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2011年6月9日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第8回 ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』

対象文献:
ルソー,中山元(訳),2008,『社会契約論/ジュネーヴ草稿』,光文社古典新訳文庫



以下、出席者の感想。

  • 今日は報告も議論も難しかったです。皆さんが話していることを理解するのが精一杯でした。

  • 類型化はその思想を述べた時点でそれが成されているのか、またそれが誰によって成されるのかが分からなかった。

  • 違和感を感じた部分はあったが、それをまとめることができず、質問することができなかった・・・

  • 平和が一番、とは限らないかもしれない。

  • ◯◯[=報告者2]さんのいう「類型化」は「定義付け」なのでしょうか。定義付けは1つのものしか生まれず、類型化は複数のものが生まれるのでは?

  • 平和について。国によって文化などの食い違いは存在する。よって争いが避けられない国同士もある。それらの国に必要なのが圧力、友好な国には協調といったように、場合分けがなされるのではないか。

  • すべてのテクストは読者の解釈に依存しているという「作者の死」概念が最先端のテクスト解釈理論でないことを知り、勉強になりました。

  • 自分の論構成能力のふがいなさに腹が立ちます。何が言いたいのか、それが、言葉を発する内に見えなくなってしまいそうでした。もう少し、論を組み立てられるようになりたいです。今日は、疲れました。

  • テキスト論についての話がおもしろかったので、深く勉強してみたいと思った。

  • おそらく今までで一番話題が広かったのではないでしょうか。にもかかわらず、何も言うことができませんでした。やはり苦手意識は大きいです・・・ 次回はカントさんです。大好きな人です。発言できるように頑張ります。「ルソー組」の皆様、お疲れ様でした。

  • 自分の理解があいまいで若干もやもやが残りました。

  • 政治や哲学思想の基礎知識が無いとついていけないということを痛感した。自分で質問しておきながらよく分からなくなった。

  • テクスト論にまで話が広がった授業であった。○◯さん[=コメンテータ2]のコメントを読んで、平和より大切なものがあり、それを守らなければならないとしたら、平和は実現しないのかと思った。

  • あまり自分の考えがまとまらないまま質問してしまった。結局最初に質問しようと思っていたことではないことをしたように思う。もっと文章を読み込みたいと感じた。

  • 報告者1の感想  報告内容を考えたことはよい経験であったが、内容にもう少し具体性を持たせられれば、と少し不満足な主張のままになったのは少し残念です。

  • 報告者2の感想  今日で発表は終わりです。つかれた。がんばった。

  • コメンテータ1の感想  社会契約論を題材に使っているのに、今回中心となった議論が「ことば」についてだったのが少し残念に思えた。

  • コメンテータ2の感想  思想の討論になると、いつも「普遍的◯◯」の話になるなあと思いました。普遍的◯◯は存在するのか、これからも考えて行きたいと思います。

  • 司会者の感想  司会も難しかったです。あまりスムーズに進めることができなかったんですが、みんなに助けてもらいました。もっと力つけたいです。

2011年6月2日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第7回 ロック『統治二論』

対象文献:
ジョン・ロック,加藤節(訳),2010,『統治二論』,岩波文庫



下記の、フロアからのレスポンスを読むと、社会契約論や自然状態論について馴染みがない人が結構いるみたいなので、ものすごく簡単に解説しておきます。次回もルソー『社会契約論』なので。

私たちは何らかの統治秩序が成立している中に生まれます。統治秩序の中では、法律によって、(法的な意味で)してはいけないことや、しなければいけないことが決まっています。つまり、私たちは、一定の法的な制約の中で生まれ育ちます。もしこの、生まれたときからある制約を絶対視するしかなく、そこから距離をとることができないなら、私たちは〈別の可能性〉を考えることができません。〈別の可能性〉、特に、もっと良い可能性を考えることを、批判と呼ぶとすれば、自分がその中にいる統治秩序から距離をとることは、その統治秩序を批判するためにまず必要な条件です。

今回のロックをはじめとする社会契約論が、この〈批判のための距離化〉を可能にするために使うのが、「自然状態」という想定です。要するに、本来人間というのはこういうものであるが、それに較べて現在の統治のあり方は・・・という感じで距離をとり、「本来こうあるべきものが、現実にはこうなっている、けしからん」という形で批判するわけです。実のところ、「自然」という言葉を使うかどうかは、議論の形式にはあまり関係がありません。

ともあれ、現在存在していない自然状態に依拠することで、現在存在している統治秩序を批判するというのが、社会契約論の基本骨格です(本当はこの両者のあいだに「契約」という契機をはさむことがすごく重要なのですが、今回は省きます)。そのため、自然状態をどのように設定するかによって、現存統治秩序のどのような点を、どのような方向に批判できるかが変わります。批判の妥当性が自然状態の設定の妥当性に依存するわけですから、読者としては、(1)自然状態の設定が妥当かどうか、を確かめた上で、(2)現在の統治秩序に対する批判が、自然状態の設定から論理的に導出されるものになっているかどうか、を検討するというのが、まず必要な作業だということになるでしょう。

