このブログを検索

2011年6月2日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第7回 ロック『統治二論』

対象文献:
ジョン・ロック,加藤節(訳),2010,『統治二論』,岩波文庫



下記の、フロアからのレスポンスを読むと、社会契約論や自然状態論について馴染みがない人が結構いるみたいなので、ものすごく簡単に解説しておきます。次回もルソー『社会契約論』なので。

私たちは何らかの統治秩序が成立している中に生まれます。統治秩序の中では、法律によって、(法的な意味で)してはいけないことや、しなければいけないことが決まっています。つまり、私たちは、一定の法的な制約の中で生まれ育ちます。もしこの、生まれたときからある制約を絶対視するしかなく、そこから距離をとることができないなら、私たちは〈別の可能性〉を考えることができません。〈別の可能性〉、特に、もっと良い可能性を考えることを、批判と呼ぶとすれば、自分がその中にいる統治秩序から距離をとることは、その統治秩序を批判するためにまず必要な条件です。

今回のロックをはじめとする社会契約論が、この〈批判のための距離化〉を可能にするために使うのが、「自然状態」という想定です。要するに、本来人間というのはこういうものであるが、それに較べて現在の統治のあり方は・・・という感じで距離をとり、「本来こうあるべきものが、現実にはこうなっている、けしからん」という形で批判するわけです。実のところ、「自然」という言葉を使うかどうかは、議論の形式にはあまり関係がありません。

ともあれ、現在存在していない自然状態に依拠することで、現在存在している統治秩序を批判するというのが、社会契約論の基本骨格です(本当はこの両者のあいだに「契約」という契機をはさむことがすごく重要なのですが、今回は省きます)。そのため、自然状態をどのように設定するかによって、現存統治秩序のどのような点を、どのような方向に批判できるかが変わります。批判の妥当性が自然状態の設定の妥当性に依存するわけですから、読者としては、(1)自然状態の設定が妥当かどうか、を確かめた上で、(2)現在の統治秩序に対する批判が、自然状態の設定から論理的に導出されるものになっているかどうか、を検討するというのが、まず必要な作業だということになるでしょう。

さて、報告者1は、ロック版の自然状態において、物や身体・生命に対する所有権だけでなく、この権利の侵害者に対する処罰権までもが、各個人に与えられているという設定に疑義を呈します。処罰権を個人に与えてしまうと、過剰な重罰の科し合いが起こり、それなら絶対君主制の方がましということになってしまうだろう、というわけです。処罰権というものは、自然状態においては存在せず、社会契約によって国家をつくるときに、国家の権能の一つとして、そこではじめて生み出されるべきものだ、というのが報告者1の見解です。

これに対し、コメンテータ1は、それだと処罰というのは国家が行うものだけになるが、国家の手を煩わせることなく、個人間で科し合う罰というのも存在するはずであり、それゆえ処罰権は個人の自由権に含まれるが、「政治社会は不当な重罰を避けるために、個人の処罰する自由を制限しただけ」だといいます。

コメンテータ2は、報告者1とロックが、自然状態における個人の処罰権の有無について正反対の立場をとりつつ、社会契約によって国家が処罰権をもつという結論部分は共通であることに着目し、秩序の安定/不安定を分けるのは、個人が処罰権を持つか否かではなく、国家が処罰権を持つか否かであることに注意を喚起します。

報告者2は、ロックが出している、社会契約後の統治秩序においても、「法に訴える時間がなく、損失が(発生すれば)回復不可能な場合には、(潜在的)侵害者を殺してもいい」という趣旨の議論に対して、ロックがここで想定している回復不能な損失というのは生命のことだが、しかし、たとえば「1回きりの特別なイベントへの参加を妨害される」といった事例にも、回復不能な損失が含まれており、そのような場合でも相手の殺害が正当化されるというのは反直観的だ、といいます。その上で、ロックの議論を完成させるには「回復不能な損失」を「生命」に限定する必要があると主張するわけです。

これに対して、コメンテータ1は、「相手を殺す」ということの反直観性は、近代的な生命観のたまものであって、反直観的だからだめだという議論は普遍的には成り立たないと指摘します(これは、反直観的でないだからいいという議論も普遍的には成り立たないということを含意している・・・のでしょうねたぶん)。

他方、コメンテータ2は、回復不能な損失を防ぐための個人的防衛手段として「相手を殺す」しか考えていないことに疑義を呈し、生じうる損失の程度に応じて適切な暴力的防衛手段(「足を踏みつける」とか)を考えれば、損失の種類を生命に限定する必要はない、と指摘します。


