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2011年5月26日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第6回 パスカル『パンセ』

対象文献:
パスカル, 前田陽一・由木康(訳),『パンセ』,中公文庫



以下、出席者の感想。

  • 司会者の方が色々工夫をしていてたくさんの意見がでてよかったと思う。

  • 価値判断を抜きにした純粋な中立的状態が成立しないことは、科学哲学上の観察の理論負荷性を考慮すれば自明となろう。[以下、「感想1」]

  • 「行為の善悪」と「正義」、「人間の原初の状態・区分け」に関する議論でした。発言もなんとかできました。時間が足りなくなってしまったのは残念ですが、とても有意義だったと思います。パンセ組の皆さん、お疲れ様でした。

  • 大学生活の疲れがたまってきた自分にとって、「パンセ」の本は何とも言えない重さだった。

  • ◯◯さん[=「感想1」の書き手]の考え方にすごく共感しました。人間は文化の中で生きているので、それを抜きには考えられないと感じました。

  • 自分が報告に返論したその返答にすぐ納得するのではなく、何度も自分の考えを示していきたいと思いました。

  • パスカルは文化相対主義的な考えを持っていたのかな、と個人的に思いました。担当だった皆さん、それぞれ考えを持っていて素晴らしいと思います。

  • 「人間のあるがままの状態」は、結局どういうものなのだろうと感じた。色々な人の「人間のあるがままの状態」についての意見を聞いてみたい。

  • 自分は「邪欲」という言葉を◯◯さん[=報告者1]のように考えていたので、◯◯さん[=コメンテータ1]のとらえ方はおもしろかったです。◯◯さん[=報告者1]はどのように思ったのか訊いてみたいです。◯◯さん[=感想1の書き手]の考える「人間のあるがままの状態」とはなんなのだろうと思った。

  • 今回はみなさん自論がわかりやすかったです。600ページを超える本を読み切ったみなさん、お疲れ様です。司会の◯◯さん(=司会者)もがんばっていました。

  • 思考が止まってしまった。

  • 思考の言語化、この難しさに直面。家に帰って考え直してみると考えがまとまるんですけどね。また次回からがんばります。

  • 正義は、それを行う人によって、見方が変わる。では、普遍的な正義は存在できないのではないだろうか? 最後の方の討論で、もし、宗教を一つに統一したとしても、別の宗教が生まれるのではないかと思う。そして、あるがままの状態になることはできないのではないだろうか。生物である限り、生きようと、子孫を残そうとする。平和には、ならないのではないだろうか。

  • 今回も発言ができなかった。残念。欲の善悪、というのは自分としては新たな視点だった。

  • 報告者1の感想  なんだかうまく発言できなくて自分の口下手さを感じました。またレジュメのほうも、あまり考えが及んでないところがたくさんあって、思考力のなさも感じました。でも、新たな考えにも触れることができ、よかったです。

  • 報告者2の感想  普遍的正義について考察するためには、わく組みにとらわれることなく考えることが必要だとしたが、わく組みをなくして文明社会で生きる私たちが正義を考えることはできないんじゃないかと思いました。

  • コメンテータ1の感想  レジュメを熟読したにもかかわらず、議論に参加できなかった自分が情けない。自分の考えをしっかり言えなかった。考えていることを筋道立てて言えるようにしたい。

  • コメンテータ2の感想  やっぱり理想論だけではだめですよね…

  • 司会者の感想  自分の失敗で、貴重な議論の時間を失ってしまった!! 自分の今日の目標は、なるだけ多くの人に発言していただくこと、報告者・コメントの4人全員のレジュメについてふれる、ということだった。達成できたかな?

2011年5月19日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第5回 デカルト『方法序説』

対象文献:
ルネ・デカルト,山田弘明(訳),『方法序説』,ちくま学芸文庫



以下、出席者の感想。

  • レベルの高い議論でした。追いつくので精一杯というか…。頭がオーバーヒートしています。次からの討論に、生かしていきたいです。

  • ○◯さん[=報告者2]の報告では、デカルトの意見に即して意見がなされ、分かり易い内容だった。△△さん[=報告者1]の報告は視点は面白かったが、少々分かりづらいと感じた。