さて、報告者1は、ロック版の自然状態において、物や身体・生命に対する所有権だけでなく、この権利の侵害者に対する処罰権までもが、各個人に与えられているという設定に疑義を呈します。処罰権を個人に与えてしまうと、過剰な重罰の科し合いが起こり、それなら絶対君主制の方がましということになってしまうだろう、というわけです。処罰権というものは、自然状態においては存在せず、社会契約によって国家をつくるときに、国家の権能の一つとして、そこではじめて生み出されるべきものだ、というのが報告者1の見解です。

これに対し、コメンテータ1は、それだと処罰というのは国家が行うものだけになるが、国家の手を煩わせることなく、個人間で科し合う罰というのも存在するはずであり、それゆえ処罰権は個人の自由権に含まれるが、「政治社会は不当な重罰を避けるために、個人の処罰する自由を制限しただけ」だといいます。

コメンテータ2は、報告者1とロックが、自然状態における個人の処罰権の有無について正反対の立場をとりつつ、社会契約によって国家が処罰権をもつという結論部分は共通であることに着目し、秩序の安定/不安定を分けるのは、個人が処罰権を持つか否かではなく、国家が処罰権を持つか否かであることに注意を喚起します。

報告者2は、ロックが出している、社会契約後の統治秩序においても、「法に訴える時間がなく、損失が(発生すれば)回復不可能な場合には、(潜在的)侵害者を殺してもいい」という趣旨の議論に対して、ロックがここで想定している回復不能な損失というのは生命のことだが、しかし、たとえば「1回きりの特別なイベントへの参加を妨害される」といった事例にも、回復不能な損失が含まれており、そのような場合でも相手の殺害が正当化されるというのは反直観的だ、といいます。その上で、ロックの議論を完成させるには「回復不能な損失」を「生命」に限定する必要があると主張するわけです。

これに対して、コメンテータ1は、「相手を殺す」ということの反直観性は、近代的な生命観のたまものであって、反直観的だからだめだという議論は普遍的には成り立たないと指摘します(これは、反直観的でないだからいいという議論も普遍的には成り立たないということを含意している・・・のでしょうねたぶん)。

他方、コメンテータ2は、回復不能な損失を防ぐための個人的防衛手段として「相手を殺す」しか考えていないことに疑義を呈し、生じうる損失の程度に応じて適切な暴力的防衛手段(「足を踏みつける」とか)を考えれば、損失の種類を生命に限定する必要はない、と指摘します。


さて、報告者・コメンテータが問題にしている各論点はそれぞれ面白いし、ロックのテクストに基づいた再反論がさまざまに可能でしょうが、それはまあ、各自に任せましょう。最後に言っておきたいのは、自然状態において「人間とは◯◯だ」という設定をするわけですが、そこで問題になっているのが、経験的なこと(・・・である)なのか規範的なこと(・・・べきだ)なのかをつねに明確に区別しよう、ということです。事実上のことなのか権利上のことなのか、と言い換えてもかまいません(「権利上殺すことができる」からといって「事実上殺すことができる」わけではありませんよね)。この両者を区別した上で、人間の本来性(自然状態)の設定に、「権利」の言葉で述べられるような性質を入れていくという議論の特殊性に注意しましょう。まあ、この話は次回以降もしばらく続くでしょうから、今回はこのくらいで。

なお、今回のゼミでは、ちょっと私がしゃべりすぎてしまいました(ちょっと疲れていたので・・・疲れていると抑制がきかなくなります)。司会者にはご迷惑をおかけしました。すみません・・・

以下、出席者の感想。

  • 今日は三谷先生がいっぱい話していました。

  • ロック思想の核心は、王による規範が崩壊した後に、個人と個人が合意を通じて望ましい状態の実現を模索する点に見出されるため、現代でも全く意義が損なわれていないことを再確認しました。

  • 後半の三谷先生の議論をもう少ししたかったです。途中で切られてしまったのは残念です。でも◯◯くん[=報告者2]の報告に対しても十分に議論される必要がありましたよね。司会者はよく配慮していたと思います。行き届かないことをいってごめんなさい!!

  • 一番苦手なあたりの論に入りました。苦手なだけあって、どうも理解が進まず、発言もちぐはぐでした。次のルソーの話ではこんな事がないようにしたいものですが・・・。レジュメはどれも読みやすく、司会もおちついていて良かったと思います。「ロック」メンバーの皆様、おつかれさまでした。

  • 難しかったです(笑) そもそも自然状態ってなんなのか、罰ってなんなのか、自分の中でずっとぐるぐるまわってた、今回はそんなかんじでした。

  • 今日のはよく分からなかったのですが、ロックの自然権の基準は、他人の所有物を侵害せず、自由にふるまうこと、であるように思います。

  • 処罰は権利なのか、どこまでが処罰なのか、境界があいまいな議論だったが、ロックの考え、報告者、コメンテーターの考えが混ざり合って深い内容だったと思う。思考が追いつかなかった。

  • 話の内容(特に◯◯くん[=フロア1]の言った重罰等や◯◯さん[=フロア2]のフィクションについてが出てきた話)に全くついていくことができなかったので、発言を積極的にしたいです。

