こらない。ところが行政は、その出来事について報告を受けると、あらかじめ定められている規則にしたがって、同じ仕方で処理すべき案件へと分類してしまう。ただし、ここでいう案件の同一性は、やはり直観的・質的な同一性ではない。案件は自然法にしたがって本質を与えられるのではなく、機能的に同定されるのだ。同じように処理されるべき対象だから同一なのであって、同一だから同じように処理されるのではないのだ。対象の側の視点からいえば、機能主義というのは、行政活動がルーティン化され、迅速に遂行され、予見可能であるための条件なのである。

以上のように、官僚制的行政は機能主義をとっており、何かと何かを等価であると判断し、等価なものどうしをその働きにおいて比較するような体制になっている。最後に指摘しておきたいのは、このとき、そういった判断や比較のために必要な観点の実定性(被定性)こそが、官僚制的行政の、そして機能主義一般にとっての前提だということだ。この観点に求められるのは、あらかじめ定められていること、そしてその正当化は機能的思考の内部で行われなければならないということである。つまり、機能的観点は、比較領域を構造化するという機能によってしか正当化されえないのだ。機能はつねに何らかの「上位単位」を前提とするわけだが、これはそれ自体が明証的であるとか、いわんや真である必要はない。上位単位の評価は、それが示す秩序化の働きによってなされるからだ(14)。近代国家では、公的な事柄を機能的に秩序化するのに、真なる国家目的を持ち出してきたりはしない(15)。イデオロギーで十分だからだ。

  • (14) この考え方は、近代論理学でも採用されている。近代論理学の基礎概念は「暗黙に定義」されるものであり、無矛盾な演繹を可能にするという機能によってのみ基礎づけられることになっている。
  • (15) それに、Hans Kelsen(Kelsen [1928: 83])の慧眼が見抜いていたように、国家目的は国家主権と矛盾する。近代的な考え方では、主権というのは絶対的機能主義の公準なのである。

以上述べてきたとおり、行政の機能主義は、社会生活の中に新たに人為的な視角を導入するものである。機能概念は、そうやって社会生活が再構造化される仕組みを研究するための分析上の補助手段として使える。しかし機能概念の役割はそれだけではない。この概念は、歴史上の出来事を指すものでもあるからだ。

機能というものを、その概念内容だけでなく、歴史的にも理解しようと思ったら、機能によって変形させられた秩序とはどんなものだったのか、という観点から考える必要がある。機能は、本質とか固有性といったものによって実体的に同定されていた事物を、機能的に同定しなおす。つまり現象から、その元来の意味や形を奪うのだ。これによって、公的生活のあり方は、全面的に変化することになる。儀礼や儀式のような定型的な動作によって所属意識が弱まったり強まったりするということはなくなり、祭事は季節を区切るための輝きを失う。人が生まれ、成長し、死んでゆく、そのあり方を定めていた古い形式は消え去っていく。助け合いの精神は公的生活から私的生活へと撤退し、そこが唯一、社会的共感の表明が求められる場となる。英雄も道化も、王も乞食も、例外的な役割としての力を失って死に絶え、悪党すら、近代の行政には登場してこない(もちろん前近代的な要素を多く残した政体にはまだ悪党がいるが)。その代わり、行為や制度はそれらが果たす働きの連関の中で、その機能に関して代替可能なものとして捉えられる。そのため、同じ働きをするものが非常に多く見つかることになり、その結果、最善の可能性を見つけて実行することがつねに保証されている。このように、機能は自然に存在していた区別を無化し、人為的で機能特定的な区別に置き換えるのだ。そしてそのような体制が支配的になることで、専門家は不要になる。

行為を機能的に同定するということは、行為を特定の一側面からのみ捉えるということだから、その結果、個人の生活の自足性と、社会的秩序の調和性が脅かされることになる。これは、旧来の儀式中心の体制では起こりえなかったことだ。そこで、それを埋めるための補償が必要になってくる。つまり、労働、生活必需品、社会的地位、成功の機会、信じるに足る意味といったものを、計画的に供給することが求められるようになる。ところが、そうした補償の必要性自体が、機能的に同定され、組織によって充足されることになる(というか、補償の必要性を同定するというのは、それを機能的に同定するということでしかありえない)。こうして社会的秩序は緊張を緩和され、存立が保たれる。ただし、そのためには大規模な行政が不可欠である。

行政学は、このような歴史的状況を認識した上で、それを受け容れなければならない。それが近代国家の前提である以上、近代国家を対象とする行政にとっても、この歴史的状況は前提なのだ。行政学が研究すべき事柄というのは、最大限広くとって言うなら、公的生活の秩序に対して、機能思考がどんな影響を及ぼしているかということだ。この研究課題に応えるには、機能的に同定するということがどういうことなのかを理解している必要がある。この点が理解できていないと、学問としての射程と限界を見定めることができないからだ。類型的で反復可能な状況を見つけたら、そこで自然的世界が機能的な指向によってどのように再構造化されているかを調べてみること。それが行政学の課題である。そうすれば、その再構造化によって何が得られ何が失われているのか、生活や社会的関係がどのような変化を被っているのかを知ることができる。そうした研究成果が蓄積し、近代国家の現実についての内容的・歴史的な認識が確立したとき、そのときはじめて、我々は機能の機能の先にまで進み、まだ見ぬ機能の本質を問うことができるのだ。

(訳了)


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