このブログを検索

2014年9月1日月曜日

邦訳『経度への挑戦』の誤訳箇所メモ

この邦訳は非常に読みやすく工夫されていて素晴らしいので、以下の指摘も「こんなに誤訳がある!」というあげつらいではありません。合わせて読めばより正確に読めるだろうというだけのものです。



【訳文】

地球の二つの極を通る線は、あらゆることの基準となるため、子午線は政治的な判断で変更されることが多かった。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,10頁
【原文】

As the world turns, any line drawn from pole to pole may serve as well as any other for a starting line of reference. The placement of the prime meridian is a purely political decision.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 1

経度0度の子午線をどこにするかという話。「あらゆることの基準となる」などとは原文のどこにも書いていない。原文にあるのは「北極と南極を結ぶ線であればどれでも基準線とすることができる」ということ。だからこそ、どこにするかは「純粋に政治的な決定」なわけだ。なおこの邦訳は、経度0度の経線のことを「子午線」と書いているが、実際には「子午線」と「経線」は同じものなのでこの訳し方では困る。経度0度の子午線=経線は「本初子午線」とすべき。


【訳文】

そんな彼をことさら目の敵にしたのが、第五代の王立天文台長だったネビル・マスケリンだった。経度法の賞金を獲得しようと躍起になっていたマスケリンは、独自の理論を展開しつつ、ここぞというときには反則技に近い手段を使った。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,14-5頁
【原文】

He made a special enemy of the Reverend Nevil Maskelyne, the fifth astronomer royal, who contested his claim to the coveted prize money, and whose tactics at certain junctures can only be described as foul play.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 1

「独自の理論」については原文には言及がないし、「賞金を獲得しようと躍起になっていた」とも書いていない。ハリソンの主張(=経度測定法を確立したので懸賞金をくれ)に異議を唱えたとあるだけ。


【訳文】

錆びない素材を使ったその時計は、ほうり投げようと転がそうとびくともせず、部品どうしのバランスが崩れることもなかった。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,15頁
【原文】

Harrison nevertheless constructed a series of virtually friction-free clocks [...] that kept their moving parts perfectly balanced in relation to one another, regardless of how the world pitched or tossed about them.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 1

さすがに放り投げたり転がしたりしたら壊れるだろう(常識的に考えて)。原文には「まわりの世界がどれだけ揺れても」とある。つまり船の揺れに強いというだけのこと。


【訳文】

国王ジョージ三世の庇護のもと、ハリソンがようやく金銭的な見返りを主張したのは一七七三年のことだった。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,15頁
【原文】

An aged, exhausted Harrison, taken under the wing of King George III, ultimately claimed his rightful monetary reward in 1773.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 1

この "claim" は「主張した」ではなく「受け取った」の意味。それまでにも懸賞金をめぐって紆余曲折があったのであって、「主張」自体はもっと前からやっていたのである。


【訳文】

それから何十年もたって、女は牧師に自分のやったことを告白し、その罪と後悔の証として指輪を渡している。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,15頁
【原文】

Three decades later, on her deathbed, this same woman confessed the crime to her clergyman, producing the ring as proof of her guilt and contrition.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 2

これは誤訳ではないし、情報をはしょって読みやすくするのも一つの翻訳技法だと思うのだが、一応メモ。原文には「三十年後、死の床で」とある。


【訳文】

この新しい装置のおかげで位置計算の精度が向上したことは、すぐに明らかになった


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,23頁
【原文】

The ships officers saw firsthand how Harrisons clock could improve their reckoning.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 2

試験航海という事柄の性質上「すぐに」は明らかにならない。船員たちがハリソンの時計の精度を「その目でじかに」確認したということ。


【訳文】

艦隊は普通なら使われないような航路を旅したものの、無傷でパタゴニアに到着した。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,24頁
【原文】

The fleet reached Patagonia intact, after an unusually long crossing,


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 2

特に航路のことを言っているわけではなく、大西洋を横断するのに異常に長い時間がかかったということ。


【訳文】

船は大西洋から太平洋に通じるドレーク海峡を航行中だったが、ホーン岬の突端を回ったところで、西から嵐が襲ってきた。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,24頁
【原文】

Anson sailed the Centurion through the Straits Le Maire, from the Atlantic into the Pacific Ocean.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 2

これも誤訳というより訳者が意図的に変えているのだが、どういう効果があるのか不明。「ドレーク海峡」は南米大陸と南極大陸の間のものすごく広い範囲を指すが、「ルメール海峡」は南米大陸沿岸のごく狭い海峡。


【訳文】

だがどうやら、フエゴ島から西に三〇〇キロ以上離れてしまったようだ。


藤井留美(訳),『経度への挑戦』,角川文庫,24-5頁
【原文】

[...] he figured he had gone a full two hundred miles westward, beyond Tierra del Fuego.


Dava Sobel, Longitude, Fourth Estate, Ch. 2

西からの嵐に逆らって西に進んだのだから、「だが……西に……離れてしまった」はおかしい。ここは端的に位置について判断しているだけ。また、ティエラ・デル・フエゴはフエゴ島以外にも複数の島を含む諸島なので「フエゴ島」とするのはほんとうは不正確。そのせいで、少し後に出てくる「ノワール岬」を「フエゴ島の西端」としてしまっている。しかしノワール岬はティエラ・デル・フエゴを構成する島の一つ「ノワール島」にある。

0 件のコメント:

コメントを投稿