  • もっと本書を読みこめばよかったなと思った。みなさんのレジュメはとても苦労したろうなと思った。

  • 神は存在するという定義を前半に議論が長くつづいて、その理解をするのに大変で、もっと自分の考えも進めるのを早くしたいと思いました。

  • 少し発言できた。あてられてからですが(笑) 今まで議論で話されていることを理解できなかったが、それってやっぱり自分でちゃんと理解しようとしてなかったからだなあと思った。これからはもっとみんなの話に耳を傾けていこうと思う。

  • 今日は話に全くついていけませんでした。皆さんが何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。頭痛がするほどに自信がなくなりました。もっと本を読みこんでがんばります。

  • 細かいことだけど、△△さん[=報告者1]のベン図は、疑う⇔不完全が成り立つので、必要十分条件なのではないかと思いました。でも、図を使って説明するのは分かりやすいし、良い考えだなと思いました。

  • 話を切り出すタイミングが分からないと疑問が残ってモヤモヤするので、もっと早いうちに言えば良かった。議論に耳を傾けて反論できるようになりたい。

  • コメントで「偽からは何も得られないとは思わない」とあるが、ここでの“偽”は真(絶対なこと)と偽(絶対でないこと)ということだと思うので、ここでそのことわざを使っても偽は絶対ではないのだから、どんなに失敗しても一向に真には近づけないのではないかと思った。

  • デカルト哲学の基本的なアウトラインは今回の発表でおさえられていたが、デカルト哲学の真の価値は理性という探求のゴールを設定したことよりも、懐疑論の否定的側面にこそ求められるべきではないか、と感じた。

  • デカルトは神は存在するとしているのに、△△さん[=報告者1]は神を概念に存在するものという考えに至ったのはなぜであろうと思った。

  • 「神」って難しいなあと思った。レジュメの書き方、読み方も参考になった。

  • 神は不完全な人間が考えたものなので、神は完全ということはないと思う。

  • 難しくなってきた…。自分が情けないことです。今回は神がいるのか、いないのかなどを疑問する前に、前提条件などをきちんと整理することが必要だと思った。

  • 三回目にして初のフロアーです。二人ともレジュメが高度すぎて、疑問すら見つけられませんでした。もう少し理解が欲しいところです。司会もとても上手でした。時間が過ぎるのがとても速く感じました。

  • 報告者1の感想  結局、自分の展開方法に欠点があったのかなと思いました。もう一度見直したいと思います。

  • 報告者2の感想  こんな大変なのがもう一回あるんですね。何かもらえるんですか?

  • コメンテータ1の感想  コメントするのも大変なんだなぁと思いました。書いているうちに自分の中で混乱してきて、これは報告者へのコメントになっているのかなど、とても不安だった。

  • コメンテータ2の感想  自分の主張を述べているうちに頭の中がごちゃごちゃになってしまった。もっと自分の考えを明確にしておくことが必要だと思った。

  • 司会者の感想  もっと全員の理解度が統一できれば良かった、時間配分が下手くそだった、など反省点しか見当たりませんが、貴重な経験をさせていただけたなぁと思います。○◯さん[=コメンテータ1]、コメントについての議論にもっていけなくてごめんなさい!! この経験が次につなげられるように努力したいと思います。報告者、コメンテーターの皆さん、本当にお疲れ様でした!

2011年5月12日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第4回 アリストテレス『哲学のすすめ』

対象文献:
アリストテレス,廣川洋一(訳),2011,『哲学のすすめ』,講談社学術文庫



以下、出席者の感想。

  • やはり哲学というのは唯でもできるのではないかと思う。考えるだけでよいので、時、場所を選ばず、どんな年齢の人でもできるからだ。まあ、そもそも哲学という言葉の意味自体分かっていませんけど。

  • ◯◯氏[=報告者2]の論文では、私はなかなか穴を見つけることはできなかった。一つもやもやしていることは絶対的善と相対的善のことである。相対的善とは主観的なものであると思ったのだが、主観ではない正しいものが見えてこないこともある。もっと大きい視点から見た絶対的善も存在するのではないかと思った。

  • 正直よく分かりませんでした。哲学の意味がそもそも自分ではよく分からなくて、なかなか発言できませんでした。「なんで人は生きてるんだろう」とかはやはり誰しもが考えることで、アリストテレスが人間じゃないとみなした奴隷でさえも、やっぱり「自分らってなんで生きてるのかな」って考えるときはあったと思います。つらい境遇にあればあるほどそうだと思います。頭が疲れました。