  • いままでは正義や人についての議論であったのに、社会の制度が議題となったため、倫理を選択していた人たちはあまりついていけてないような印象があった。○◯さん[=報告者1]は、法に基づいてしか処罰できないと言っているように感じるので、「いたずらをこらしめる」ようなことでも許されないのだろうか、と思った。

  • 高校で学んだ知識なのに、いざ議論するとなると、こんなにも難しくなるのかと改めて思った。

  • 自然状態とは何か、深く考えさせられた。

  • 抵抗と処罰の関係について、抵抗は社会的な制裁を加えない個人間で、その個人間でも解決ができなくなったときに社会的な制裁として処罰ということが必要だったのではないかと思います。

  • 罰の基準とは何か、正しい暴力と不当な暴力の線引きとは、など、難しい質問がたくさん出ました。被害者の立場や私情など、多くの要因が存在すると思います。ですが、私的制裁のようなものは、道徳的には許されません。これから、考えていく課題になりそうです。命が失われそうな時、人を殺してもよいとするなら、戦争は許されるのでしょうか? 殺さなければ殺される状況、しかし、ここでも道徳的には、決して許されないのではないでしょうか。

  • 現在の政治状態を正当化するために政治書を書いた、ということを見落としていた。今回の議論は難しかった。

  • 罪と暴力の違いやそれが定義づけられる範囲について、この回では考えきれないことが多かったので、自分でももう1度考察したいと思いました。

  • 報告者1の感想  ロックは、「恐ろしがらせる程度」(これくらいならおそろしいと思うだろう!とバツを加える人が思う程度)が“罰”だと定義していて、私もそうだと考えています。その場合に、「程度」が罰を加える人にねじまげられるんじゃないか、と思いました。

  • 報告者2の感想  このような報告、発表の場では特に、自分の言葉1つ1つに責任を持たなければならないと思った。自分が議論する前提となっている状態をしっかり把握しなければいけないと思った。報告を担当して、とても大変だったが、色々勉強になってよかった。

  • コメンテータ1の感想  処罰権とは何か? その根本的な問題を設定せずに議論を展開してしまった感がある。

  • コメンテータ2の感想  報告に対するコメントの入れ所がなかなか見つからず、苦労した。自然状態や社会契約についての知識も積み重ねていかなければならないと思う。

  • 司会者の感想  処罰、罰をどう捉えるかは気になる。それぞれの意見が自然状態前後でどう違うかも考え所と思う。

2011年5月26日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第6回 パスカル『パンセ』

対象文献:
パスカル, 前田陽一・由木康(訳),『パンセ』,中公文庫



以下、出席者の感想。

  • 司会者の方が色々工夫をしていてたくさんの意見がでてよかったと思う。

  • 価値判断を抜きにした純粋な中立的状態が成立しないことは、科学哲学上の観察の理論負荷性を考慮すれば自明となろう。[以下、「感想1」

  • 「行為の善悪」と「正義」、「人間の原初の状態・区分け」に関する議論でした。発言もなんとかできました。時間が足りなくなってしまったのは残念ですが、とても有意義だったと思います。パンセ組の皆さん、お疲れ様でした。

  • 大学生活の疲れがたまってきた自分にとって、「パンセ」の本は何とも言えない重さだった。

  • ◯◯さん[=「感想1」の書き手]の考え方にすごく共感しました。人間は文化の中で生きているので、それを抜きには考えられないと感じました。

  • 自分が報告に返論したその返答にすぐ納得するのではなく、何度も自分の考えを示していきたいと思いました。

  • パスカルは文化相対主義的な考えを持っていたのかな、と個人的に思いました。担当だった皆さん、それぞれ考えを持っていて素晴らしいと思います。

  • 「人間のあるがままの状態」は、結局どういうものなのだろうと感じた。色々な人の「人間のあるがままの状態」についての意見を聞いてみたい。

  • 自分は「邪欲」という言葉を◯◯さん[=報告者1]のように考えていたので、◯◯さん[=コメンテータ1]のとらえ方はおもしろかったです。◯◯さん[=報告者1]はどのように思ったのか訊いてみたいです。◯◯さん[=感想1の書き手]の考える「人間のあるがままの状態」とはなんなのだろうと思った。

  • 今回はみなさん自論がわかりやすかったです。600ページを超える本を読み切ったみなさん、お疲れ様です。司会の◯◯さん(=司会者)もがんばっていました。

  • 思考が止まってしまった。

  • 思考の言語化、この難しさに直面。家に帰って考え直してみると考えがまとまるんですけどね。また次回からがんばります。

  • 正義は、それを行う人によって、見方が変わる。では、普遍的な正義は存在できないのではないだろうか? 最後の方の討論で、もし、宗教を一つに統一したとしても、別の宗教が生まれるのではないかと思う。そして、あるがままの状態になることはできないのではないだろうか。生物である限り、生きようと、子孫を残そうとする。平和には、ならないのではないだろうか。

