このブログを検索

2012年1月17日火曜日

パーソンズの死の前後

高城和義の『パーソンズとアメリカ知識社会』(337頁)は、タルコット・パーソンズが死んだときの状況について次のように述べている。

[1979年、ハイデルベルク大学でのシンポジウムに参加した後、パーソンズは]さらにミュンヘンに向かっている。ミュンヘン大学では5月7日の昼に、「現代社会の構造における社会階級の意義の減少」と題して講演し、さらにその日の夕方、ミュンヘン大学マックス・ウェーバー研究所の図書館でも講演した。このとき彼は、ウェーバーの胸像を飾った部屋で、自己の理論形成にとってウェーバーのもった意義について語っている。その夜、彼は突然、心臓発作をおこして急逝する。ほとんど苦しむことなく、安らかな死に顔であったときく。享年76歳であった。

この「ウェーバーの胸像を飾った部屋」での講演の様子が下の写真である。

これはミュンヒェン大学のホルスト・J・ヘレ教授のサイトに載っている画像だが、キャプションとしてこうある。

1979年5月7日(月):パーソンズはコンラート通り6番にある社会学部棟でインフォーマルセミナーを開いた。このセミナーでは時間を延長して質疑応答がなされた。


さらに、上記ウェブページには、パーソンズの死について詳細な記述がある(というのも、このときパーソンズをミュンヒェンに招いたのがこのヘレ教授だから)。

ミュンヒェンでのパーソンズ最後の日

タルコット・パーソンズ(1902年12月13日~1979年5月8日)がミュンヒェンに到着したのは1979年5月6日(水)のことだった。夫人のヘレンとともに、ハイデルベルクから約4時間列車で揺られてきたのだった。パーソンズは1929年にハイデルベルク大学で博士号を授与されたのだが、今回はそれから50周年記念ということで大学から招待されていたのだ。記念式典は5月1日から5月6日まであって、もちろん彼も楽しんだことと思うが、齢76歳のことであるから、それなりに大変だっただろうとも思う。とはいえミュンヒェン中央駅で出迎えたときは元気そうだったし、その足で同僚や学生らにも会ってくれた。

夫妻は、その晩モンジュラ宮殿の一階に入っているレストランで我々と結構長い時間を過ごした後で、ミュンヒェンヒルトンホテルに引き上げていった。1979年5月7日(月)の午前、パーソンズはミュンヒェン大学の由緒ある本棟の332番講堂で講演を行った。この棟はマックス・ヴェーバーがミュンヒェンで亡くなる前、生前最後の講義をした建物でもあった。午後には、コンラート通り6番にある社会学部棟でインフォーマルセミナーを開き、このセミナーでは時間を延長して質疑応答がなされた。

その日の晩は、賓客としてパーティに出席してもらう予定だったのだが、気分がすぐれずホテルの部屋で休むとのことで、夫人だけが出席することになった。パーソンズは月曜から火曜にかけて、つまり1979年5月8日の未明に亡くなったのだった。

私がタルコット・パーソンズと個人的に知己を得たのは1967年のことで、ハーヴァード大学に伺ってのインタヴューに快く応じてくれたのだった。

ホルスト・J・ヘレ


ヘレ教授は、このときのことを、ハーバート・ブルーマーへのインタヴューで少し触れている。

ヘレ: タルコット・パーソンズは、たまたま私のゲストとしてミュンヒェン滞在中に亡くなったのですが……

ブルーマー: ああ、ミュンヒェン、そうでした。

ヘレ: ……当時はヘレン・パーソンズを慰めたり、遺体の管理をしたりで大変でした。そうしたことすべてが大変悲しいことでした。


さらに、ヘレ教授は後日ヘレンから届いた礼状(1979年5月24日付)も公開していた(過去形で書くのは、以前のサイトにはあったのが、現在のサイトには見つからないから。以下の画像は Internet Archive で保存されているもの)。

親愛なるヘレ教授

タルコットの遺灰は昨日、無事に届きましたのでご安心ください。小包で戸口まで配達してくれました。ジャフリー墓地への埋葬は土曜日の予定ですから、まだしばらくかかります。息子のチャールズとその家族、それに近い親族が何人か来てくれることになっています。パーソンズ家の墓は松の大木の下の一画で、それは美しいところです。私どもの娘のアンをはじめ、タルコットの家族がすでに何人も眠っています。

私どものミュンヒェン旅行があのような形で終わってしまったのは悲しいことですが、長い間病気で苦しんだり、徐々に頭脳が衰えていくよりは、タルコットにとってはるかに望ましい最期だったと思います。

それにしても、その節は大変お世話になりました。なんとお礼を申し上げていいかわかりません。貴方のおかげで警察の質問にもあまり苦痛を感じずにすみましたし、またご手配いただいた火葬の儀は、おかげさまで荘厳で美しいものになりました。それにご家族でボストンまでお見送りいただくお手間をかけました。できましたら今後ともお付き合いを続けさせていただき、いつかまたお会いしたいと思っております。

立て替え分のお支払いはあれで十分でしたでしょうか。不足の場合は、お知らせ願えれば幸いです。

最後になりましたが、もう一度、心からのお礼を申し上げたいと思います。

ヘレン


現在のパーソンズ研究で以上のドキュメントが参照されているのかどうかは知らない。

0 件のコメント:

コメントを投稿