  • 善に関するアリストテレスの議論から、個と社会との関わりについて後世発展することになる確信が導き出されることを再確認しました。

  • 哲学的なことではないかもしれないけれど、一人一人が本当に得たいものを得るときに魂がよくなるのだと思う。「善い」ものについて考えるいいきっかけになった。考えを深めていけばその先に自分の人生に本当に必要なことが見えてくるのではないかと思う。

  • 最後に話に挙がった、利益や快楽に関してですが、哲学を勉強している人で、哲学が嫌いな人は、中にはいるかもしれないけど、大半の人は好きでやっているんじゃないかと思います。私としては“好きなもの”は快楽につながると思うし、哲学は私も結局自分の知識を深めたりするうえでは利益になるのではないかと思います。言いたいことがまとまらず、発言することができなかったので、次回はもっと積極的に議論に参加していこうと思います。

  • 正直なところ準備不足でした。あまり読み込んでない上に、自分の考えもまとまっていなかったので、頭の中がごちゃごちゃになりました。うまく質問したり意見を言うこともできなく、申し訳なかったです。そもそも哲学とは何なのかがわからないです。このことが心に大きくひっかかって気持ち悪いです。

  • 時間の関係で発言を控えていましたが、美しいもの、善いものというのは、幸せなのではないだろうか。幸福を感じた時、幸せだなあと感動すると思いますが、アリストテレスもこの感動こそを求めるべきだと思っていたのではないだろうか。よりよく生きること、というのは人によってさまざまあり、庶民にも、もっと幸せというのを知ってもらいたい、もっと哲学してもらいたいと思って、多くの層の人に対してこの本を書いたのだと思いました。

  • アリストテレスは哲学をだれがするものだと考えていたのか。今日の一大テーマだったように思います。結局、奴隷は人間とみなしていないのでそれ以外の人々ということなのでしょうか。

  • 「哲学する」ということは、個人的なことなのかもしれないと思った。私は、生きる上で哲学すべきだと考えるけれど、それを普遍的に、誰にでもあてはまるように哲学を定義するのは難しいことだと思った。だから、アリストテレスの論が曖昧になってしまったのではないだろうか。私にとっては、「良く生きるように努力すること」が哲学だと思った。これはこの先、自分の中で変わり得る定義だと思うし、こんな風に、自分なりの哲学に対する定義を、本を読む中で深めて行きたい。

  • 「哲学することとは何か」という根本的なことがらについて考えることができたが、考えれば考えるほど分からなくなってしまった。私は哲学できる人間なのだろうか? と、今日の演習は個人的に考えが深められて有意義だった。考えは思いつくので積極的に発言したい。

  • 利益を得ても、その利益を得た先に何か世の中のためになるような行為をすれば、それはそれで「よく生きる」ことになるのではないでしょうか。利益を全く得ずに喜んで生きることは困難ではないでしょうか。利益自体に善悪はないように思います、がどうでしょうか・・・

  • 着眼点が人によって様々で、自分の気づかなかった点に触れられたことが嬉しかった。

  • 哲学することは善いこと、のはずなのに、人間学コース(哲学)で学ぼうとする人が少ないのはなぜだろう・・・。

  • 今回も報告者の意見がとてもよく筋が通っていて、分かりやすかったです。途中で、“善いもの”というものということについて疑問を自分の中でまとめることができなくて、発言できなかったのが残念でした。

  • 報告者1の感想  開始前はまな板の上の鯉の心理でしたが、いざ調理が始まったら意外と放置されてました。蛇足っぽかったですが、何とか発言も出来ました・・・。あとは理解力の養成ができればなおよいと思いました。質問の趣旨外しすぎでしたし。

  • 報告者2の感想  みなさんに聞きたかった「私たちは哲学をすることができるのか」ということについて聞くことができてよかった。みんな概ね「できる」ということであった。そして私が常々思っていた、哲学すること=よりよく生きること=それって自分に対して利益を求めることじゃない? ということにも本書からは少しずれるが討論っぽいことができた。緊張した・・・。

  • コメンテータ1の感想  先生の友達の研究者は、生活を犠牲にして、哲学をしているのではないでしょうか。哲学することをあきらめれば、少なくとも、普通の暮らしができると思います。でもやはり、そこには情熱があって、そのおかげで哲学をしているのでしょうね。/利益の定義って難しいですね。