  • 今回も発言ができなかった。残念。欲の善悪、というのは自分としては新たな視点だった。

  • 報告者1の感想  なんだかうまく発言できなくて自分の口下手さを感じました。またレジュメのほうも、あまり考えが及んでないところがたくさんあって、思考力のなさも感じました。でも、新たな考えにも触れることができ、よかったです。

  • 報告者2の感想  普遍的正義について考察するためには、わく組みにとらわれることなく考えることが必要だとしたが、わく組みをなくして文明社会で生きる私たちが正義を考えることはできないんじゃないかと思いました。

  • コメンテータ1の感想  レジュメを熟読したにもかかわらず、議論に参加できなかった自分が情けない。自分の考えをしっかり言えなかった。考えていることを筋道立てて言えるようにしたい。

  • コメンテータ2の感想  やっぱり理想論だけではだめですよね…

  • 司会者の感想  自分の失敗で、貴重な議論の時間を失ってしまった!! 自分の今日の目標は、なるだけ多くの人に発言していただくこと、報告者・コメントの4人全員のレジュメについてふれる、ということだった。達成できたかな?

2011年5月19日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第5回 デカルト『方法序説』

対象文献:
ルネ・デカルト,山田弘明(訳),『方法序説』,ちくま学芸文庫



以下、出席者の感想。

  • レベルの高い議論でした。追いつくので精一杯というか…。頭がオーバーヒートしています。次からの討論に、生かしていきたいです。

  • ○◯さん[=報告者2]の報告では、デカルトの意見に即して意見がなされ、分かり易い内容だった。△△さん[=報告者1]の報告は視点は面白かったが、少々分かりづらいと感じた。

  • もっと本書を読みこめばよかったなと思った。みなさんのレジュメはとても苦労したろうなと思った。

  • 神は存在するという定義を前半に議論が長くつづいて、その理解をするのに大変で、もっと自分の考えも進めるのを早くしたいと思いました。

  • 少し発言できた。あてられてからですが(笑) 今まで議論で話されていることを理解できなかったが、それってやっぱり自分でちゃんと理解しようとしてなかったからだなあと思った。これからはもっとみんなの話に耳を傾けていこうと思う。

  • 今日は話に全くついていけませんでした。皆さんが何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。頭痛がするほどに自信がなくなりました。もっと本を読みこんでがんばります。

  • 細かいことだけど、△△さん[=報告者1]のベン図は、疑う⇔不完全が成り立つので、必要十分条件なのではないかと思いました。でも、図を使って説明するのは分かりやすいし、良い考えだなと思いました。

  • 話を切り出すタイミングが分からないと疑問が残ってモヤモヤするので、もっと早いうちに言えば良かった。議論に耳を傾けて反論できるようになりたい。

  • コメントで「偽からは何も得られないとは思わない」とあるが、ここでの“偽”は真(絶対なこと)と偽(絶対でないこと)ということだと思うので、ここでそのことわざを使っても偽は絶対ではないのだから、どんなに失敗しても一向に真には近づけないのではないかと思った。

  • デカルト哲学の基本的なアウトラインは今回の発表でおさえられていたが、デカルト哲学の真の価値は理性という探求のゴールを設定したことよりも、懐疑論の否定的側面にこそ求められるべきではないか、と感じた。

  • デカルトは神は存在するとしているのに、△△さん[=報告者1]は神を概念に存在するものという考えに至ったのはなぜであろうと思った。

  • 「神」って難しいなあと思った。レジュメの書き方、読み方も参考になった。

  • 神は不完全な人間が考えたものなので、神は完全ということはないと思う。

  • 難しくなってきた…。自分が情けないことです。今回は神がいるのか、いないのかなどを疑問する前に、前提条件などをきちんと整理することが必要だと思った。

  • 三回目にして初のフロアーです。二人ともレジュメが高度すぎて、疑問すら見つけられませんでした。もう少し理解が欲しいところです。司会もとても上手でした。時間が過ぎるのがとても速く感じました。

  • 報告者1の感想  結局、自分の展開方法に欠点があったのかなと思いました。もう一度見直したいと思います。

  • 報告者2の感想  こんな大変なのがもう一回あるんですね。何かもらえるんですか?

  • コメンテータ1の感想  コメントするのも大変なんだなぁと思いました。書いているうちに自分の中で混乱してきて、これは報告者へのコメントになっているのかなど、とても不安だった。

  • コメンテータ2の感想  自分の主張を述べているうちに頭の中がごちゃごちゃになってしまった。もっと自分の考えを明確にしておくことが必要だと思った。

  • 司会者の感想  もっと全員の理解度が統一できれば良かった、時間配分が下手くそだった、など反省点しか見当たりませんが、貴重な経験をさせていただけたなぁと思います。○◯さん[=コメンテータ1]、コメントについての議論にもっていけなくてごめんなさい!! この経験が次につなげられるように努力したいと思います。報告者、コメンテーターの皆さん、本当にお疲れ様でした!