さて、報告者・コメンテータが問題にしている各論点はそれぞれ面白いし、ロックのテクストに基づいた再反論がさまざまに可能でしょうが、それはまあ、各自に任せましょう。最後に言っておきたいのは、自然状態において「人間とは◯◯だ」という設定をするわけですが、そこで問題になっているのが、経験的なこと(・・・である)なのか規範的なこと(・・・べきだ)なのかをつねに明確に区別しよう、ということです。事実上のことなのか権利上のことなのか、と言い換えてもかまいません(「権利上殺すことができる」からといって「事実上殺すことができる」わけではありませんよね)。この両者を区別した上で、人間の本来性(自然状態)の設定に、「権利」の言葉で述べられるような性質を入れていくという議論の特殊性に注意しましょう。まあ、この話は次回以降もしばらく続くでしょうから、今回はこのくらいで。

なお、今回のゼミでは、ちょっと私がしゃべりすぎてしまいました(ちょっと疲れていたので・・・疲れていると抑制がきかなくなります)。司会者にはご迷惑をおかけしました。すみません・・・

以下、出席者の感想。

  • 今日は三谷先生がいっぱい話していました。

  • ロック思想の核心は、王による規範が崩壊した後に、個人と個人が合意を通じて望ましい状態の実現を模索する点に見出されるため、現代でも全く意義が損なわれていないことを再確認しました。

  • 後半の三谷先生の議論をもう少ししたかったです。途中で切られてしまったのは残念です。でも◯◯くん[=報告者2]の報告に対しても十分に議論される必要がありましたよね。司会者はよく配慮していたと思います。行き届かないことをいってごめんなさい!!

  • 一番苦手なあたりの論に入りました。苦手なだけあって、どうも理解が進まず、発言もちぐはぐでした。次のルソーの話ではこんな事がないようにしたいものですが・・・。レジュメはどれも読みやすく、司会もおちついていて良かったと思います。「ロック」メンバーの皆様、おつかれさまでした。

  • 難しかったです(笑) そもそも自然状態ってなんなのか、罰ってなんなのか、自分の中でずっとぐるぐるまわってた、今回はそんなかんじでした。

  • 今日のはよく分からなかったのですが、ロックの自然権の基準は、他人の所有物を侵害せず、自由にふるまうこと、であるように思います。

  • 処罰は権利なのか、どこまでが処罰なのか、境界があいまいな議論だったが、ロックの考え、報告者、コメンテーターの考えが混ざり合って深い内容だったと思う。思考が追いつかなかった。

  • 話の内容(特に◯◯くん[=フロア1]の言った重罰等や◯◯さん[=フロア2]のフィクションについてが出てきた話)に全くついていくことができなかったので、発言を積極的にしたいです。

  • いままでは正義や人についての議論であったのに、社会の制度が議題となったため、倫理を選択していた人たちはあまりついていけてないような印象があった。○◯さん[=報告者1]は、法に基づいてしか処罰できないと言っているように感じるので、「いたずらをこらしめる」ようなことでも許されないのだろうか、と思った。

  • 高校で学んだ知識なのに、いざ議論するとなると、こんなにも難しくなるのかと改めて思った。

  • 自然状態とは何か、深く考えさせられた。

  • 抵抗と処罰の関係について、抵抗は社会的な制裁を加えない個人間で、その個人間でも解決ができなくなったときに社会的な制裁として処罰ということが必要だったのではないかと思います。

  • 罰の基準とは何か、正しい暴力と不当な暴力の線引きとは、など、難しい質問がたくさん出ました。被害者の立場や私情など、多くの要因が存在すると思います。ですが、私的制裁のようなものは、道徳的には許されません。これから、考えていく課題になりそうです。命が失われそうな時、人を殺してもよいとするなら、戦争は許されるのでしょうか? 殺さなければ殺される状況、しかし、ここでも道徳的には、決して許されないのではないでしょうか。

  • 現在の政治状態を正当化するために政治書を書いた、ということを見落としていた。今回の議論は難しかった。

  • 罪と暴力の違いやそれが定義づけられる範囲について、この回では考えきれないことが多かったので、自分でももう1度考察したいと思いました。

  • 報告者1の感想  ロックは、「恐ろしがらせる程度」(これくらいならおそろしいと思うだろう!とバツを加える人が思う程度)が“罰”だと定義していて、私もそうだと考えています。その場合に、「程度」が罰を加える人にねじまげられるんじゃないか、と思いました。

  • 報告者2の感想  このような報告、発表の場では特に、自分の言葉1つ1つに責任を持たなければならないと思った。自分が議論する前提となっている状態をしっかり把握しなければいけないと思った。報告を担当して、とても大変だったが、色々勉強になってよかった。

  • コメンテータ1の感想  処罰権とは何か? その根本的な問題を設定せずに議論を展開してしまった感がある。

  • コメンテータ2の感想  報告に対するコメントの入れ所がなかなか見つからず、苦労した。自然状態や社会契約についての知識も積み重ねていかなければならないと思う。

  • 司会者の感想  処罰、罰をどう捉えるかは気になる。それぞれの意見が自然状態前後でどう違うかも考え所と思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