  • コメンテータ2の感想  そもそも哲学をするというのはどういうことなのか、哲学をするには何が必要なのか、が大きな論点になったように思う。またそれに関わって、善いものは何か、にも言及があった。一筋縄でいかない題材であったと思う。

  • 司会者の感想  沈黙の恐怖に負けてしまい、スムーズに会を進めることができず後悔が残った。今回は司会ということで、自分の意見・考えをいうことはしなかったが、皆の意見を聞くことができ、自分でこれから考えていくときに参考にしていこうと思う。

2011年4月28日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第3回 プラトン『プロタゴラス』

対象文献:
プラトン,中澤務(訳),2010,『プロタゴラス』,光文社古典新訳文庫



最初に念のため注記しておきますが、学部1年生のゼミです。さて・・・

報告者1は、ソクラテスがアテナイ来訪中のプロタゴラスのもとに出向くことになる事情を述べた本書冒頭のシークエンスに注目します。そこでは、有名人キタ━(゚∀゚)━!とはしゃいでいる若者に対して、ソクラテスが、知識というのはいったん得てしまったらとりかえしがつかんぞ!と脅し、プロタゴラスから知識を得る前に、その知識とはどんなものか、特に良いものか悪いものかを確かめておくべきだ、と説くわけです。

ここでは、「人がある種の知識を有している状態」そのものが、良い悪いの判断の対象になっています。報告者1の議論は、この前提に対して、果たしてそうか? と疑問を投げかけるものです。知識というのは、もっているだけではなく、利用してこの世界の状態に変化をもたらして初めて――その状態の良し悪し評価を経由して――良し悪し評価の対象となるのではないか、と。報告者1は、「うそをつく」という知識(というよりは技術でしょうか・・・アリストテレス的には技術というのは普遍的応用可能性をもった知識のことだから・・・むにゃむにゃ)について、塞翁が馬的な事例を出してこのことを示していきます。

報告者2は、愚行・悪行の原因を無知(あるいは効用計算能力の欠如)に還元するプラトン=ソクラテスの議論に対し、「わかっちゃいるけど」やめられない/やってしまうという事態(体に悪いのがわかっていてもお菓子を食べ過ぎてしまう)が存在する以上、無知だけでは事態の説明にならないと指摘します。私は、飛び降りないと焼け死ぬのがわかっているのに怖くて飛べない、という映画でよくあるシーンを想像しました。無知だけでは不十分、という知見にもとづいて、報告者2が出してくるのが「意志の弱さ」です。これについては後述します。

コメンテータ1は、報告者1の、「知識それ自体の評価は不可能、その知識がもたらした結果の評価を経由した間接的評価なら可能」という議論に対して、根本的な難点を指摘します。つまり、知識が結果を生む、といっても、その際に、知識と結果は一対一対応するものではなく、人は複数の知識を同時にもっており、それらを同時に使うことで一つの結果を生み出すのだから――「MVPが存在するというよりは、知識の連携プレーのおかげ」――かりに、結果について一意な評価ができたとしても、そこから思考過程を形成する複数の知識それぞれに対する別個の評価を導くことは困難だ、というわけです。

他方、報告者2に対しては、知識(無知)だけでは不十分、という論点を共有した上で、「意志の強さ(弱さ)」ではなく、補完的に必要なのは「理解」だ、とします。ここでいう「理解」とは、良い悪いを単に知っているだけでなく、良い悪いの価値判断を「心から信じ」ているということだそうです。この点については、良い悪いのような価値判断を、「理解」することなく「単に知っている」という事態が可能なのか、また報告者2のいう「意志の強弱」との関係はどうなるのか、という点が気になるところです。

コメンテータ2は、学部時代に印哲を専攻し、卒業後も洋の東西を問わず哲学の勉強を続けてきたそのキャリアを活かし、二人の報告者の議論を、東西哲学史の中に位置づけたうえでその限界を指摘する、という、なんだかすごいことをしています。

コメンテータ2が両報告者の議論を高く評価するポイントは、両者ともが、現象を原因/結果の2つに分割することの帰結を、ソクラテス以上に正しく、粘り強く捉えているということにあります。2つに分割されたものに対し、良し/悪しという2分図式で評価を加えるということは、本来は2×2の4通りの可能性を考慮しなければならないのに、ソクラテスは良い原因-良い結果、悪い原因-悪い結果の2通りしか考慮していないこと、そして両報告者はその「頑迷さ・非柔軟さ」に由来する問題点を正しく指摘していることを、評価しているわけです。