2011年5月12日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第4回 アリストテレス『哲学のすすめ』

対象文献:
アリストテレス,廣川洋一(訳),2011,『哲学のすすめ』,講談社学術文庫



以下、出席者の感想。

  • やはり哲学というのは唯でもできるのではないかと思う。考えるだけでよいので、時、場所を選ばず、どんな年齢の人でもできるからだ。まあ、そもそも哲学という言葉の意味自体分かっていませんけど。

  • ◯◯氏[=報告者2]の論文では、私はなかなか穴を見つけることはできなかった。一つもやもやしていることは絶対的善と相対的善のことである。相対的善とは主観的なものであると思ったのだが、主観ではない正しいものが見えてこないこともある。もっと大きい視点から見た絶対的善も存在するのではないかと思った。

  • 正直よく分かりませんでした。哲学の意味がそもそも自分ではよく分からなくて、なかなか発言できませんでした。「なんで人は生きてるんだろう」とかはやはり誰しもが考えることで、アリストテレスが人間じゃないとみなした奴隷でさえも、やっぱり「自分らってなんで生きてるのかな」って考えるときはあったと思います。つらい境遇にあればあるほどそうだと思います。頭が疲れました。

  • 善に関するアリストテレスの議論から、個と社会との関わりについて後世発展することになる確信が導き出されることを再確認しました。

  • 哲学的なことではないかもしれないけれど、一人一人が本当に得たいものを得るときに魂がよくなるのだと思う。「善い」ものについて考えるいいきっかけになった。考えを深めていけばその先に自分の人生に本当に必要なことが見えてくるのではないかと思う。

  • 最後に話に挙がった、利益や快楽に関してですが、哲学を勉強している人で、哲学が嫌いな人は、中にはいるかもしれないけど、大半の人は好きでやっているんじゃないかと思います。私としては“好きなもの”は快楽につながると思うし、哲学は私も結局自分の知識を深めたりするうえでは利益になるのではないかと思います。言いたいことがまとまらず、発言することができなかったので、次回はもっと積極的に議論に参加していこうと思います。

  • 正直なところ準備不足でした。あまり読み込んでない上に、自分の考えもまとまっていなかったので、頭の中がごちゃごちゃになりました。うまく質問したり意見を言うこともできなく、申し訳なかったです。そもそも哲学とは何なのかがわからないです。このことが心に大きくひっかかって気持ち悪いです。

  • 時間の関係で発言を控えていましたが、美しいもの、善いものというのは、幸せなのではないだろうか。幸福を感じた時、幸せだなあと感動すると思いますが、アリストテレスもこの感動こそを求めるべきだと思っていたのではないだろうか。よりよく生きること、というのは人によってさまざまあり、庶民にも、もっと幸せというのを知ってもらいたい、もっと哲学してもらいたいと思って、多くの層の人に対してこの本を書いたのだと思いました。

  • アリストテレスは哲学をだれがするものだと考えていたのか。今日の一大テーマだったように思います。結局、奴隷は人間とみなしていないのでそれ以外の人々ということなのでしょうか。

  • 「哲学する」ということは、個人的なことなのかもしれないと思った。私は、生きる上で哲学すべきだと考えるけれど、それを普遍的に、誰にでもあてはまるように哲学を定義するのは難しいことだと思った。だから、アリストテレスの論が曖昧になってしまったのではないだろうか。私にとっては、「良く生きるように努力すること」が哲学だと思った。これはこの先、自分の中で変わり得る定義だと思うし、こんな風に、自分なりの哲学に対する定義を、本を読む中で深めて行きたい。

  • 「哲学することとは何か」という根本的なことがらについて考えることができたが、考えれば考えるほど分からなくなってしまった。私は哲学できる人間なのだろうか? と、今日の演習は個人的に考えが深められて有意義だった。考えは思いつくので積極的に発言したい。

  • 利益を得ても、その利益を得た先に何か世の中のためになるような行為をすれば、それはそれで「よく生きる」ことになるのではないでしょうか。利益を全く得ずに喜んで生きることは困難ではないでしょうか。利益自体に善悪はないように思います、がどうでしょうか・・・

  • 着眼点が人によって様々で、自分の気づかなかった点に触れられたことが嬉しかった。

  • 哲学することは善いこと、のはずなのに、人間学コース(哲学)で学ぼうとする人が少ないのはなぜだろう・・・。

  • 今回も報告者の意見がとてもよく筋が通っていて、分かりやすかったです。途中で、“善いもの”というものということについて疑問を自分の中でまとめることができなくて、発言できなかったのが残念でした。

  • 報告者1の感想  開始前はまな板の上の鯉の心理でしたが、いざ調理が始まったら意外と放置されてました。蛇足っぽかったですが、何とか発言も出来ました・・・。あとは理解力の養成ができればなおよいと思いました。質問の趣旨外しすぎでしたし。

  • 報告者2の感想  みなさんに聞きたかった「私たちは哲学をすることができるのか」ということについて聞くことができてよかった。みんな概ね「できる」ということであった。そして私が常々思っていた、哲学すること=よりよく生きること=それって自分に対して利益を求めることじゃない? ということにも本書からは少しずれるが討論っぽいことができた。緊張した・・・。

