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2011年5月26日木曜日

新潟大学人文学部「人文総合演習A」 第6回 パスカル『パンセ』

対象文献:
パスカル, 前田陽一・由木康(訳),『パンセ』,中公文庫



以下、出席者の感想。

  • 司会者の方が色々工夫をしていてたくさんの意見がでてよかったと思う。

  • 価値判断を抜きにした純粋な中立的状態が成立しないことは、科学哲学上の観察の理論負荷性を考慮すれば自明となろう。[以下、「感想1」

  • 「行為の善悪」と「正義」、「人間の原初の状態・区分け」に関する議論でした。発言もなんとかできました。時間が足りなくなってしまったのは残念ですが、とても有意義だったと思います。パンセ組の皆さん、お疲れ様でした。

  • 大学生活の疲れがたまってきた自分にとって、「パンセ」の本は何とも言えない重さだった。

  • ◯◯さん[=「感想1」の書き手]の考え方にすごく共感しました。人間は文化の中で生きているので、それを抜きには考えられないと感じました。

  • 自分が報告に返論したその返答にすぐ納得するのではなく、何度も自分の考えを示していきたいと思いました。

  • パスカルは文化相対主義的な考えを持っていたのかな、と個人的に思いました。担当だった皆さん、それぞれ考えを持っていて素晴らしいと思います。

  • 「人間のあるがままの状態」は、結局どういうものなのだろうと感じた。色々な人の「人間のあるがままの状態」についての意見を聞いてみたい。

  • 自分は「邪欲」という言葉を◯◯さん[=報告者1]のように考えていたので、◯◯さん[=コメンテータ1]のとらえ方はおもしろかったです。◯◯さん[=報告者1]はどのように思ったのか訊いてみたいです。◯◯さん[=感想1の書き手]の考える「人間のあるがままの状態」とはなんなのだろうと思った。

  • 今回はみなさん自論がわかりやすかったです。600ページを超える本を読み切ったみなさん、お疲れ様です。司会の◯◯さん(=司会者)もがんばっていました。

  • 思考が止まってしまった。

  • 思考の言語化、この難しさに直面。家に帰って考え直してみると考えがまとまるんですけどね。また次回からがんばります。

  • 正義は、それを行う人によって、見方が変わる。では、普遍的な正義は存在できないのではないだろうか? 最後の方の討論で、もし、宗教を一つに統一したとしても、別の宗教が生まれるのではないかと思う。そして、あるがままの状態になることはできないのではないだろうか。生物である限り、生きようと、子孫を残そうとする。平和には、ならないのではないだろうか。

  • 今回も発言ができなかった。残念。欲の善悪、というのは自分としては新たな視点だった。

  • 報告者1の感想  なんだかうまく発言できなくて自分の口下手さを感じました。またレジュメのほうも、あまり考えが及んでないところがたくさんあって、思考力のなさも感じました。でも、新たな考えにも触れることができ、よかったです。

  • 報告者2の感想  普遍的正義について考察するためには、わく組みにとらわれることなく考えることが必要だとしたが、わく組みをなくして文明社会で生きる私たちが正義を考えることはできないんじゃないかと思いました。

  • コメンテータ1の感想  レジュメを熟読したにもかかわらず、議論に参加できなかった自分が情けない。自分の考えをしっかり言えなかった。考えていることを筋道立てて言えるようにしたい。

  • コメンテータ2の感想  やっぱり理想論だけではだめですよね…

  • 司会者の感想  自分の失敗で、貴重な議論の時間を失ってしまった!! 自分の今日の目標は、なるだけ多くの人に発言していただくこと、報告者・コメントの4人全員のレジュメについてふれる、ということだった。達成できたかな?

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