そのうえで、報告者1に対しては、「知識それ自体」の評価不可能性、価値中立性を主張する議論は、哲学史的にはナイーヴすぎるのではないかと指摘し、また報告者2に対しては、「良い結果」を生じさせるのに「意志の強さ」だけで十分なのか、個人に帰属可能な性質を超えて、「神もしくは運命という壮大なエネルギー」を考慮する必要があるのではないか、と指摘します。これらはいずれも、重大な論点を含んでいるように思いますが、コメンテータ2の議論は、本来「哲学的」な議論が求められるはずの箇所ですら、「哲学史的」な性格が強く出てしまっており、「哲学的」な消化不良感を覚えたのも事実です。

最後に、司会者は初回であるにもかかわらず、大変立派な司会ぶりで、感心しました。報告、コメンテータについてもそうですが、私が1年生のときはこんなにきちんとはできませんでした。初回にお手本を示してくれてありがたく思います。

私の方からの総括を書こうと思っていたのですが、すでに長くなりすぎているのでこのへんにしておきます。あ、でも一点だけ。「意志」「理解」「神/運命」など、新しい概念を出すときには、聞く人の言語的直観に過剰に依存しないように気をつけることが大切です。この種の概念は、論者による問題設定によって張られる議論空間の中の位置づけを明確に定められて初めて、十分に理解可能になります。言葉を言いっぱなしにするのではなく、自分の概念をできるだけ丁寧に提示していくことを心がけていただければと思います。

以下、出席者の感想。

  • 司会者の進め方が上手で場の雰囲気もよく、コメントが沢山でてきて素晴らしいと思いました。

  • 報告者2人とも、独特の観点から述べていて、一生懸命準備してきたんだなというのが伝わってきました。○○さん[=コメンテータ2]についてですが、神の力とか運命っていうのは災害・天災に関わるということでしたが、では◯◯くん[=報告者2]のお菓子の例にもそういった力は関わっているのでしょうか。もし、関わってないとすれば、やはり意志の力で十分だと思いました。観点それてたらすいません。

  • ○○さん[=コメンテータ2]のコメントにあった、1ページ目の最後の行からの“ただし、~分かれるように思われる”が、私にはやはりあまりわかりませんでした。すみません。また感想としては、もっと本をじっくり読むことが必要だと感じました。色々な人の考えが分かるのは、とても刺激になりました。

  • うまく質問ができなかった。でも、自分が感じた疑問を口にし、「なにをするのが最もよいかを分かっていない」で、悪いことをしてしまうかもしれないことがあるという意見の一致を得られたようであった。

  • 「意志」は知識か。/◯◯さん[=報告者2]の「3.プラトンの主張への違和感」のなかで、「何をするのが最もよいかわかっているのにそれをしない」という文が引用されているが、これはだれの考えなのか。/報告者、コメンテーター、司会者の方達が非常に今後のハードルを上げてしまい、ちょっと困ったが、その分がんばらねばと思った。

  • 正直に、ついていくことができない。これから努力していきたい。

  • 報告者の方々の報告を聞いて、行動をしてその結果を分かっていること=知識だということが分かりましたが、人は行為をするときに目的をもって行動するので、その結果を知らない人、つまり無知な人はいないのではないかなと少し疑問に思いました。みなさんの考えが深く考えられていて、私も早く考えをまとめられるようにしたいです。

  • ◯◯さん[=コメンテータ2]がおっしゃっていた、神についてなんですが、私は『プロタゴラス』を読んでいて、努力(良い知識に基づいた努力:良い結果を見通した努力)が報われないこともあるよなーと思いました。○◯さんはそういう時、神に救いを求めているけれど、他の人はどう考えているのかなーということを思いました。/この質問を考えていたら終わってしまったので、次はすばやくがんばりたい・・・。

  • [コメンテータ1が定義する]「理解」は「ある事柄の価値を認めて、それを実際に行動に移せること」というのがよくわかりません。理解=行動ではなく、理解してやろうとする意志がおこって行動するのではないでしょうか?