  • コメンテータ1の感想  先生の友達の研究者は、生活を犠牲にして、哲学をしているのではないでしょうか。哲学することをあきらめれば、少なくとも、普通の暮らしができると思います。でもやはり、そこには情熱があって、そのおかげで哲学をしているのでしょうね。/利益の定義って難しいですね。

  • コメンテータ2の感想  そもそも哲学をするというのはどういうことなのか、哲学をするには何が必要なのか、が大きな論点になったように思う。またそれに関わって、善いものは何か、にも言及があった。一筋縄でいかない題材であったと思う。

  • 司会者の感想  沈黙の恐怖に負けてしまい、スムーズに会を進めることができず後悔が残った。今回は司会ということで、自分の意見・考えをいうことはしなかったが、皆の意見を聞くことができ、自分でこれから考えていくときに参考にしていこうと思う。

2011年4月28日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第3回 プラトン『プロタゴラス』

対象文献:
プラトン,中澤務(訳),2010,『プロタゴラス』,光文社古典新訳文庫



最初に念のため注記しておきますが、学部1年生のゼミです。さて・・・

報告者1は、ソクラテスがアテナイ来訪中のプロタゴラスのもとに出向くことになる事情を述べた本書冒頭のシークエンスに注目します。そこでは、有名人キタ━(゚∀゚)━!とはしゃいでいる若者に対して、ソクラテスが、知識というのはいったん得てしまったらとりかえしがつかんぞ!と脅し、プロタゴラスから知識を得る前に、その知識とはどんなものか、特に良いものか悪いものかを確かめておくべきだ、と説くわけです。

ここでは、「人がある種の知識を有している状態」そのものが、良い悪いの判断の対象になっています。報告者1の議論は、この前提に対して、果たしてそうか? と疑問を投げかけるものです。知識というのは、もっているだけではなく、利用してこの世界の状態に変化をもたらして初めて――その状態の良し悪し評価を経由して――良し悪し評価の対象となるのではないか、と。報告者1は、「うそをつく」という知識(というよりは技術でしょうか・・・アリストテレス的には技術というのは普遍的応用可能性をもった知識のことだから・・・むにゃむにゃ)について、塞翁が馬的な事例を出してこのことを示していきます。

報告者2は、愚行・悪行の原因を無知(あるいは効用計算能力の欠如)に還元するプラトン=ソクラテスの議論に対し、「わかっちゃいるけど」やめられない/やってしまうという事態(体に悪いのがわかっていてもお菓子を食べ過ぎてしまう)が存在する以上、無知だけでは事態の説明にならないと指摘します。私は、飛び降りないと焼け死ぬのがわかっているのに怖くて飛べない、という映画でよくあるシーンを想像しました。無知だけでは不十分、という知見にもとづいて、報告者2が出してくるのが「意志の弱さ」です。これについては後述します。

コメンテータ1は、報告者1の、「知識それ自体の評価は不可能、その知識がもたらした結果の評価を経由した間接的評価なら可能」という議論に対して、根本的な難点を指摘します。つまり、知識が結果を生む、といっても、その際に、知識と結果は一対一対応するものではなく、人は複数の知識を同時にもっており、それらを同時に使うことで一つの結果を生み出すのだから――「MVPが存在するというよりは、知識の連携プレーのおかげ」――かりに、結果について一意な評価ができたとしても、そこから思考過程を形成する複数の知識それぞれに対する別個の評価を導くことは困難だ、というわけです。

他方、報告者2に対しては、知識(無知)だけでは不十分、という論点を共有した上で、「意志の強さ(弱さ)」ではなく、補完的に必要なのは「理解」だ、とします。ここでいう「理解」とは、良い悪いを単に知っているだけでなく、良い悪いの価値判断を「心から信じ」ているということだそうです。この点については、良い悪いのような価値判断を、「理解」することなく「単に知っている」という事態が可能なのか、また報告者2のいう「意志の強弱」との関係はどうなるのか、という点が気になるところです。

コメンテータ2は、学部時代に印哲を専攻し、卒業後も洋の東西を問わず哲学の勉強を続けてきたそのキャリアを活かし、二人の報告者の議論を、東西哲学史の中に位置づけたうえでその限界を指摘する、という、なんだかすごいことをしています。

コメンテータ2が両報告者の議論を高く評価するポイントは、両者ともが、現象を原因/結果の2つに分割することの帰結を、ソクラテス以上に正しく、粘り強く捉えているということにあります。2つに分割されたものに対し、良し/悪しという2分図式で評価を加えるということは、本来は2×2の4通りの可能性を考慮しなければならないのに、ソクラテスは良い原因-良い結果、悪い原因-悪い結果の2通りしか考慮していないこと、そして両報告者はその「頑迷さ・非柔軟さ」に由来する問題点を正しく指摘していることを、評価しているわけです。