  • アレテーが「教えられる」か、「られない」かのどちらか、とか、どんな性質のものなのかと詳しく質問すればよかったと思うので、もう少し詳しく聞きたいです。

  • ◯◯君[=報告者2]の「お菓子」の例えが、本の内容をうまく理解できず、自分なりに解釈できなかった私にはよく理解できた。単純な例えではあったが、このくらいかみくだいて考えると分かりやすいということを教わった。

  • ◯◯君[=報告者1]へ。先生の言っている内容と被りますが、私には必ずしも行動の良し悪しは決めることはできないと思います。決まるとしたら死ぬ直前。でもそれでは決める意味はないですよね。結局、「人間万事塞翁が馬」になってしまい、それから思考することができませんでした。/◯◯君[=報告者2]へ。私には意思の強さの他にも何か要因があると思えました。しかしそれが何であるかは私にはわかりませんでした。

  • ◯◯さん[=報告者1]への質問。「知識を伝授されてただちに変化することはない。」とありますが、考え方や認識は変化するのではないですか?例としては、人は平等だという知識を得て暴動を起こした革命者とか。

  • 報告者1の感想 初めての報告、初めての討論ということで、とても緊張しました。自分の言いたいことが、ちゃんとみなさんに伝わっているのか不安です。でも討論を通じてみなさんの意見を聞けたので、とても良い経験になったと思います。

  • 報告者2の感想 自分の読み込みが甘く、至らなかった考え方が多くあったことが残念であった。それぞれの人の『プロタゴラス』に述べられていることの受け取り方が違っていることが哲学書を読むことのおもしろさだと感じた。

  • コメンテータ1の感想 2人の報告者はどちらもよい報告をしていたと思います。がんばった!司会者も初めてなのにかなり要領よく役割を果たしていたと思いますー。◯◯さん[=コメンテータ2]のコメントは難しかった。自分のコメントは、しっかり考えた結果だったのでよくできたと思います。

  • コメンテータ2の感想 意志をめぐる問題が哲学の歴史全体を通じた中心の意義を担うことを再確認いたしました。

  • 司会者の感想 報告、コメントの皆様、お疲れ様でした!レジュメもわかりやすく、話のペースや声の大きさもいい感じでよかったですよ。至らぬ司会で申し訳ありませんでした。先生も度々の助け舟ありがとうございました。

2011年2月3日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習B」 第14回 鈴木伸元『新聞消滅大国アメリカ』

対象文献:
鈴木伸元,2010,『新聞消滅大国アメリカ』,幻冬舎新書



以下、出席者の感想。

  • 新聞とネットどちらかでいいかどちらもがいいかと言われたとき、私はネットだけでも良いのかなとも思った。手軽だし、最新の情報が出てくるのは、逆に良いことだと思ったので。でも、万人に対して友好的だという点を聞いたときに、どちらもあるべきかもしれないと思った。

  • 新聞がなくなるかもと考えた時、ただメディアの1つの媒体がなくなるだけでなく、色々な問題を抱えているのだとわかった。新聞が社会にうまく合わせていくか、新聞が今担っている役割を請け負う、別の何かが、今後必要になってくるのではと思った。

  • 新聞がなくなったら、どうなるのか考えたことがなかったので、いろいろな人の意見が聞けて面白かった。次回は意見を言えるよう頑張りたい。

  • 「新聞」がなくなりつつある、ということだが、ネットでの配信が進んでいるという。ネットで配信されているものも新聞と読んでしまうのは少し寂しい気がした。これまでの形を失ってしまったものを、それでも「新聞」と呼ぶのには抵抗がある。

  • 新聞は整理されていて、あった方がいいと思うけど、私は日頃新聞を読まないし、ネットの記事も見ない。けど、テレビのニュース番組を見れば最低限の情報は得られるような気がする。

  • 最後の〇〇さんの意見を聞いて、新聞がなくなると地方の情報があまりネットで伝えられなくなったら困る部分もあるんじゃないかと思った。毎日新聞や読売新聞みたいな新聞を読んだことがなかったので、広告の多さに驚いた。

  • 私は新聞とインターネットのニュースは使い分ける人です。ネットのニュースは膨大ですぐに更新されるため、速報として、「そういうことがあったのね」くらいにとらえ、過去のニュースを追いかけて読もうとは思わない。新聞は開いてすぐに記事が目に入るので見やすいし、ネットのようにすぐ流れないのでじっくり読めるようになると思っている。気になった情報があればすぐその面を開けば読めるので、探す手間を考えるとインターネットよりも新聞の方が案外便利な気がする。今回の話は辞書と電子辞書、本と電子書籍の話に似ているような気がする。

  • 来週は発表なので頑張りたい。

  • 新聞とインターネットそれぞれ特性があるであろうが、正確に情報を伝えられるものならばどちらでも差異はあまりないような気がした。

  • 私は新聞は新聞として(紙として)残ってほしい。残るためには何が必要か色々考えた。ひとつは、収入システムを変える、もしくは、何らかの保護をする。ふたつめは、何か新しいアイディアを取り入れる、だ。ブランドの話を利用すれば、人々はみな新聞のよさ、ネットニュースのよさに気付いている。それで新聞ばなれがすすんでいるということは、ネットを要している人が増えているということだと思う。それでも新聞を残すためには、新たな方法を講ずるしかないのかなと思う。あと、ネットでニュース見るのは、新聞をよむより、私にとってはかなり能動的な作業が必要だと感じている。虫めがねとか、ろうがんきょうがある!!!

  • 報告者の感想  ネットと紙の賛否両論があって、自分もまた考えさせられた。10年後にも同じ議論をしたら、私の立場は変わっているかも。反省は、すぐに意見を言葉にして言えなかったこと。分かりづらくてごめんなさい。

  • 報告者の感想  自分の考えの甘さを痛感しました。全然、質問に答えられなくて申し訳ありませんでした。

  • コメンテータの感想  コメントでした。報告者の方とやりとりをしたり、いろんな方のお話を聞いていく中で、新しく疑問に感じたこと(どうしてニュースサイトはもっと見やすくまとめないのかとか)があってたのしかったです。紙の新聞も、ネット上の新聞(ニュース?)もお互いに良い点があると思うので、どちらか一方になったらさみしいとおもいます。

  • 司会者の感想  司会者として、報告者の意見をまちすぎたり、フロアの方にタイミングよくまわせなかったことが反省点です。でも楽しく議論できた点は良かったと思います。

2011年1月27日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習B」 第13回 竹内啓『偶然とは何か』

対象文献:
竹内啓,2010,『偶然とは何か』,岩波新書



以下、出席者のコメント。

  • 「1+1=2」を日常的に使っているからといって必ずしもそれが正しいことの証明にはならないな、と後から思いました。「1+1=2」を証明できないと、現実世界、仮想世界について定義することは無理なのでは・・・と思ったり。

  • 難しい議論でなかなかついて行けなかった。

  • 発言の機会を与えてもらったにも拘らず自分の意見を持ち、発表して議論に貢献することができなかった。次回は必ず自分の意見を持って発表できるようにしたいと思う。

  • 確率論と決定論を関連させた展開は初めて見たので新鮮でした。決定論を宗教的観点以外から見てみるのも面白いと思った。

  • 今回、いつも以上に、頭を使った気がするし、話についていくのでいっぱいいっぱいだったけれど、内容自体は面白かった。司会者は、適当に割りふっていて、場をまとめていたと思う。時々の沈黙は、それほど気にならなかった。

  • 今日すごくむずかしかったです。でも、考えたり、お話したりするとそこそこたのしかったとおもいます。あと先生のレジュメが長くて大変でした。すみません。司会者の方がせっかく用意しておいてくれたのに、うまくこたえられずすみませんでした。カゼうつしたらすみません。

  • 報告内容は面白かったんですけど、頭がついていかず、的はずれな質問をしてしまった気がしなくもないです。みなさん凄いですね。

  • 本の内容がよく分からなかったのと、議論についていけなかったので、あまり発言できなかった。次回は発言できるようにしたい。

  • 本の内容がよく分からなかったのと、議論についていけなかったので、あまり発言できなかった。次回は発言できるようにしたい。

  • 私も数学が不得意なので、本書を読むこと自体に少し苦労したけれど、議論を通して少し確率について考えることができてよかったです。

  • コメンテータの感想 第6節について、他の人から色々な意見が出てきた。自分が用意してきたコメントとは異なるものがあることに気付くことができたという点で満足です。

  • コメンテータの感想 頭が痛くなるような難しい話だったなと思いました。

  • 司会者の感想 思うように議論が広がらず、司会としての力不足を感じた。偶然について考えるだけで、こんなにもいろいろな方向に話をもっていくことができるのかと、先生のレジュメのようなものを作れるようになりたいと思った。