そのうえで、報告者1に対しては、「知識それ自体」の評価不可能性、価値中立性を主張する議論は、哲学史的にはナイーヴすぎるのではないかと指摘し、また報告者2に対しては、「良い結果」を生じさせるのに「意志の強さ」だけで十分なのか、個人に帰属可能な性質を超えて、「神もしくは運命という壮大なエネルギー」を考慮する必要があるのではないか、と指摘します。これらはいずれも、重大な論点を含んでいるように思いますが、コメンテータ2の議論は、本来「哲学的」な議論が求められるはずの箇所ですら、「哲学史的」な性格が強く出てしまっており、「哲学的」な消化不良感を覚えたのも事実です。

最後に、司会者は初回であるにもかかわらず、大変立派な司会ぶりで、感心しました。報告、コメンテータについてもそうですが、私が1年生のときはこんなにきちんとはできませんでした。初回にお手本を示してくれてありがたく思います。

私の方からの総括を書こうと思っていたのですが、すでに長くなりすぎているのでこのへんにしておきます。あ、でも一点だけ。「意志」「理解」「神/運命」など、新しい概念を出すときには、聞く人の言語的直観に過剰に依存しないように気をつけることが大切です。この種の概念は、論者による問題設定によって張られる議論空間の中の位置づけを明確に定められて初めて、十分に理解可能になります。言葉を言いっぱなしにするのではなく、自分の概念をできるだけ丁寧に提示していくことを心がけていただければと思います。

以下、出席者の感想。

  • 司会者の進め方が上手で場の雰囲気もよく、コメントが沢山でてきて素晴らしいと思いました。

  • 報告者2人とも、独特の観点から述べていて、一生懸命準備してきたんだなというのが伝わってきました。○○さん[=コメンテータ2]についてですが、神の力とか運命っていうのは災害・天災に関わるということでしたが、では◯◯くん[=報告者2]のお菓子の例にもそういった力は関わっているのでしょうか。もし、関わってないとすれば、やはり意志の力で十分だと思いました。観点それてたらすいません。

  • ○○さん[=コメンテータ2]のコメントにあった、1ページ目の最後の行からの“ただし、~分かれるように思われる”が、私にはやはりあまりわかりませんでした。すみません。また感想としては、もっと本をじっくり読むことが必要だと感じました。色々な人の考えが分かるのは、とても刺激になりました。

  • うまく質問ができなかった。でも、自分が感じた疑問を口にし、「なにをするのが最もよいかを分かっていない」で、悪いことをしてしまうかもしれないことがあるという意見の一致を得られたようであった。

  • 「意志」は知識か。/◯◯さん[=報告者2]の「3.プラトンの主張への違和感」のなかで、「何をするのが最もよいかわかっているのにそれをしない」という文が引用されているが、これはだれの考えなのか。/報告者、コメンテーター、司会者の方達が非常に今後のハードルを上げてしまい、ちょっと困ったが、その分がんばらねばと思った。

  • 正直に、ついていくことができない。これから努力していきたい。

  • 報告者の方々の報告を聞いて、行動をしてその結果を分かっていること=知識だということが分かりましたが、人は行為をするときに目的をもって行動するので、その結果を知らない人、つまり無知な人はいないのではないかなと少し疑問に思いました。みなさんの考えが深く考えられていて、私も早く考えをまとめられるようにしたいです。

  • ◯◯さん[=コメンテータ2]がおっしゃっていた、神についてなんですが、私は『プロタゴラス』を読んでいて、努力(良い知識に基づいた努力:良い結果を見通した努力)が報われないこともあるよなーと思いました。○◯さんはそういう時、神に救いを求めているけれど、他の人はどう考えているのかなーということを思いました。/この質問を考えていたら終わってしまったので、次はすばやくがんばりたい・・・。

  • [コメンテータ1が定義する]「理解」は「ある事柄の価値を認めて、それを実際に行動に移せること」というのがよくわかりません。理解=行動ではなく、理解してやろうとする意志がおこって行動するのではないでしょうか?

  • アレテーが「教えられる」か、「られない」かのどちらか、とか、どんな性質のものなのかと詳しく質問すればよかったと思うので、もう少し詳しく聞きたいです。

  • ◯◯君[=報告者2]の「お菓子」の例えが、本の内容をうまく理解できず、自分なりに解釈できなかった私にはよく理解できた。単純な例えではあったが、このくらいかみくだいて考えると分かりやすいということを教わった。

  • ◯◯君[=報告者1]へ。先生の言っている内容と被りますが、私には必ずしも行動の良し悪しは決めることはできないと思います。決まるとしたら死ぬ直前。でもそれでは決める意味はないですよね。結局、「人間万事塞翁が馬」になってしまい、それから思考することができませんでした。/◯◯君[=報告者2]へ。私には意思の強さの他にも何か要因があると思えました。しかしそれが何であるかは私にはわかりませんでした。

  • ◯◯さん[=報告者1]への質問。「知識を伝授されてただちに変化することはない。」とありますが、考え方や認識は変化するのではないですか?例としては、人は平等だという知識を得て暴動を起こした革命者とか。

  • 報告者1の感想 初めての報告、初めての討論ということで、とても緊張しました。自分の言いたいことが、ちゃんとみなさんに伝わっているのか不安です。でも討論を通じてみなさんの意見を聞けたので、とても良い経験になったと思います。

  • 報告者2の感想 自分の読み込みが甘く、至らなかった考え方が多くあったことが残念であった。それぞれの人の『プロタゴラス』に述べられていることの受け取り方が違っていることが哲学書を読むことのおもしろさだと感じた。

  • コメンテータ1の感想 2人の報告者はどちらもよい報告をしていたと思います。がんばった!司会者も初めてなのにかなり要領よく役割を果たしていたと思いますー。◯◯さん[=コメンテータ2]のコメントは難しかった。自分のコメントは、しっかり考えた結果だったのでよくできたと思います。

  • コメンテータ2の感想 意志をめぐる問題が哲学の歴史全体を通じた中心の意義を担うことを再確認いたしました。

  • 司会者の感想 報告、コメントの皆様、お疲れ様でした!レジュメもわかりやすく、話のペースや声の大きさもいい感じでよかったですよ。至らぬ司会で申し訳ありませんでした。先生も度々の助け舟ありがとうございました。

2011年2月3日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習B」 第14回 鈴木伸元『新聞消滅大国アメリカ』

対象文献:
鈴木伸元,2010,『新聞消滅大国アメリカ』,幻冬舎新書



以下、出席者の感想。

  • 新聞とネットどちらかでいいかどちらもがいいかと言われたとき、私はネットだけでも良いのかなとも思った。手軽だし、最新の情報が出てくるのは、逆に良いことだと思ったので。でも、万人に対して友好的だという点を聞いたときに、どちらもあるべきかもしれないと思った。

  • 新聞がなくなるかもと考えた時、ただメディアの1つの媒体がなくなるだけでなく、色々な問題を抱えているのだとわかった。新聞が社会にうまく合わせていくか、新聞が今担っている役割を請け負う、別の何かが、今後必要になってくるのではと思った。

  • 新聞がなくなったら、どうなるのか考えたことがなかったので、いろいろな人の意見が聞けて面白かった。次回は意見を言えるよう頑張りたい。

  • 「新聞」がなくなりつつある、ということだが、ネットでの配信が進んでいるという。ネットで配信されているものも新聞と読んでしまうのは少し寂しい気がした。これまでの形を失ってしまったものを、それでも「新聞」と呼ぶのには抵抗がある。

  • 新聞は整理されていて、あった方がいいと思うけど、私は日頃新聞を読まないし、ネットの記事も見ない。けど、テレビのニュース番組を見れば最低限の情報は得られるような気がする。

  • 最後の〇〇さんの意見を聞いて、新聞がなくなると地方の情報があまりネットで伝えられなくなったら困る部分もあるんじゃないかと思った。毎日新聞や読売新聞みたいな新聞を読んだことがなかったので、広告の多さに驚いた。

  • 私は新聞とインターネットのニュースは使い分ける人です。ネットのニュースは膨大ですぐに更新されるため、速報として、「そういうことがあったのね」くらいにとらえ、過去のニュースを追いかけて読もうとは思わない。新聞は開いてすぐに記事が目に入るので見やすいし、ネットのようにすぐ流れないのでじっくり読めるようになると思っている。気になった情報があればすぐその面を開けば読めるので、探す手間を考えるとインターネットよりも新聞の方が案外便利な気がする。今回の話は辞書と電子辞書、本と電子書籍の話に似ているような気がする。

  • 来週は発表なので頑張りたい。

  • 新聞とインターネットそれぞれ特性があるであろうが、正確に情報を伝えられるものならばどちらでも差異はあまりないような気がした。

  • 私は新聞は新聞として(紙として)残ってほしい。残るためには何が必要か色々考えた。ひとつは、収入システムを変える、もしくは、何らかの保護をする。ふたつめは、何か新しいアイディアを取り入れる、だ。ブランドの話を利用すれば、人々はみな新聞のよさ、ネットニュースのよさに気付いている。それで新聞ばなれがすすんでいるということは、ネットを要している人が増えているということだと思う。それでも新聞を残すためには、新たな方法を講ずるしかないのかなと思う。あと、ネットでニュース見るのは、新聞をよむより、私にとってはかなり能動的な作業が必要だと感じている。虫めがねとか、ろうがんきょうがある!!!

  • 報告者の感想  ネットと紙の賛否両論があって、自分もまた考えさせられた。10年後にも同じ議論をしたら、私の立場は変わっているかも。反省は、すぐに意見を言葉にして言えなかったこと。分かりづらくてごめんなさい。

  • 報告者の感想  自分の考えの甘さを痛感しました。全然、質問に答えられなくて申し訳ありませんでした。

  • コメンテータの感想  コメントでした。報告者の方とやりとりをしたり、いろんな方のお話を聞いていく中で、新しく疑問に感じたこと(どうしてニュースサイトはもっと見やすくまとめないのかとか)があってたのしかったです。紙の新聞も、ネット上の新聞(ニュース?)もお互いに良い点があると思うので、どちらか一方になったらさみしいとおもいます。

  • 司会者の感想  司会者として、報告者の意見をまちすぎたり、フロアの方にタイミングよくまわせなかったことが反省点です。でも楽しく議論できた点は良かったと思います。