2011年1月20日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習B」 第12回 日本ビジュアルジャーナリスト協会(編)『「戦地」に生きる人々』

対象文献:
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(編),2010,『「戦地」に生きる人々』,集英社新書



以下、出席者のコメント。

  • 情報を知るというのは大事なことだと思うけど、特に、戦争とかに関わる情報というのは、色々と規制されたり、個人や団体の思惑や考えで選択されているのだと思うから、どの情報を選ぶかという能力も必要になると思う。知って、そのあとどうするかというのは、個人によると思うので、人によって違っていいと思うし、正しい何かがあるわけではないと思う。

  • 今回この本を読んで、世界には悲惨な状況にある人達がたくさんいることを知った。行動することは難しいと思うが、まずはいろいろなことを知りたいと思う。

  • こういった議題は「知ることが大切」という結論に至ることが多いなあと思います。たしかに知らないよりは知っていたほうが、自分のためにも周囲のためにも良いとは思いますが、実際、知ったところで何ができるか? という疑問が毎回もやもやと残ってしまいます。

  • 最後に、テレビやラジオなどメディアについての話を先生がされましたが、次の次の発表の私が担当する本に非常に深く関わっているので、興味深かったです。

  • 戦地の現状を知ったとしても、私たちにできることは限られていると思うが、それでも、主体的に情報を集め、自分にできることを考えることが、大切になってくると考える。

  • 自分の考えをはっきりと述べることができて良かった。次回はもっと議論に貢献できるようにしたい。

  • 先日私が観たテレビのニュースでは、コーヒー豆の高騰が問題だといっていました。原因はコートジボワールの内戦による生産の低下だそうです。やはりバカげたテレビは、知的好奇心を満たすような情報を流してはくれないようだ。

  • 戦争に関する資料館に行ったり、地雷除去作業を行っている企業を訪ねたりして、戦争や紛争などに関心はあるし、自分の立場は相対的に幸せだと思っているけども、知っているだけで何もできない自分がいます。知っているだけで、かわいそうだと思っているだけではどうにもならない現実もあるように思いました。募金といってもいろいろなものがあるし、関心があるからといっていつでも協力できるわけもないので、ボランティアやNGOなど、特殊なことをしていない人でも、国際的に協力できる仕組みがあればいいと思います。

  • 私もこの本を読んで、知らなかった事実の多さに驚いた。私自身も読んでもっと各地のことを調べてみようと思ったし、これらの悲惨な現状を多くの人が自分自身のことととらえることができれば良いのではないか、と思った。さらに、自分の生活との違いを実感し、いかに自分がめぐまれているか、周りの環境にどれだけ感謝すべきであるのかを再認識できるのではないかと思った。

  • 私自身あまりボランティア精神を持っていなく、募金とかもしたことがない。今回この本を読んで少し外国の状況に関する情報を手に入れたが、やはり募金をしようという気にもならなかった。知ることで行動にうつす人はいると思うが、みんながみんなそうであるとは限らないということも事実だとも思う。

  • 報告者の感想  自分は今回、テレビをもっと有効に活用していきたいという考えで話を進めていったが、もっと他にもラジオが有効だったという話しをきいて、今度活用してみたいと思った。でも、話し合いを終えてみてもやはり、テレビを活用しないのは勿体ないという思いは強い。(色々事情があるとしても。)

  • 報告者の感想  〇〇さん[=もう一人の報告者]の言った個人のモチベーションが今回の議論にも影響していたような気がしました。モチベーションの差による議論だったように思います。

  • コメンテータの感想  「戦争」という言葉を、かなり無批判に、無検討に遣っていたことを反省した。戦争の定義もよく心得ていなかった。また、メディアの仕組みについても全く知らなかった。あいまいなところが多いままの議論だったので、もっと細部まで、自分の考えをめぐらせたいと思った。

  • コメンテータの感想  みんなに指摘されて、自分の考えが少しうすっぺらかったなと感じた。今回、戦地の状況を知れたことは良かったとは思うけど、実際行動に移すのは難しいことだと改めて思った。

  • 司会者の感想  私はこれからラジオ積極的に聴こうとおもいます! 司会どうでしたか? 話しづらかったですかねみなさん。すいませんでした。みんなさんカゼ治しましょう!